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吟遊詩人ウィル

呪縛人形

−13−

 目の前に巨大な白い壁が立ちふさがっており、サリナは圧倒された。徐々に視線を上げていくと、その正体が判然とする。それこそグスカの屋敷であった。屋敷そのものは二階建てであるが、端から端が遠くに離れているため、まるで宮殿のような大きさだ。一瞬遅れてそのことに気づいたサリナは、それから感嘆の声を漏らした。
「これがグスカ様のお屋敷……」
 いつもは柵越しに遠くから眺めるだけだったグスカの屋敷が、こんなにも大きなものだとは想像もつかなかったサリナであった。それだけ庭が広大だったという証拠でもある。その偉容にサリナは呑まれた。
「さあ、どうぞ」
 気後れした様子のサリナに、ズウは表情一つ変えず、中に入るよう促した。サリナは誘われるままに足を踏み入れた。
 一歩中へ入ると、外の寒さは完全に遮断され、春のような暖かさがサリナの身を包んだ。しかし、辺りを見回しても、暖になりそうなものは見当たらない。ここまで広大な屋敷だと逆に寒々しさが支配しそうなものだが、そんなことはまったくなく、眠気をも誘いそうな心地よさが漂っていた。何か屋敷全体に仕掛けがあるのか、あるいは魔法なのか。サリナ自身、まるで夢の中に入り込んだような気分になってくる。
「では、まずはお召し替えを」
 ズウはそう言って、玄関ホール正面にあるカーブを描いた階段に、サリナを招いた。階段は左右に二つ対をなしているが、二階に上がったところでつながっている。どちらを登ったらいいものか、サリナは迷いかけたが、ズウが先に立って登ってくれたので、その後についていくことが出来た。
 二階へ上がると、左手にある扉へ案内された。ズウが開けると、中は衣裳部屋なのか、たくさんのドレスが吊り下げられ、大きな姿見がまやかしの奥行きを作り出している。侍女らしい女性も二名控えており、サリナが中へ入ると、軽く会釈してきた。
「舞踏会は間もなく始まります。お召し替えが終わりましたら、一階ホールの正面の扉からご入場ください。それでは」
 ズウはそう言って一礼すると、後のことを侍女たちに任せ、衣裳部屋から出ていった。
 サリナは一人、どうしていいのか困っていたが、すぐに侍女たちにうながされ、大きな姿見の前へ連れてこられた。
 姿見に映るサリナの姿は、服はつぎはぎやほころびだらけで薄汚れ、髪もボサボサの状態。そして、化粧はおろか、口紅一つもつけていない、そばかすが目立つ顔。見れば見るほど、みすぼらしい貧乏人のそれであり、こうして現実を直視してしまうと、サリナはまた逃げ出したい衝動に駆られた。
 だが、いきなり二人の侍女は巻き尺を持ち出し、サリナの身体を計り始めたので、動くに動けなくなってしまった。侍女たちの動きはテキパキとして、サリナにいろいろなポーズを取らせる。侍女の手がサリナの身体のあちこちに触れるたび、くすぐったさに身をよじりたくなったが、それも一生懸命にこらえた。
 侍女たちはサイズを計り終えると、今度はいきなりサリナの服を脱がせにかかった。驚いている暇もない。服はもちろんのこと、下着まで脱がされ、サリナは全裸にされた。
 さすがに女性同士とはいえ、裸身をさらすのは恥ずかしかった。だが、それを見ているはずの侍女たちは表情一つ変えない。彼女たちにしてみれば、当たり前の仕事なのかも知れなかった。となれば、サリナも我慢しなくてはならない。
 サリナは全裸のまま、台の上に乗せられた洗面器に向かって上体を折り、前もって用意されていたお湯をたっぷりと頭へかけられた。髪を洗っているのだ。侍女たちは慣れた手つきでサリナの髪をすき、汚れを落としていく。他人に頭を洗ってもらうのは気持ちよかった。
 髪の毛を洗い終えると、次に侍女たちは、新しいお湯を洗面器にくみ、しめらせたタオルを固く絞り、サリナの全身を拭き始めた。温かなタオルは気持ちよかったが、益々、羞恥心に顔が火照ってくる。自分で拭く、とサリナは言ってみたが、侍女たちはただ首を横に振り、黙々とサリナの身体をきれいにしていった。サリナは侍女たちが自分の身体を拭き終わるまで、必死に耐えた。特に侍女たちの手が乳房や局部に触れたときは、声を出さぬよう努めねばならなかった。
 身体を拭き終えた頃には、濡れていた髪の毛も少し乾いてきた。改めて姿見の自分をサリナは見る。生まれたままの姿。そこに先ほどのみすぼらしさは見受けられない。人間の身分とは、別のところに要因があって決められるものなのだとサリナは悟った。
 サリナはグスカが用意したという衣裳を次々と身につけていった。見たことも触ったこともない素材の下着、腰骨が折れそうなくらい締め付けられるコルセット、そして、気品あふれる豪華さで飾られた純白のドレス。さらには、まばゆい宝石が散りばめられたネックレスや黒髪に映える繊細な髪飾り、耳たぶが引っ張られるほど重たいイヤリング、さらに両中指には同じデザインが施された赤と緑の指輪をはめ、すっかりサリナは別人に変身していた。
「これが、私……」
 姿見に映る自分を見て、一番、驚いたのがサリナだった。自分で思わず見とれるほど、目の前のサリナは輝いて見えた。
 支度を終えた侍女たちは衣裳部屋の扉を開き、一礼した姿勢のまま、サリナを送り出した。
 サリナはヒールの高い靴を履かされていたため、自然、足取りも慎重になったが、それが上流階級の淑女そのものに見えた。長いスカートが降りる階段をこする。
 一階のホールに戻った。玄関の入口を背にすると、二つの階段にはさまれて大きな扉が一つある。サリナは意を決して、その扉へと進んだ。目の前まで来ると、手も触れずに扉が開かれる──
 目の前にきらびやかな光景が飛び込んできた。
 舞踏会の会場は、思わず屋内なのかとサリナが疑うほど、広大で、天井が高く造られていた。この中に、サリナが住んでいる小さな家を二十軒くらい建てられそうだと本気で考えたほどだ。その天井には、中央に巨大なシャンデリアが吊り下げられ、さらにその周囲を飾るようにして小さなシャンデリアがたくさん配置されている。夜だと言うのに、ここは昼間──いや、それ以上の明るさが作り出されていた。
 そこにはすでに大勢の人々が集まっていた。サリナと同じように着飾った人々。だが、誰一人、見知った者はいない。当然だ。町の者が簡単にグスカの屋敷に招かれるわけがないのだから。ここに集っているのは、おそらくガイアス内外から招待された貴族や富豪たちであろう。
 だが、彼らはいつの間にドールの町へやって来たのか。総勢二、三百名はいると思われる。それなのに、町の外からそのような者が訪れたという噂をサリナは聞いたことがなかった。


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