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吟遊詩人ウィル

呪縛人形

−17−

「ウィルーっ!」
 サリナは悲痛な声を上げ、ウィルの方へと駆け寄ろうとした。
 会場はシャンデリアの落下に騒然とし、あちこちから女性たちの悲鳴が発せられていた。落ちたシャンデリアから離れようと、人々の輪が大きくなる。その動きに、サリナは行く手を遮られた。それでもウィルに近づこうとする。
「おい、危ねえ!」
 いきなり、サリナの腕が引かれ、高いヒールの靴のせいもあって、体勢を崩しかけた。引き留めたのはロムだ。サリナはすぐさま抗議しようとした。だが──
 ヒュン、という風を切るような音がした刹那、再びガラスの砕ける音が会場に響いた。大シャンデリアに続いて、小さなシャンデリアも落下したのだ。もし、ロムが引き留めてくれなければ、サリナを直撃していただろう。そう思うと血の気が引いた。
「他にも落ちてくるぞ!」
 誰かの声がした。皆、天井を見上げる。
 その言葉通り、天井いっぱいを埋め尽くしていたシャンデリアは、熟した果実が枝から離れるように、大勢の招待客がいる会場へと次々に落下した。
 それまで優雅な舞踏会に興じていた会場は、たちまち凄惨な地獄絵図と化した。逃げ遅れた者たちをシャンデリアが押し潰し、今度は砕けた破片が飛び散って、招待客に浴びせられた。それを顔面で受けてしまった者はたまらない。とっさに顔へ手をやったものの、それは逆に傷つけ、ケガを悪化させる結果となる。転倒すれば、全身に破片が突き刺さった。半狂乱な悲鳴が飛び交う。パニックはさらなる被害を生み、巻き添えを増加させた。
「ここはヤバい! 出るぞ!」
 サリナを抱きかかえるようにして、ロムは叫んだ。しかし、サリナは首を振る。
「でも、ウィルが!」
「バカ野郎! 今は自分の心配をしろ!」
 そう言うロムの額からも血が伝っていた。それを見てしまっては、サリナもこれ以上、強情を張るわけにはいかない。
「行くぞ!」
 ロムはそう言うと、サリナをかばいながら、一番近い出口へと走った。
 背後では、いつ終わるとも知れないガラスの砕ける音と恐怖に引きつった悲鳴がこだまする。だが、サリナもロムも必死だ。後ろを振り向くことはなかった。いや、その余裕すらない。
「がっ!」
 突然、ロムが喉の奥から絞り出すようなうめき声をあげ、その逃げ足が鈍った。サリナが心配になって、ロムの顔を見ようとする。
「い、いいから、早く走れ!」
 ロムはあえてそれを制した。そして、なおもサリナを守りながら、ようやく会場の出口へと転がり込む。
「ロムさん!」
 廊下に出るや、倒れ込んだロムを見て、サリナは悲痛な声を上げた。
 ロムの背中に、ちょうどスプーンの大きさと長さを持ったシャンデリアの一部が二つ、突き刺さっていた。サリナをかばって、ケガを負ったのだ。深く刺さっているのか、ロムの顔は苦痛に歪んでいる。
 サリナはシャンデリアの飾りを抜きにかかった。思い切って引き抜こうとすると、ロムが悲鳴を上げかけ、サリナもひるみそうになったが、躊躇していられない。目をつむって一気に抜いた。
「うあああああっ!」
 ロムは悲鳴を上げた。ラカンと格闘しても音を上げなかった男が、目に涙をためているのだ。相当、痛いに違いない。だが、突き刺さったシャンデリアの飾りはもう一つ。サリナは心の中でロムに詫びながら、もう一本を抜いた。
「ぐあああああっ!」
 再びロムの絶叫。このまま気絶できれば、その方が良かったかも知れない。だが、ロムは意識を保っていた。
 シャンデリアを抜いたものの、傷口からはとめどなく血が流れ出ていた。とりあえず傷口をふさぐ必要がある。サリナは自らのスカートの裾を手で裂いた。サリナの素足が露わになる。だが、それにかまわず、その布きれをガーゼ代わりにして、ロムの傷口に押し当てた。だが、純白の布きれはすぐ深紅に染まってしまう。
「誰か、誰か、助けてください!」
 サリナは助けを呼ぼうとした。だが、会場から逃げ出してきた人々は、皆、どこかへ走って行ってしまい、サリナたちのことなど目に入っていないかのようだ。もっとも、この騒ぎでは他人のことなどかまっていられないのだろうが、仮にも上流階級で生活している人々がここまで取り乱すのを見てしまうと、サリナなどは落胆の気持ちが大きかった。
 こうなったら自分でどうにかするしかない。それにウィルもまだ会場の中に取り残されているのだ。助けなくては。
 サリナは意志を強く持つと、倒れているロムを起きあがらせ、肩を貸しながら、とりあえず休ませる所を探そうと、廊下を進んだ。


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