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「おーい!」
町の広場へ向かうウィルの背に、大きな声が当たった。あの旅の商人、ロムが駆け寄ってくる。どうやら、わざわざウィルを探していたらしい。
厳しい寒気にさらされていたドールの町は、久しぶりに雪もやんで、雲の薄い部分から太陽の光が透けて見えた。春が近いんだと実感する。心なしか、昨日よりも人々の表情に明るさが宿っていた。
ロムが追いつくと、ウィルは再び歩き始めた。
「よう、昨日はどこに泊まったんだい? 町中の宿、探したんだぜ。と言っても、オレが泊まった所と、もう一軒しかないけどよ」
「夕べは野宿した」
平然と答えたウィルに対し、ロムは目を剥き出しにした。
「野宿!? この寒い最中にか!? まったく、お前さんはどういう神経しているんだか。よく凍え死ななかったもんだぜ。金がないなら、言ってくれりゃあ良かったのによ。オレはそんなに薄情な男じゃないぜ」
朝の新鮮で澄んだ空気を胸一杯に吸いながら、ロムは一気に喋った。ウィルの美貌を前にしてよく喋る男だが、本当はいつもの半分も調子が出ていない。これでもアガっているのだ。
「──それにしても、どうなっちまってるんだ。見てみろよ。毎日を繰り返すいつものドールの町じゃねえぜ。さっきはかっぱらいに会った。いつもすれ違うだけのじいさんとばあさんが、今日に限って挨拶して、立ち話を始めやがった。イヌがクシャミをしていた。こんなことは今までには有り得ねえことだぜ」
「そうか」
ウィルの物言いはあっさりしていた。
「あっ、アンタぁ、オレがからかっていると思ってるんだろ? ホントだぜ、ホント。この町は毎日を繰り返していたんだ! ──昨日までは、だけどよ」
ロムは必死に言い繕った。しかし、ウィルは全く意に介した様子はない。ロムは諦めた。
「ところで何処へ行くんだい?」
間が持たないのでロムが訊いた。
ウィルは真面目くさった顔で、
「商売だ」
と言った。
こんな男でも商売するのかと思い、ロムは途端におかしくなった。どこかの貴族の未亡人にでも囲われた方が、この男らしい。
「そう言や、アンタ、吟遊詩人だったな」
ロムは苦笑をこらえながら、それだけのことをようよう言った。
広場にある枯れた噴水の前まで来ると、ウィルはマントの下から《銀の竪琴》を取り出して、手慣らしに弦を爪弾いた。すると、その音を聞きつけたのか、誰ともなく人が集まり始める。普段は無口な吟遊詩人なのに、客集めには苦労しない。たちまちウィルを囲むように大きな半円が出来た。
ウィルは旅帽子<トラベラーズ・ハット>を脱ぐと、逆さにして、足下へ置いた。
ウィルの相貌がさらされる。
小さなどよめき、大きなため息、反応は様々でも第一印象は、皆、同じだ。
美しい──と。
その顔を見ただけで、集まった人々から銅貨が投げ込まれた。そのほとんどが女性であるのは言うまでもない。持っていた全財産をはたいた者すらいただろう。
ウィルはうやうやしく一礼して見せた。
《銀の竪琴》が奏でられ、詩<うた>が始まる。
夜の詩<うた>。
それが夢の中で歌われた詩<うた>であると、聴衆は知ったかどうか。
ウィルの歌声は、通りがかる人々の心を奪い、魅了していった。思わず足を止めて、一目見ずにはいられない。
人々が忙しく立ち働く朝。だが、詩<うた>は昨日の夜を呼び覚ました。
夢の続き。
それは誰もが望んでいたものだった。
人々は目をつむり、心の中で歌った。すると不思議な気持ちに包まれていく。皆、泣き始めた。歓喜の涙だ。
もうすぐ春が訪れる喜び。
ウィルの演奏に合わせて、自然に身体が揺れた。
その刹那──
「待てよ、サリナ!」
「イヤよ、離して!」
突如、怒声が聞こえ、ウィルの詩<うた>は中断された。人々が声の主を捜して振り返る。
その人垣をかき分けるようにして、一人の若い娘が躍り出た。
雪のように白い肌と、情熱さを感じさせる黒い瞳が対照的な娘だった。他の者たちと同様、粗末な防寒服に身を包んでいるが、転がり込んできたときの素早さは見事だ。その肢体に無駄な肉などついていないのだろうと思われる。
だが、その素早さも途中で止まった。
それもそのはず。
娘はウィルの顔を直視してしまったのだから。
娘と吟遊詩人は、ひととき、見つめ合った。
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