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吟遊詩人ウィル

呪縛人形

−11−

 翌日、ウィルはロムを伴って、サリナの家を訪れた。ウィルの顔を見るや、サリナの表情がパッと輝き出す。
「ウィル、見てよ! 母が元気になったのよ!」
 ベッドの方を見ると、サリナの言うとおり、昨日まで寝たきりだったはずのサリナの母が上半身を起こして、娘が作ったスープを口に運んでいた。見違えるような回復ぶりだ。これにはロムが目を見張る。
「おお、信じられねえ! もう起きあがれるまでになったのか!」
「ありがとうございます。あなた方のお陰で、このように良くなりました」
 サリナの母は心から感謝して、深々とおじぎをした。
「もう一度、診てみよう」
 ウィルはそう言って、昨日と同じようにサリナの母を診察した。やがて診察を終えたウィルがうなずく。
「毒の影響はほとんど抜けている。だが、長いこと寝たきりだったから、これから徐々に体力をつけていく必要があるだろう」
 ウィルの言葉に、サリナはホッと胸を撫で下ろした。とりあえず明るい見通しが立ったのだ。
「やれやれ、元気になって良かったぜ。これで心置きなく、次の町へ行けるな」
 大きく息を吐き出すように言うロムを見て、サリナはハッとし、笑顔が消えた。
 そうなのだ。ロムが旅の商人であるように、ウィルもまた、諸国を流れる吟遊詩人。いつまでもこの町に留まりはしない。
 サリナとしては、出来ればウィルにこのままそばにいて欲しかった。昔であれば、母との二人だけの暮らしに不安はなかったはずである。だが、ラカンとのただれた長い生活のせいで、どうやらサリナの心の中に、簡単には埋めることの出来ない隙間が出来てしまったようだ。
「失礼いたします」
 不意に戸口から声がかかり、一同は振り向いた。聞き覚えのない慇懃な声だ。サリナが首を傾げながら、応対に出た。
 戸口の外にいたのは、痩せぎすの見知らぬ男だった。貧相な顔の割に、仕立てのいい服を着ている。一見したところ、貴族に仕える使用人に見えた。
「私はグスカ様に仕えるズウと申す者。本日は当屋敷で行われる舞踏会に華を添えるため、そちらの吟遊詩人の方に演奏をお願いに参りました。日時は今夜、当屋敷にて。もちろん、それなりの謝礼は支払わせていただくつもりです。いかがでしょうか?」
 ズウと名乗る男は、直立不動の姿勢で、ウィルに依頼した。それにいち早く反応したのはサリナだ。
「凄いわ、ウィル! グスカ様に招かれるなんて! 人形屋敷での舞踏会! きっと素敵でしょうね!」
 夢見るような目つきで呟くサリナに、ウィルは表情を動かさない。その眼は真っ直ぐにズウを射抜いていた。
 しかし、ズウはウィルの視線を受けても、まったくたじろがなかった。さすがは人形屋敷の主に仕える執事といったところであろうか。普通の人間ならば、ウィルの視線に耐えられはしない。
「舞踏会で曲を奏でればいいのか?」
 ウィルは尋ねた。ズウが即座にうなずく。
「はい。町の人々を魅了したという演奏と美声、その噂は我が主人の耳にも届いております。ぜひ、直に聴いてみたいと申しておりました」
「ねえ、ウィル。グスカ様に認められるなんて、これはとても栄誉なことよ。どうか引き受けてあげて」
 サリナが言い添える。
 すると、初めてズウの表情が和らいだ。
「どうでしょう。もし、よろしければ、そちらのお嬢さんも舞踏会に参加してみませんか」
「わ、私が!?」
 これにはサリナも慌てた。貧しい環境で生まれ育ってきたサリナにとって、これまで上流社会との関わりは一切ない。自分が舞踏会に参加するなど考えたこともなかった。
「で、でも、私はそのような所に着ていく物などありませんし……」
 サリナは恥ずかしさで、顔から火が吹きだしそうだった。
 しかし、ズウは安心させるようにうなずいた。
「その点はご心配いりません。こちらでお嬢さんに似合いそうなドレスをご用意します。それにグスカ様は、貧富など気になさらないお方です。どうぞ、気を楽にして、ご参加ください」
「では、そうさせてもらおう」
 ウィルはサリナの答えを待たずに承諾した。
「ありがとうございます。それではお越しをお待ちしております」
 ズウは会釈すると、くるりと背を向けて、立ち去っていった。
 ズウの姿が見えなくなってから、サリナは真っ赤な顔をしてウィルに抗議した。
「ウィル! 勝手に決めないでよ! もう、どうするの? 私、ダンスなんか踊れないわよ!」
「ダンスなど、男のリードに身を任せていればいい。それよりも滅多にない経験だ。楽しめ」
 冗談なのか、気休めなのか、ウィルが真面目くさった顔で言うので、サリナはどう反応していいのか分からなくなった。
「では、また夜に会おう」
 ウィルはそう言うと、さっさとサリナの家から出て行ってしまった。それを慌てて、ロムが追いかける。サリナが引き止める間もなかった。
「お、おい、ウィル! 変だと思わないのかよ?」
 さっさと先を行くウィルに、ロムは言葉を投げかけた。
「何がだ?」
 歩きながら振り向きもせず、ウィルはロムに問い返す。ロムは早足でウィルの隣に並んだ。
「あのズウってヤツ、どうしてお前があの家にいると知っていたんだ? 宿屋のオヤジには、オレたちの行き先を教えていなかったはずだぜ」
「ここはヤツらの町だ。オレたちの動きなど、手に取るように分かるのだろう」
「それはどういう──」
 意味だ、と問いかけたロムだったが、ウィルの厳しい横顔を見て、口をつぐんでしまった。
 美貌の吟遊詩人の表情は、まるで死地に赴く戦士のそれに似ていた。


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