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舞踏会の会場は壮絶な惨劇の場となった。
天井に吊り下げられていた大小のシャンデリアは、ほぼすべてが落下し、そのガラス片が床一面に散乱していた。さらに逃げ遅れた人々が折り重なるようにして倒れており、元々、真っ赤だった絨毯はどす黒く変色している。場内を占めるのは死の静寂。ただ一つ、シャンデリアを吊っていた鎖だけがまだ揺れながら、耳障りな音を立てていた。
「ほっほっほっ、愉快、愉快。これほどの見せ物は他にないな」
この惨状を目の当たりにしながら、耳を疑いたくなるような言葉を吐いたのは、誰あろう、この舞踏会の主催者で、当人形屋敷の主人でもあるグスカであった。
グスカは先程とまったく変わらず、会場前方にしつらえた椅子に、その身を沈めていた。
幸運にも、グスカがいる位置にシャンデリアは墜落しなかった。頭上にシャンデリアがなかったから──ではない。グスカの頭上の小さいシャンデリアだけが落下を免れていたのだ。まるで意図されていたかのように。
グスカは惨状を見回しながら、持っていたワイングラスで、一人、献杯をした。そして、グラスを口に持っていく。
赤い液体が喉に流し込まれると、グスカは途中で顔をしかめ、飲むのを止めた。そして、口をもぐもぐさせ、中から異物を吐き出す。それはガラス片だった。他のシャンデリアが砕けた際、グスカのグラスに紛れ込んだものか。グスカは吐き出したガラス片をジッと見つめた。
「ガラス入りのワインは美味かったか?」
不意に声が響き、グスカはビクッと体を震わせた。そして、眼だけで声の主を捜そうとする。
しかし、会場にはグスカ以外、生きている者の姿を認めることは出来なかった。では、声はどこから届けられたのか。
おもむろにグスカは頭上を振り仰いだ。静かに揺れているシャンデリア。その上に黒い人影が見えた。
何者か──グスカがそれを確かめようとした刹那、金属が断ち切られるような音がし、唯一残っていたシャンデリアが落下した。人形屋敷の主の上へ。
「ひっ!」
グスカは短い悲鳴を上げると、座っていた椅子ごと横倒しになった。そのまま球体に近い肉体は転がり、シャンデリアの落下地点から逃れることが出来る。派手な破砕音が会場に轟いたのは、その直後だった。
危ないところで難を逃れたグスカは、腰を抜かした格好で、砕け散ったシャンデリアと押し潰された自分の椅子を見つめた。そして、もう一度、天井を見上げようとする。
バッ!
そこへ黒い影が舞い降りてきた。まるで漆黒の翼を広げた化鳥のように。その翼がマントであると気づいたとき、グスカはその正体を悟った。
「き、貴様は……!?」
醜き大富豪の前に、壮麗なる吟遊詩人が立ち上がった。
ウィル。
その双眸は怜悧な鋭さを増し、グスカを射抜いた。
「オレ一人を殺るのに、随分と大仕掛けなことをする」
ウィルの口調は静かだが、殺気が込められていた。それを前にして震え上がらぬ者はいない。
「恐ろしいヤツ……」
グスカはうめくように呟いた。
最初に大シャンデリアが落下したとき、ウィルは天井へと跳んでいた。その超人的な跳躍は誰にも目撃されず、皆がシャンデリアの下敷きになったと思った。もっとも、続いて他のシャンデリアも次々に墜落し、その死を確認する余裕がなかったのだから無理もないが。
会場がパニックに陥る中、ウィルは断ち切られたシャンデリアの鎖から鎖へ飛び移りながら、グスカの頭上で息を潜めていたのである。そしてもちろん、グスカのワイングラスにガラス片を投げ込んでおいたのもウィルの仕業だ。
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