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吟遊詩人ウィル

呪縛人形

−8−

 ドールの町は極寒の地に位置しているため、数ある辺境の町の中でも小規模なものに入る。人口一〇〇〇。一年の大半を雪に覆われていること以外で、ドールの町を特徴づけているのは、大富豪グスカが住む人形屋敷だろう。
 グスカがいつからこの町に居を構えたかは、町の人々もなぜか知らないが、その城塞のような屋敷には、大陸中より集められた様々な人形が所狭しと並べられていると言われている。町の名が“ドール”というのは、この“人形<ドール>”から来たらしい。
 ウィルとサリナは、薬店からの帰り、少し寄り道をして、その人形屋敷の前に来ていた。せっかくなので町を案内すると、サリナが提案したのだ。
「すごいお屋敷でしょ? こんなの城塞都市や“氷の都”にでも行かなきゃないわよ、きっと。いくら貴族だからってね」
「貴族……」
「あっ、もちろん表の方よ。裏だったら大変だわ」
 裏──それは闇の貴族を指す。つまり吸血鬼<ヴァンパイア>だ。
 吸血鬼<ヴァンパイア>は不死族<アンデッド>の頂点に立つ者で、伝説通り人間の生き血をすすり、陽光、十字架、ニンニクを嫌う。彼らは夜の支配者で、暗黒魔法や失われし古代魔法<ロスト・マジック>(古代魔法王国が繁栄していた頃のもので、聖魔法<ホーリー・マジック>、白魔法<サモン・エレメンタル>、黒魔法<ダーク・ロアー>の三大魔法とは別の体系を持つ)を操ることが出来る。もちろん昼間、活動できるものではないが、竜<ドラゴン>などと並んで恐れられる怪物<モンスター>だ。
 ウィルは探るように屋敷を眺めた。
 グスカの人形屋敷は、檻のような巨大な鉄柵にぐるりと囲われているため、その敷地内を見ることが出来た。広大な庭には南の蛮族たちが作るトーテムポールや人面像が所々に配置されている。きっと、これらも人形の扱いなのだろう。その奥に白塗りの大きな屋敷が見えた。この町のどこでも見られないような大きく立派な建物だ。これまで数々の国を見聞してきたウィルだが、遠目から眺めていても、サリナの言うとおり、一都市の宮殿をそのまま持ってきたような大きさだった。
 サリナはグスカという人物について、どこかの王家の末裔だとか、一代で財をなした大商人だとか、あれこれと喋ったが、そのほとんどが推測の域を出ず、ただドールでは絶対の権力者ということは確かだった。サリナも、直接、会ったことはないが、尊敬しているらしい。
「この屋敷に独りで住んでいるのか?」
 ウィルは訊いた。グスカという人物に興味を覚えたようだ。
「召使いが一人いるはずよ」
「ほう」
 ウィルはそう呟くと、突然、後ろを振り返った。黒い影が慌てて物陰に潜むが、少し遅い。サリナも気がついた。
「何? ラカン?」
「いや。──薬店から後をつけているのは分かっている。もう姿を現してはどうだ?」
 ウィルの言葉に、相手は観念したのだろう。ゆっくりと尾行者は姿を現した。
「貴様か、ラカン殿をあんな目に遭わせたのは?」
「ベネシスト!」
 サリナは一歩後退した。
 その男の風体は町の者たちとは異なっていた。ウィルのような全身を覆うマントを羽織り、その下には金属製の胴当て、手っ甲、足当てを装着し、左の腰から細長い得物が顔を覗かせている。剣だ。
 男は戦士<ファイター>のようだった。長い髪をバンダナでまとめ、後ろに流しているせいで、額が広く見える。全体的にシャープな顔立ちで、鋭い眼はいくつもの修羅場をくぐり抜けてきた自信に満ちあふれていた。
「ラカンの仲間か」
 ウィルは断じた。戦士<ファイター>の眼がスーッと細くなる。
「オレは流れ者の傭兵だが、ラカン殿には数々の恩義がある。貴様がラカン殿に仇なすと言うのなら、オレは斬らねばならんのだ。悪く思うなよ、吟遊詩人」
