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吟遊詩人ウィル

呪縛人形

−21−

「くっ……!」
 ベネシストの一刀が振り下ろされたとき、さすがのロムも観念し、目を閉じた。
 だが、いくら待っても斬られる痛みは襲って来なかった。
 ひょっとして痛みを感じる暇もなく死んでしまったのか。ロムはそう考え、恐る恐る目を開けた。
 その瞬間、ロムは息を呑んだ。ベネシストの《カタナ》は、ロムの眉間すれすれで止められていたのである。それを直視して、ロムは反射的に目をつむってしまった。だが、どうも様子がおかしいと感じ、もう一度、今度は片目だけ開けてみる。
「やめだ」
 ベネシストはそう言うと、《カタナ》を軽々と扱い、鞘に収めた。どうやら助かったと分かり、ロムは脱力する。気がつくと、全身が冷や汗をかいていた。
 そんなロムを無視して、ベネシストは黙って立ち去ろうとした。
「ま、待てよ」
 ロムが呼び止める。今度は立ち止まったベネシストだが、振り返りはしなかった。
「いいのか、オレを斬らないで?」
 ロムは言った。先程まで、ベネシストの殺気は本物だったはずだ。どうして途中で《カタナ》を止めたのか、その理由を知りたかった。
 ベネシストは顔を背けたまま、かぶりを振った。
「ケガをしている無抵抗な男を斬っても、この剣が泣くだけだ。目的は達した。どこへなりとも行くがいい」
「お前……」
 ロムは起きあがろうとしながら、ベネシストの背中を見つめた。
「オレはこれまで何十人──いや、百人以上もの敵を斬ってきた。傭兵として戦う以上、自分の身を守るために、それは必要なことだった。だが──今のオレにお前を斬る理由はない。そのケガでは、オレをどうこう出来るはずがないからな。ラカン殿は殺せと言っていたが、それがオレに何をもたらすと言うのか。ここでお前の命を奪うことは簡単だ。だが、それはまったく意味がないことだ。ただ、それだけのことよ」
 ベネシストは静かに言った。ロムには段々とこの男が根っからの悪人でないと思えた。
「どうやら、アンタにはまだ剣士としての誇りがあるようだな。だが、そんなアンタが、なぜ、ラカンなんかに従っているんだ?」
 ロムは尋ねた。高潔な戦士と町のならず者の結びつきが分からなかった。
 ベネシストは答えた。
「別にオレはラカン殿に従っているわけではない。ただ、友として、ラカン殿の力になりたいだけだ。ラカン殿は何もかも失ったオレを理解してくれた、ただ一人の男だ。そのラカン殿に恩義を返す、それが悪いことだと言うのか?」
 ベネシストの言葉に、ロムは深くうなずいた。
「いや。アンタのそういう考え、オレも好きだぜ。でもよ、これだけは言わせてもらうぜ。ラカンは本当にお前の友としてふさわしい男なのか? 一人の女を執拗につけ回し、力ずくで自分のものにしようとするような男が。オレにはアンタとヤツが一緒にいること自体、理解できねえよ」
 そう言うロムに、ベネシストは少し苛立ちを覚えたのか、右拳が強く握られたように見えた。
「ラカン殿はサリナ殿を愛しているだけだ。その愛し方が、多少、歪んでいるかも知れんがな」
 ベネシストの口調は、やや強いものに変わっていた。
 すかさず、ロムが返す。
「多少? オレから言わせてもらえば、かなり歪んでいるとしか思えないね。お前は、サリナのそばにいたウィルやオレを斬れと言われたんだろ? 普通のヤツが、そこまで過激な行動に出るか?」
「………」
「お前はただ利用されているんじゃないか? その剣の腕前があれば、大抵のヤツは黙らせることが出来る。だから、ヤツは──」
「黙れ!」
 ベネシストは再び《カタナ》の柄に手をかけ、振り向きざまに抜刀しようとした。
 だが、そんなベネシストに対し、ロムはたじろがなかった。真正面から相手の目を見る。
 ベネシストもまた、ロムの眼を見た瞬間、居合の手を止めた。抜刀したスピードから考えても、攻撃を中止してみせた技量も大したものである。普通なら、相手に当たっていてもおかしくない。
 二人の間に、呼吸もはばかられるほどの緊張が走った。しばらく、互いの目による無言の会話がなされた。
 先に全身の力を抜いたのはベネシストの方だった。腰を低く落とした体勢から、普通の姿勢に戻る。だが、殺気だけは放たれたままだった。
「今度、ラカン殿を愚弄すれば、問答無用でお前を斬る」
「………」
 ロムは黙っていた。怖じ気づいたのではない。ベネシストの信念を自分では曲げられないと察したからだ。
 ベネシストはそのまま背を向けて、先程、ラカンとサリナが立ち去った方向へ歩き始めた。
 ロムには、その背中が見えなくなるまで、見送ることしか出来なかった。


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