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吟遊詩人ウィル

狼の祭壇

−6−

 ウィルはモンタルンの村の入口まで来たところで、ようやく速度を緩めた。尋常ならざる疾走であったにも関わらず、ウィルに少しの息の乱れもない。彼には歩くのと等しいのだろうか。
 そのウィルの前方より、五つの影が近づいてきた。このモンタルンの村人である。一見したところ、武器のようなものは手にしていない。
「止まれ! 異邦人よ!」
 真ん中の男が警告を発した。だが、ウィルは足を止めない。そのまま進む。
「聞こえぬか! ここはお前のような者が来るところではない! 帰れ!」
 それでもウィルは従わなかった。警告など無視して。
「それ以上、近づくならば、死ぬことになるぞ! よいか?」
「好きにしろ」
 初めて答えた。
 五人の村人は、その人の形をした皮を脱いだ。おぞましきその姿。全身を針金のような剛毛で身を固め、鋭い犬歯が口許から覗いていた。
 ワーウルフだ。
 五人──いや、五体のワーウルフは、美しき吟遊詩人に牙を剥いた。腕は今や前肢となり、真っ向から突撃してくる。対してウィルの涼しげな──それでいて凄絶なものを感じさせる美貌。彼は人間ならざる者なのかも知れなかった。
 ウィルはベルトから吊るしていた短剣<ショート・ソード>を手に取り、鞘から抜いた。
 その瞬間――
「ガッ!?」
 目が潰れそうな強い光が放たれ、世界は眩しさに、一瞬、支配された。それがウィルの短剣<ショート・ソード>から放たれたものだとワーウルフが気づいたものかどうか。ワーウルフたちは目を開けていられず、敵の姿を見失った。
 ようやく光が収まったのは、短剣<ショート・ソード>が鞘に納められたときだった。ウィルは何事もなく歩み行く。首のないワーウルフたちの死体を残して。
 ウィルの仕業であったのは言うまでもない。
 差し向けた刺客が簡単に斃されたことを知ったヴァンパイア・ウルフは、次々にワーウルフを放った。
 教会は表通り<メイン・ストリート>の突き当たり。ウィルは、その道を選んだ。
 そこへ二十に近いワーウルフが、たった一人の吟遊詩人に襲いかかった。
「バリウス!」
 ウィルは歩きながら呪文を唱えた。だが、今度のは白魔術師<メイジ>が使う白魔術<サモン・エレメンタル>ではない。それは──
 ウィルの身体にワーウルフたちが群がった刹那、空気が赤く煙った。
 血風だ。
 ウィルが唱えた呪文──それは聖職者<クレリック>たち神の使徒が扱う数少ない攻撃呪文のひとつ。己の周囲に真空状態を作り出し、近づく敵をかまいたちのような見えない刃で切り刻むのだ。その範囲は術者の制御によって拡大することもできる。
 バリウスの魔法は犠牲者たるワーウルフの血潮を巻き上げ、次々と犠牲にしていった。一瞬にして半分である十匹もの敵を葬ってしまう。
 生き残ったワーウルフは、うかつに飛び込めなくなった。
 ウィルはそんな雑魚には目もくれず、依然、教会へと進む。
 ワーウルフたちは遠巻きにするしかなかった。
 そのウィルの足が止まったのは、表通り<メイン・ストリート>も半ばに差し掛かったところだった。
「白魔術<サモン・エレメンタル>にバリウスの呪文ですか。どこでそれほどの力を?」
 白い法衣を着た老人が、ウィルの前に立ち塞がっていた。この村の現神父らしい。
 ウィルの右手が前へ振り上げられようとした。
「モーツ!」
 素早く無効の呪文を唱え、神父はニヤリとした。ウィルが唱えようとしていた呪文が掻き消される。これも聖職者<クレリック>の魔法のひとつだ。ウィルは黙ったまま動かなかった。
「魔術師同士の戦いというものは、このモーツの呪文を扱える者が有利。ご存じでしょう?」
 魔法には大きく分けて三つある。
 ひとつには、聖職者<クレリック>が神への信仰によって奇跡を起こす聖魔術<ホーリー・マジック>。
 二つ目には、四大精霊(地・水・火・風)などを使役することによって、その力を己のものとすることが出来る白魔術<サモン・エレメンタル>。
 三つ目には、その正体は誰も知らぬ魔界の支配者たる悪魔王との盟約によって、強大な力を得られる黒魔術<ダーク・ロアー>。
 このうち、聖魔術<ホーリー・マジック>と白魔術<サモン・エレメンタル>の両方を使う者は教会の司教<ビショップ>に多く、人々から敬われている。もちろん、それ相応の実力がなければ両魔法を体得することは出来ず、そういう意味ではこのような力を持った神父が辺境の村にいること自体、驚きであった。
 神父はなおも言った。
「魔法が使えぬとなれば肉弾戦しかあるまい。──おっと、年寄りだからと甘く見るでないぞ。これでも昔は修行僧<モンク>時代は腕っ節に物を言わせておったものよ。それに、何年ぶりかに力がみなぎってきよる。実にいい気分だ」
「噛まれたな?」
 骨張った拳を見せる神父にウィルは冷然と言った。神父の唇が笑いの形に歪む。
「ゆくぞっ!」
 とても高齢だとは思えぬ速さで、神父は間合いを詰めた。眼前にウィル。避ける素振りも見られない。
「どうした、捉えたぞ!」
 大理石の柱をも砕く鉄拳が繰り出された。スピードが空気を唸らせる。
「!」
 次の刹那、神父の目が驚愕に見開かれた。空振りだったのだ。
「何処を狙っている?」
 背後で心臓さえ凍りつきそうな声がした。
 神父は慌てて振り返った。いつの間にか、そこにウィルが立っている。
「ば、馬鹿な……」
 神父は後退った。
 そんな神父に対し、ウィルは再び短剣<ショート・ソード>を抜いた。だが、先程とは違い、強烈な光は発していなかった。微かにボーッと光っている程度だ。遠巻きにしていたワーウルフたちが、わずかに怯えた。
「ええい、お前たち、何をしている! ヤツを押さえんか!」
 神父の命令でワーウルフは襲いかかった。
 それよりも一瞬早く、黒い翼が宙を飛ぶ。神父はそれを見逃さなかった。
「かかったな! エスラーダ・クレイス!」
 白魔術<サモン・エレメンタル>最強の冷却呪文が黒い翼に迸った。絶対零度の凍気は、何ものをも凍らさずにはおかない。黒い翼も例外ではなかった。
「仕留めたぞ!」
 神父は確信した。
 しかし、ワーウルフたちが何かを叫んだ。
 正面より来る黒い疾風。
 それこそが本物のウィルだと知った刹那、神父は過ちを悟った。翼はウィルが放り投げたマントに過ぎなかったのだ。
 風は光を呼び、そして死を運んできた。
 胸から染み広がる赤いものを、神父は不思議な安らぎを持って眺めた。
 ──ああ、これが死か。
 崩折れる感覚と視界が暗転する様。
 美しき吟遊詩人の冷たい眼差しが、この世で最後に見たものだった。
 神父は倒れた。ヴァンパイア・ウルフの呪縛を、その死によって解きながら。
 地面に落ちた凍ったマントをひと振りで元に戻すと、ウィルは颯爽と身につけた。
「まだ来るか」
 ウィルは取り囲んだままのワーウルフたちに一瞥を与えた。


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