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吟遊詩人ウィル

狼の祭壇

−5−

 鐘の音が教会を揺さぶっていた。
 教会に集まった人々が禍々しい詠唱を唱え、大勢で生け贄を掲げながら、ゆっくりと祭壇へ運ぶ。生け贄に抵抗はない。魔力で体の自由を奪われているのだ。
 生け贄はリィーナだった。
 身体の自由は奪われても、なぜか意識はハッキリとしていた。
 ──みんな、ヴァンパイア・ウルフに噛まれてしまったのね。
 吸血鬼<ヴァンパイア>に噛まれた人間が吸血鬼<ヴァンパイア>になるように、ヴァンパイア・ウルフに噛まれた人間は人狼──つまり、ワーウルフになる。そもそも闇の貴族と呼ばれた吸血鬼<ヴァンパイア>は、黒魔術<ダーク・ロアー>を使った魔法実験を行い、邪悪な怪物たちを作り出していった。ヴァンパイア・ウルフもそういった実験成果のひとつなのである。狼の中で最も凶暴凶悪なキラー・ウルフに自らの血を混入させることによって、人語を解し、魔法を操るヴァンパイア・ウルフが作られ、貴族たちのペットとなったのだ。
 しかし、その闇の貴族たちも、今や滅びの道を辿ろうとしている。主人を失ったヴァンパイア・ウルフは辺境の荒野に生きるすべを見つけ、それぞれ散ってしまった。彼等もまた、哀しき怪物なのかも知れない。
 だが、今はリィーナの方が憂うべき状況だった。
 ──ダメ、身体が全然、動かないわ。
 腕はおろか、指一本すら自由にならなかった。そう、まるで全身が彫像と化したかのようだ。
 目は見開かれ、教会の高い天井ばかりが視界を埋める。
 リィーナの身体は、とうとう石の祭壇に横たえられた。
 ──私をどうする気!?
 叫びは声にならなかった。
 リィーナの視界に司祭<ビショップ>と数人の僧侶<プリースト>、それに村長を始め、ジェシカ婆さんら村の実力者たちが囲むようにして現れた。宿屋の主人であるエドもいる。皆、何かに祈りを捧げていたが、それが神でないことは確かだった。
「我等が神よ!」
 司祭<ビショップ>が叫んだ。
「今ここに汚れなき乙女の肉体を捧ぐ。その加護を我等に与えたまえ!」
「与えたまえ!」
 村人が復唱すると、また教会が揺らいだ。本来、聖なる場所たる教会が、邪悪な波動に耐えられなくなってきているのだ。聖母アイリスの像に亀裂が走った。
「さあ、エド殿」
「望んでいたことをするがいい」
 皆より一歩、エドが進み出た。顔は無表情だが、目は欲情の炎に燃えている。リィーナはそのおぞましさに怯えた。
 おもむろにエドの手がリィーナの襟元に伸びた。麻のドレスをつかむ。そのまま腕に力が込められ、ドレスは引き裂かれた。
 ──やめて!
 布を裂く音がリィーナの悲鳴に聞こえた。
 エドは容赦がなかった。汚れを知らぬ少女を裸にしてゆく。夢魔の如き出来事だった。
 叫ぼうにも声が出ない。
 胸を覆い隠そうにも腕が動かない。
 目をつむろうにも、それさえ叶わない。
 ただ、涙だけがこぼれた。
 神様はいないのかと思った。
 とうとうリィーナは全裸にされてしまった。
 すると再び詠唱が行われ、教会がビリビリと震え出した。
 エドは黙って退がった。
「いい肉体だ」
「いい生け贄だ」
 誰もが褒め称え、初めて無表情な顔に薄笑いを浮かべた。
「さあ、神よ!」
「ここに汚れなき生け贄を捧げる!」
 教会が崩れ始めた。邪悪なるものを退ける結界など役には立たなかった。
 ガルルルルッ!
 リィーナの脚の方から、低い唸り声が聞こえた。
 ──狼!?
 リィーナは心の中で悲鳴をあげた。自分は喰われてしまうのか。意識を失うことも許されず、じっくりと時間をかけて貪られるのか。気が狂わずに、どれだけの間、耐えられるだろう。
 祭壇の上に這い上がる気配がした。頭はおろか眼球も動かせず、足下にいる野獣の姿を見ることは出来ない。ただ、荒々しい息づかいだけが感じられる。しばらく、そのまま動く様子がなかった。
 ──私を、私の身体を見ているんだわ。
 そう思っただけでおぞましかった。
 どれだけに時間、見つめられていただろう。やがて空気が動いた。
 ──違う!
 その姿を見たとき、リィーナは戦慄した。狼よりもふた回り大きく、恐怖を禁じ得ない圧倒的な威圧感を持った怪物。その赤い眼がリィーナに確信させた。
 ──ヴァンパイア・ウルフ!
 悪魔の産物はリィーナにのしかかってきた。生臭い息が、リィーナの顔にかかる。
“十何年ぶりかの人間の女。じっくり味わってくれようぞ”
 地獄の入口の如く、ヴァンパイア・ウルフの赤い口が開いた。
 ──助けて、ウィル!
 リィーナは心の中で精一杯の助けを求めた。


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