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舞踏会の会場から離れたラカンは、人気のない廊下を足早に歩いていた。時折、後ろを振り返ってみるが、誰もいない。だが、ラカンは何者かの視線を絶えず感じる気がして、薄気味の悪い顔をした。
そのラカンの足が、とある部屋の前で止まった。もう一度、廊下の左右を窺う。誰もいない。ラカンは素早くドアノブをつかんで扉を開けると、室内にその身を滑り込ませた。
その部屋は小さな応接室のようで、中は誰もいないのに明かりが灯されていた。その応接室には一人がけのソファが四つ、小さなテーブルを囲むようにして配置されている。足下は毛足の長い絨毯。右側の壁には大人三人が両手を広げても余るような大きさのサイドボードが据えられており、その上にこの屋敷の主人であるグスカのコレクションなのか、よく子供が抱えているような人形たちが所狭しと置かれていた。そのほとんどは女の子を模した人形だが、中には赤ん坊や道化師などが混ざっている。それも入ってきた者を出迎えるかのように、微妙にドアの方を向いているので、一瞬、それを見たラカンはドキッとした。
しかし、すぐにラカンは気を取り直し、部屋を横切って、窓に手をかけた。そのまま鍵を外して、窓を開ける。すぐに雪が吹き込んできた。
「ベネシスト!」
ラカンは夜の暗闇に向かって呼びかけた。誰かに気づかれるといけないので、声は押さえ気味だが、外の静寂の中で、それはよく通った。
すぐに雪で倍ぐらいに膨れ上がった茂みの陰から、一人の男が飛び出してきた。身を低くして、ラカンの方へと真っ直ぐに走ってくる。元傭兵というベネシストだ。
ベネシストは誰かに目撃されていないか周囲を警戒しながら、ラカンが開けた窓の縁へ足をかけた。ラカンもベネシストの手をつかんで引っ張り上げる。ベネシストが屋敷の中に侵入すると、即座にラカンは窓とカーテンを閉めた。その間に、ベネシストは体の雪を払いのける。
「ベネシスト、やっぱりお前の腕を借りることになった」
「………」
ベネシストは黙って、ラカンの顔を見た。
ベネシストは元々、ルッツ王国、ガイアス公国の同盟軍とスパルキア公国の戦争に参加していた傭兵だった。ベネシストが属したのはルッツ側。あわよくば戦いの功績を認められて、竜騎士<ドラゴン・ライダー>になろうというのが野心であった。
大国ルッツは、ガイアスの力も得て、スパルキア軍を何度目かの敗退に追い込んだ。ベネシストも目覚ましい活躍によって武勲をあげ、思惑通り、竜騎士<ドラゴン・ライダー>になることを許された。
しかし、竜騎士<ドラゴン・ライダー>になるには、『竜の試練』をパスしなければならなかった。これが最大の難関なのである。『竜の試練』とは、竜が多く生息する山岳部《ドラゴン・ファイア》へ単身で行き、一匹の竜に自分が主だと認めさせることだ。言うまでもなく危険が伴い、最悪は命を落とすことにもなる。
ベネシストは『竜の試練』を達成することは出来なかった。むしろ、竜たちの怒りを買い、命からがら逃げ出して来たのである。いや、命があっただけ、幸運だったと言うべきかも知れない。だが、ベネシストの自尊心はズタズタに引き裂かれた。
また、竜騎士<ドラゴン・ライダー>の国ルッツでは、『竜の試練』から逃げ出した者は、臆病者として非常に蔑まれる。ベネシストとて例外ではなかった。国中から白眼視される毎日。多大なる武勲を挙げたはずのベネシストの名誉は失墜し、半ば追い出されるようにして、隣国のガイアスへ流れてきた。
その最果てが、ここドールであった。そして、ベネシストの身の上をただ一人理解したのが、酒場で出会ったラカンだった。
ラカンの父は、昔、ドールの町では名の通った商人で、家も裕福だった。だが、ラカンが成人する前に父が急死するや、家は没落。町の人々の態度も手の平を返したようになり、それまでの暮らしぶりも反感を買う原因となって、風当たりが強くなった。
人間、いいときは愛想を良くしてくるが、落ちぶれると途端に冷たくなるというのを見てきたラカンとベネシストが、互いに同情し、理解したのは当然の成り行きと言えるだろう。二人は常に誓い合っていた。自分たちを見下した者たちに思い知らせるため、再びのし上がろうと。
特にベネシストは、ラカンの信頼に応えようとする気持ちが強かった。サリナたち、町の者からすれば、ラカンの言いなりのように見えていた。
「サリナの近くに、例の男がいやがる」
ラカンは苦々しげに言った。
「例の男? 吟遊詩人か?」
ベネシストの表情が、一瞬、強張った。
実際、吟遊詩人を斬ってくれとラカンに頼まれても、ベネシストにはその自信がなかった。昨日、この屋敷の前で斬りかかり、確かに手応えも感じたというのに、吟遊詩人は平然としていたのだ。しかも、相手は腰の短剣すら抜かず、竪琴を奏でる余裕さえあった。力量の差は明らか。ベネシストは《ドラゴン・ファイア》で竜<ドラゴン>に襲われた以来の戦慄を覚えた。
だが、ラカンは首を横に振った。
「吟遊詩人は今、舞踏会の曲を演奏中だ。聞こえるだろう?」
そう言われてベネシストは耳を澄ますと、確かに弾むようなテンポの演奏が微かに聞こえてくる。それは聞き覚えのある竪琴の音だ。
「それよりも邪魔なのは、旅の商人とか言う男だ。殴り合いで、オレと互角。相当やるぜ、ヤツは」
本当はラカンが負けたのであるが、あえてそのことは口に出さなかった。
「そいつを斬ればいいのか?」
「ああ。サリナさえ連れ出せれば、後はどうにでもなる」
「分かった」
ベネシストはうなずいた。
そこで、ふとサイドボードの人形に視線が行ったベネシストはギョッとした。人形たちが、まるでベネシストの方を見つめているように思えたからだ。
そんなベネシストの様子に、ラカンは笑った。
「何を驚いている? この屋敷の主人が集めた、ただの人形じゃないか。これから一人殺ってもらおうと言うのに、そんな調子じゃ困るぜ」
自分も入ってきたときは驚いたくせに、それを棚に上げてラカンはからかった。ベネシストはすぐに平静を取り戻す。
「すまない」
だが、このとき、ラカンも人形たちを見ていれば、ベネシスト以上に青くなったはずだ。
どうして、先程は入口の方へ向いていた人形たちが、今、反対である窓側へ向いているのかに気づけば!
だが、人形たちは沈黙したまま、ラカンたちに語りかけるようなことはなかった。
二人が企みを実行するため、部屋から廊下へ出ようとしたとき──
ガシャーン!
ガラスが砕けるような大きな音が響き、それに続いていくつもの悲鳴が聞こえてきた。舞踏会の会場の方だ。それは段々と大きなパニックになっていく。
ラカンとベネシストは思わず顔を見合わせた。そして、騒ぎとなった会場へと走り出す。
人形たちは扉が閉まりきるまで、その二人の背中を見送っていた。
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