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「お召し替えがすんだようですね」
場に圧倒されているサリナに声をかけてくる者がいた。グスカの執事、ズウだ。ズウは来賓客用にシャンパンが注がれたグラスをいくつもトレイの上に乗せ、起用にバランスを保っていた。
サリナははにかんだ。
「こんな高い服を着るの、私、初めてで……」
「よく、お似合いですよ。舞踏会はもうすぐ始まります。それまで、ご歓談ください。お一つ、いかがですか?」
そう言ってズウは、トレイをサリナの方へ差し出した。金色の液体は見ているだけでもきれいだが、サリナはアルコールが苦手だ。それでも断っていいものか分からず、とりあえず一つ、受け取っておくことにした。
「それでは、ごゆっくり」
ズウはそう言い残すと、人混みの中に消えていった。
歓談と言っても、サリナに知り合いなどいない。いるとすれば、同じくグスカに招かれているはずのウィルくらいなものだ。もっともウィルは招待客ではなく、舞踏会の演奏家としてだが。
とにかく、どこかにウィルも来ているかも知れない。サリナはウィルを探してみることにした。
もし、ウィルが来ていて、演奏の準備をしているとなれば、おそらくは会場の前方にいるであろう。サリナは入口から奥へと進んだ。
会場はとても広く、しかも慣れないドレスと靴、それにシャンパン・グラスを片手に持ちながら、混雑した中を歩くのは、至難の業だった。誰かとぶつかって、シャンパンをこぼしては大変だ。サリナは気を使いながら進んだ。
「サリナ」
自分を呼ぶ声がし、サリナは振り向いた。その表情が途端に凍りつく。
呼び止めたのはドールの町のならず者、ラカンだった。
彼もまた、普段とはまったく違う着飾った衣裳を身につけており、見違えるようだった。ただし、卑しさが垣間見える笑顔は相変わらずだ。
「ラカン……」
サリナは思わず後ずさった。
「サリナ、見違えたぜ。そんなきれいなドレスなんか着てよお。やっぱり、お前はいい女だ。お前さえ考え直すなら、オレはやり直してやってもいいんだぜ」
そう言ってラカンは、サリナへと近づいてきた。
「何を今さら、考え直すって言うの? アンタ、私の母さんに何を飲ませてたのよ! 私、アンタがやってきたこと、全部お見通しなんだからね!」
サリナは言い放った。だが、ラカンはひるまない。むしろ笑っていた。
「それが何だって言うんだ? サリナ、オレがお前を愛していることに変わりはねえ。さあ、オレと一緒に来るんだ。お前の肉体はちゃんと憶えているはずだぜ。毎晩、オレが与えてやった女の悦びをよお」
「イヤよ、ふざけないで! 誰が二度とアンタなんかに抱かれたりするものですか!」
サリナは腕を振るようにして、ラカンを遠ざけようとした。だが、その手が他の招待客に当たりそうになり、動きが鈍る。その隙にラカンが距離を詰めた。
「素直になれよ、サリナ」
ラカンの手が伸びかけた。
そこへ、ヌッと大きな影が立ちふさがった。サリナもラカンも、その影を見上げる。
「き、貴様は!?」
「ロム!?」
「よお」
それは旅の商人であるロムだった。ロムもまた、他の招待客よろしく、正装に身を包んでいた。
「貴様、どうやってここへ入り込んだ!?」
ラカンはロムに詰問した。だが、ロムは平然と、
「ウィルの連れだと言ったら、中に入れてくれたぜ。まったく、ここの主人は懐が深いぜ。感心、感心。──それよりも、お前さんこそ、どうやって中に入ったんだ? お前さんも招待されたのか?」
と、逆に尋ねた。するとラカンは気色ばんだ。
「まさか、こっそり忍び込んだんじゃねえだろうな?」
ロムが鋭い視線を投げかけると、ラカンは一歩、後退した。
「貴様」
ラカンの眼には憎悪の炎が燃えていた。だが、ロムはにんまりとして見せる。
「ケンカなら、いつでも受けて立つぜ。また、のされるのがオチだろうがな」
ロムに挑発され、ラカンは苦々しい表情を作ったが、彼の腕っ節の強さはよく知っていた。それに、こんなところでケンカを始めるわけにもいかない。
ラカンは精一杯の睨みを利かせ、人混みの中に消えていった。
ラカンの姿が見えなくなってから、ようやくサリナはホッとしたように息を吐き出した。
「また助けてもらって。ありがとうございます」
サリナはロムに礼を言った。ロムが照れ笑いを作る。
「いやいや。ウィルに頼まれたんだよ。アンタのことが心配だってな。ウィルも演奏があるんで、ずっとそばにいてやるわけにもいかねえし。だからオレが代わりに、ボディガードを買って出たわけさ。それにここへ来れば、タダでうまい酒が飲めると思ってよ」
「そうだったんですか。何にせよ、助かりました。良かったら、コレ、飲みませんか?」
サリナはまだ一口も飲んでいないシャンパン・グラスをロムに差し出した。するとロムが嬉々とする。
「おっ、すまないねえなあ」
ロムはシャンパン・グラスを受け取ると、一気に空にしてしまった。
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