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「さあ、早く私の家へ。ひどいケガだわ」
サリナはロムの上着をかけてやりながら、ウィルたちを促した。
三人は人だかりをかき分けて、サリナの家へ急いだ。
途中、誰も追って来ることはなかった。結局、誰もラカンの味方ではなく、その腕力に脅されていただけなのだ。
サリナの家は、鍛冶屋通りの裏手にあり、バラックのような粗末なものだった。扉の代わりにカーテンのような布が引かれており、屋根は飛ばないよう、石で押さえてあるが、今はそれ以上に雪がのしかかっている。小屋と呼ぶにふさわしい大きさだった。だが、これでは冬の寒さをしのぐことは出来ないだろう。雪の重さで潰されかねない。サリナの日常生活が容易に想像できた。
「入って」
そう言ってサリナは入口をくぐった。ウィルたちも続く。
「ほええ」
中に入って、ロムが呟いた。暗い。通りの裏にあるだけあって、昼間でも夜と同じだ。
「ただいま、母さん」
目が慣れてくるにつれ、ロムはサリナがベッドに寝ている人物に言っているのだと分かった。だが、サリナの声が聞こえないのか、ベッドからは何の反応も返ってこない。しかし、サリナは気にした様子もなかった。
「二人とも座って。今、薬を持ってくるわ」
ロムとウィルに椅子を勧めて、サリナは手作りの戸棚から薬草と包帯を取り出した。
「お母さんと二人で住んでんのかい?」
質問したのは椅子に腰を掛けたロムだった。ウィルは沈黙を保ったまま立っている。
「そうよ。それがどうかした?」
ロムの腫れあがった患部にすりつぶした薬草を塗り込みながら、サリナは言った。ヒヤリとした感触が熱を奪っていくようだ。
「いや、ね。大変じゃねえかと思ってさ」
「そうでもないわ。この町には私たちよりもひどい生活をしている人、多いもの」
「それも、あのラカンって男のお陰か?」
サリナの手が、一瞬、止まった。
「あの人ね、あれでも私と母のために、色々としてくれたのよ。母は体が不自由な上、目も見えないし、口も利けないの。私一人が働いても薬代は高くて、まともに買えやしない。そんなとき、ラカンが助けてくれたのよ。高い薬を母に飲ませてくれたわ。もちろん私の肉体目当てだってのは分かっていたけど、生きるためだもの。ラカンの条件を呑んだわ。この薬草だって、ラカンが持って来てくれたものよ」
「でも、アンタはそれを拒んだ」
少し間があった。
「分からないってのが正直なところね。今までは我慢し続けてきたけど、今朝になったら、突然、そんな生き方がイヤになっていた」
「今朝になったら、か」
ロムは呟くと、チラッとウィルの方を見た。ウィルは気づかないふりをしているのか、視線を返しもしない。ロムはあきらめた。
「そう言や、今朝からこの町の雰囲気が変わったような気がするぜ。オレは何度もこの町に来ているが、こんなことは初めてだ」
「まあ、何度か来てるの?」
「ああ。オレは旅の商人だからな。──おっと、名前はロムってんだ」
「私はサリナ」
そう名乗って、サリナはウィルの方を見た。
「おい、色男。むっつりしてねえで自己紹介しろ」
「ウィル。吟遊詩人だ」
「よろしく」
頬を赤くして、サリナは微笑んだ。
「くーっ、色男は得だねえ」
ロムがふざけて冷やかした。
「うー、うー」
ベッドからうめき声がした。サリナの母だ。サリナはベッドに駆け寄った。
「母さん、喉が渇いたの?」
「うー」
「待ってて。今、持ってくるわ」
外に水を汲みに行こうとするサリナをウィルが止めた。マントを払い除け、ベルトに吊っていた水筒を差し出す。サリナはそれを恐る恐る受け取った。
「飲ませるといい」
「あ、ありがとう。──母さん、水よ」
身体を動かせない母親の上半身を起こし、サリナは水を飲ませた。ほとんど口の端からこぼれてしまったが、喉の動きで飲んでいると分かる。飲み終えると、サリナはそっと母親を横たえた。
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