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吟遊詩人ウィル

呪縛人形

−12−

 夜になって、昨日からやんでいたはずの雪が降り始めた。
 強い風が戸口の布きれを叩き、隙間から冷気が吹きつけてくる。
 サリナの家には暖炉などというものはない。ヒビの入った大きな瓶<かめ>に薪をくべ、簡易的な暖房に仕立てているが、家のあちこちに隙間があるため、かなり近づかないと暖かくないし、近づきすぎれば煙が目にしみて、長い時間、その前にいられない。手っ取り早いのは、家にある衣類や布団で身体を包み込んで、早く寝てしまうことだ。
 だが、今夜は寝てしまうわけにはいかなかった。これからグスカの屋敷で舞踏会が開かれ、サリナはそれに招待されているのだから。
 まだ見たことのない上流社会。しかし、サリナには期待よりも不安の方が大きかった。何しろ、礼儀作法などまったく知らないのだ。グスカの招待客が自分をどんな目で見るか。それを考えると、空恐ろしい気になってくる。
 ──やっぱり、断ろう。
 サリナは決意した。自分には、そのような華やかな場は似合わない。それに、元々はウィルが演奏に招かれたのであって、サリナはおまけみたいなものだ。舞踏会に参加しなくても、グスカは気を悪くしないだろう。
 そう考えると、ようやく肩の荷が軽くなった気がしてきた。
 そこへ──
「こんばんは」
 いつの間に入ってきたものか、戸口にグスカの執事ズウが立っていた。午前中とまったく変わらずに。
 サリナは思わず、悲鳴を上げそうになった。
「お迎えにあがりました」
「私を?」
「はい」
 ズウはうなずいたが、ニコリともしなかった。
 サリナはベッドに寝ている母を見た。すでに熟睡してしまっているのか、布団にくるまったまま、何の反応も示さない。サリナは躊躇した。
「まだ、ウィルたちが来ていないんですが。それに私、何の準備も出来ていなくて」
「ご心配には及びません。今頃、ウィル様へも迎えが到着しておりましょう。お屋敷で会えますよ。それに、お嬢さんには我が主人がお召し物の準備をしております。お嬢さんは体一つでお越しくだされば結構でございます」
「で、でも……」
 サリナは弱々しく抵抗を試みた。断らなくては。私が行くべき所じゃないんだ。
 だが、ズウの言葉に、足は勝手に前へ動いていた。まったくサリナの意志とは関係なく。
「どうぞ、夢のようなひとときをお楽しみください」
 ズウはそう言うと、戸口の幕をサッとたぐりあげ、サリナを外へと促した。
 サリナの家の前には、四頭立ての立派な黒馬車が止まっていた。馬車の戸はすでに開け放たれている。サリナは何も考えずに乗り込んでいった。
 馬車の中には誰もいなかった。サリナ一人である。それなのに、先ほどまで誰かいたかのように、ほんのりと中は暖かい。サリナが座席に座ると、ズウが丁重に扉を閉めた。
 ほどなくして、馬車は走り出した。一路、グスカの人形屋敷へと。
 サリナは車窓から町を眺めた。
 雪が降り出した夜の町は、家路へと急ぐ人の姿が何人か見られただけで、生気がなく、とても淋しく感じられた。だが、馬車のスピードと高い目線はこれまでに体験したことのないもので、いつも見慣れたはずの町が別なもののように見える。ずっと住んでいた町がこんなにも小さいとは思いもしなかった。
 ガイアス公国最北の地ドール。サリナは生まれてからずっとこの地に押し込められてきた。一年のほとんどが雪と氷で覆われた、太陽の日差しが届かぬこの町で。楽しいことなど、数えるほどしかなかった。むしろ思い出と言えば、つらいことの方が多い。それでもいつかは幸せになるのだと強く心に秘めながら生きてきた。床に伏した母を支えながら、好きでもないラカンに抱かれながら。そんなサリナの幸せは、いつしか遠いものになってしまった。
 ──幸せって何だろう? 私の幸せって何なの?
 降り積もった雪がほのかに闇を照らす外を眺めながら、サリナは泣きたくなった。
 ──私はこの雪の中から、いつ出られるの?
 サリナの視界は涙でぼやけ、顔を両手で覆わなくてはいけなくなった。
 馬車はそんなサリナを乗せながら、いよいよ目的の地、グスカの人形屋敷へと到着した。
 敷地内に入っても、馬車はしばらく走り続けた。入口から屋敷まで、ドールの町半分くらいの距離があるためだ。
 ようやく悲しみから立ち直ったサリナが再び窓の外を覗くと、雪化粧をした林などと並んで、大きさも形もそれぞれ異なった奇妙な石像がそこかしこに配置されているのが見えた。これも人形屋敷と呼ばれる所以となったグスカのコレクションなのだろうか。
 庭にさえコレクションを飾っているグスカのことである、屋敷の中にはさらに驚くような物が陳列されているに違いない。どんな町の者でも、グスカの屋敷には足を踏み入れたことはないと言う。ひょっとすると、サリナが町の者としては初めての招待客かも知れない。そう考えると、サリナは少しだけ元気が戻ってきた。母を初め、町の人たちに話して聞かせたら、きっと楽しいだろうと。
 馬車はようやく止まった。すぐに扉が開かれる。ズウだ。彼はサリナを客人として遇し、うやうやしく一礼した。
「さあ、到着されましたぞ。グスカ様のお屋敷へようこそ」
 サリナは馬車から降りた。


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