「待ちなさい、ベネシスト!」
 男の前にサリナが立ちはだかった。ウィルを守ろうと、両腕を拡げる。
「こんなところでウィルを斬る気!? 理由がどうあれ、人を殺せば、あなただってタダではすまないのよ!」
「それがどうした? オレみたいな男がラカン殿に恩を返すことが出来るのは、こんなことくらいのものだ。──さあ、サリナ殿、どいてもらおうか」
「イヤよ! 死んでもどかないわ!」
 ベネシストの眼に殺気が宿った。
 動いたのはウィルだった。ベネシストの左手に回り込もうとする。
「ウィル!」
 わざわざ盾になっている自分の後ろからウィルが移動してしまったことに気づき、サリナは悲鳴のような声をあげた。
 ベネシストはラカンよりも危険な男なのだ。それこそ狙われたらウィルの命はない。
 ベネシストは剣の柄に手を掛けた。そのままウィルへと走る。
 対するウィルは腰の短剣を抜くかと思いきや、
「何ィ!?」
 手にしたものは《銀の竪琴》だった。
 ウィルは何を考えてか。
「ええい、愚弄しおって!」
 銀色の弦が爪弾かれた。
 鞘走るベネシストの必殺剣。それは普通の長剣<ロング・ソード>とは異なっていた。刃は片刃で、刀身はゆるやかなカーブを描いている。それが東方の異剣士たちが扱う《カタナ》と呼ばれる剣だとウィルは気づいただろうか。
 曲が奏でられた。
「ウィル!」
 ザクッ!
 ベネシストの一刀が美麗なる吟遊詩人を斬り伏せた。
 サリナはそのとき声も出なかった。あっけなさ過ぎた。人間はこうも簡単に死んでしまうのかと思った。
 降り積もった雪の上にウィルが倒れた。白い雪はアッという間に血を吸って、朱に染まる。白と黒と赤のコントラストは、なぜかサリナに現実味を持たせなかった。
 ウィルを斬ったベネシストは、《カタナ》をひと振りし、鞘に収めた。
「フッ、結局はただの吟遊詩人だったか」
「人殺し!」
 サリナは怒りに震えていた。ベネシストをねめつける。
「アンタを町の議会で裁判にかけてやる!」
「それは無理だな。余所者の生命など、町は考えてくれまい」
「あなただって余所者だったくせに!」
「何を言う。オレはもう何年も──!?」
 言いかけて、ベネシストは一瞬、うろたえた。
 ──オレがこの町へ来て、一体、何年経ったのだ!?
 明らかに記憶の欠落があった。生まれてから、このドールの町へ流れ着くまでのことはしっかりと憶えている。だが、ドールの町で暮らしてから今までのことは、何か霞がかかっているかのようにぼやけていた。
「と、とにかく、オレは町の人間同然。変な脅しはやめてもらおう」
 ベネシストは動揺を隠しながら、そう言い除けた。
 サリナは悔しさと悲しみに涙を流しかけた。
 ──と。
 不意に竪琴の音を聴いたような気がして、サリナはウィルの死体を見た。
「!」
 しかし、倒れたはずの所にウィルの姿はなく、代わりに竪琴の旋律がより鮮明になった。聞こえてくる方向に目を向けると、
「ウィル!」
 屋敷の鉄柵にもたれるようにして、吟遊詩人ウィルは立っていた。優雅に、そして悠然と。どこにも斬られた痕はない。
 驚いたのはサリナばかりではなかった。
「バカな!? オレは確かに貴様を斬った! 手応えだって──」
「お前はオレの歌を聴いた。“幻影<ミラージュ>”をな」
 ウィルはこともなげに言った。
 自分の腕に自信があっただけに、仕留め損ねたことにベネシストはショックを覚えた。いや、攻撃を交わされたのなら、まだ納得できたかも知れない。
 吟遊詩人ウィル。
 底知れない恐ろしさのようなものをベネシストは感じていた。
「行こう」
 ウィルはサリナを促した。硬直したようなベネシストを残して。


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