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吟遊詩人ウィル

呪縛人形

−5−

「サリナ!」
 娘を追うようにして、一人の男が輪の中に押し入ってきた。こちらは肌の浅黒い、頑強そうな男だ。ウィルに見取れた状態の娘を連れ戻そうとする。
 しかし、男もその傍らにいた吟遊詩人を見て、陶然とした。
 誰も娘と男を責められない。
 吟遊詩人ウィル。
 人の心など簡単に虜にしてしまう魔性の申し子。
 正気に返ったのは男の方が早かった。が、もう一度、ウィルを見れば魔性に囚われると警戒し、二度と目を合わせることはしなかった。
「さあ、サリナ! 一緒に帰るんだ!」
 男はサリナと呼んだ娘の手を引いた。その手がはねのけられる。男はカッとなった。
「サリナ!」
「よしてよ、ラカン! もう、あなたの世話になんかならないわ!」
「何言ってやがる! お前の母親に、オレがどれだけのことをしてやったと思っているんだ!?」
「私だって、それ相応に尽くしてやったつもりよ!」
 サリナは気丈だった。追ってきた男──ラカンの頬をひっぱたきかねない勢いだ。
 ラカンは懐柔策に出た。
「なあ、サリナ。落ち着けよ。どうしたって言うんだ? 昨日まで、あんなに楽しくやってきたじゃないか」
「そうね。自分でもどうしてだか分からないわ。今朝になったら、突然、嫌気が差したの。こんな関係にね。でも、それが正しいのよ。今までの方がどうかしていたんだわ!」
「何を言ってやがる! もう、お前はオレの女なんだぞ! さあ、一緒に帰るんだ!」
 ラカンはサリナの腕を再びつかみ、強引に連れ戻そうとした。
「イヤッ!」
 抗うサリナ。
 すると、ラカンを阻むようにして、黒いマントが二人の間に割って入った。ウィルだ。
 思いもかけない成り行きに、周囲の者たちは驚いた。この吟遊詩人が、どこにでもありそうな痴話喧嘩に首を突っ込むとは思えなかったからである。
 ラカンの眼が危険な光を帯びた。
「なんだ、てめえ!? 余所者が邪魔する気か!?」
 町の者たちはラカンの腕っ節の強さを知っていた。町で一番、乱暴で、危険な男だと。とにかく怒りに我を忘れると、何をしでかすか分からない。それに屈強なラカンと殴り合いをして、細身な吟遊詩人が勝てるとは、とても思えなかった。
 だが、ウィルは臆することなく、ラカンを見据えていた。
「謝罪してもらおう」
「何ィ!?」
「オレの詩<うた>を中断させた謝罪だ」
 ラカンは首を傾けると、そのままずいっと突き出した。
「てめえに謝るつもりはねえな」
「オレにではない。ここで聴いていた者たち全員にだ」
 ラカンは改めて周りを見渡した。
 町の者たちはラカンにひと睨みされると、思わず一歩、退いた。まるで肉食獣に威嚇された小動物のようである。それを見て、ラカンは鼻で笑った。
「オレが見たところ、文句がありそうなヤツはいねえようだが?」
 ラカンはそう言うと、ウィルに対して左斜めに構え、間合いを詰めた。
 対するウィルは──覆うマントの様子からして腕を垂らしたまま、無防備だ。
 そんなウィルの余裕を持った態度が、ラカンの癇にさわる。一方的な殺気が弾けた。
「待ちなよ!」
 取り巻きの中から、今まで様子を見ていたロムが前に進み出た。
「オレと同じ余所者がやられるとあっちゃ、黙ってられねえな。そいつの代わりにオレが相手になろうじゃねえか」
「貴様、こいつの何だ!? ダチか!?」
「恋人さ」
 ロムは不器用なウインクをして答えると、上着を脱いだ。周囲の者たちから嘆息があがる。ラカンに負けないくらい、見事な肉体をしていた。戦士くらいの鍛え方はしているのではなかろうか。
 ウィルとサリナをかばうようにして、ロムは立った。ロムはウィルに、
「よう、色男が下手な格好をつけるんじゃねえよ。これは貸しにしとくからな」
 と囁いた。
 ウィルはうなずきながら、
「キミも演奏を最後まで聴けなかった一人だ。ヤツに謝罪させる権利がある」
 と承知する。
 そんなロムにサリナが申し訳なさそうな顔を見せた。
「すみません、私のために」
「なーに、後でうまい酒の一杯でもお酌してもらうさ」
「はい、必ず」
「おっと、素直だねえ」
 ロムは屈託なく笑った。
「何をゴチャゴチャやってやがる! 相手が誰に替わろうが関係ねえ! 行くぞ!」
 じれたラカンが突っ込んできた。ケンカは相手の懐に飛び込めば、あとは腕力と気力だ。ラカンはそれで負けたことはない。
 だが、ロムも積極的に組んできた。それはラカンと同じタイプと言うことだったろうか。
 どちらからともなく相手を押し倒すと、地面でもつれ合いながら、すぐに殴り合いが始まった。たちまち両者の体が雪にまみれる。ときにはロムが上になり、ときにはラカンが上になりながら、顔と言わずボディと言わず、殴れるところをすべて殴った。
「この野郎!」
「まだまだぁ!」
 長い長い殴り合いになった。両者、血を吐き、歯が折れたが、それでも止めない。凄惨な私闘に女たちは目を背けた。サリナ以外は。
 壮絶な殴り合いの末、ロムの最後の一撃がサガンの顎に決まり、サガンはそのまま気絶してしまった。
 勝ったロムは荒い息をつくと、フラフラと立ち上がった。そして、ウィルに笑みを見せる。
「ど、どうだ、勝ったぜ」
「見事だった」
 ウィルは無感情に言った。
「アンタに言われると照れるよ」
 倒れそうになるのをウィルに支えられ、ロムは驚くより恐縮してしまった。


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