←前頁]  [RED文庫]  [「吟遊詩人ウィル」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→



吟遊詩人ウィル

呪縛人形

−29−

 ウィルは床に転がった敵──つまり自分の姿を振り返る。もちろん、勝者は本物のウィルだ。
 魔人ウィル、まさか自分をも超越することが出来るのか。
 この事実に、グスカはわなないた。
「そ、そんなはずはない……どうして、相討ちにならんのだ?」
 ウィルは屍となった自分を見下ろしながら、静かに口を開いた。
「確かに武器は本物とまったく同じ物だった。だが、こちらの人形の方は似せたつもりでも、オレとは少し違っていた。その差が出た、ということだ。どうやら、失敗作だったようだな」
 その言葉に、グスカは愕然とした表情でウィルの顔を見た。そして、悟る。
 ウィルの複製を作るのは無理なことだったのだ。この男の魔性のごとき美しさ。すべての創造主たる神でも、それを再現してみせることは不可能であったろう。ましてや、グスカごときにそれが出来るはずもない。グスカはウィルに似た複製を作ることは出来ても、完璧な複製を作り上げることは出来なかったのだ。その神をも凌駕した美しさゆえに。
 吟遊詩人ウィル。
 この男ほど、敵に回して恐ろしい者はいなかった。
「くっ! おのれ!」
 もはや、勝ち目はないとグスカは悟った。せめて一矢を報いるべく、手にしていたサリナの人形を握りつぶそうとする。死なば諸共だ。
 その刹那、グスカの腕に、どこに身を潜めていたのか、小さな黒い影が飛びかかった。グスカの手の甲にサッと痛みが走り、思わずサリナの人形を取り落としてしまう。小さな黒い影は、それを空中でキャッチすると、ウィルのすぐ足下に着地した。
「にゃーん」
 その黒い影の正体は、一匹の黒猫だった。ウィルは黒猫が口にくわえたサリナの人形を受け取る。すると黒猫はウィルの黒いマントに同化するかのように、その姿を消した。
「使い魔か」
 グスカは引っかかれた手の甲を押さえながら、苦々しげに呟いた。
 グスカの言うとおり、黒猫はウィルの魔法が作り出した使い魔であった。使い魔には二種類がある。既存の動物と儀式契約を交わすことによって使役するものと、魔法によって一時的に創造する高レベルのものだ。ウィルが使ったのは後者のタイプで、グスカが舞踏会の会場から逃亡したときから、その追跡に使用していたものである。術者は使い魔と意思の疎通を図ることが可能で、だからこそ、ウィルは迷うことなく、グスカが逃げ込んだ場所を特定できたのだった。
「茶番は終わりだ」
 ウィルは冷たく言い放った。グスカは逃げようと、身を翻す。しかし、今度はウィルの呪文が完成する方が早かった。
「ヴィド・ブライム!」
 ファイヤー・ボールがグスカの肉体を直撃した。その威力にグスカの丸い肉体は弾き飛ばされ、執務机に背中から激突する。その衝撃と重みで、重厚なはずの机は音を立てて壊れた。
 人形屋敷の主グスカは全身を炎に包まれた。それでも執念で起きあがる。肉が焦げる異臭がコレクション・ルームに立ちこめた。
「わ、私は……私は……」
 火だるまとなったグスカは、よろよろとウィルへと歩み寄った。だが、その最後の力は尽きようとしている。ウィルが道を譲るように避けると、グスカはそのまま転ぶように突進し、ドールの町の模型の上に覆い被さった。
「私は……か……み……だ……」
 町の模型はたちまち燃え上がった。炎は束ねられていたカーテンに燃え移り、瞬く間にコレクション・ルームを火の海に変える。ウィルはただ冷然と、グスカの焼死体を眺めた。
「おお、旦那様!」
 奥の扉から、執事のズウが姿を現した。一目で主人の末路を見て取り、呆然と落涙する。火に包まれるのもいとわず、がっくりと膝を落とした。
 そんなズウに、ウィルは《光の短剣》を手にしたまま近づいた。まさか、主を亡くした男まで殺めようと言うのか。そこまで、この魔人は非情なのか。
 それでもズウは、主であるグスカの死に号泣し続けた。
「茶番は終わりだと言ったはずだ」
 ウィルは冷たく言い放った。ズウが一瞬だけ、泣き声を途絶えさせる。
「な、何のことでございましょう?」
 ズウは尋ねた。哀れさを隠れ蓑にして。
 だが、ウィルは容赦するつもりがないようだった。
「主と執事。その関係を見せられれば、誰もが騙されるだろう。しかし、木を隠すなら森の中、ということわざがある。執事はあくまでも人形だと思わせるため、何人もの複製を使って、オレを襲わせた。だが、人形であるならば、どうして主の死後もお前は生きていられる? すべてはお前が主を操っていたことを隠すために仕組んだこと。この屋敷の主は、そして、この町を本当に支配していたのは、お前だ。どうやら、芝居が過ぎたようだな」
「!」
 ウィルは《光の短剣》を一閃させた。だが、ズウはこれまでにない身の軽さとスピードで、その攻撃を回避する。
「ベルクカザーン!」
 ウィルもまた、ズウの動きを読んでいた。回避予測地点に向けて放たれた電撃魔法。青白い閃光は、ズウの体を貫いた。
「ギャアアアアアッ!」
 青白い炎がズウの全身を包み込む。そのままズウはガラス窓へと突進し、頭から外へと脱出した。焼け焦げた体を雪の中に突っ込むようにして、発火した炎を消す。
 ウィルもまた、破壊されたガラスの隙間から、雪が降る外へと身をくぐらせた。そして、トドメにもう一撃、電撃魔法を叩き込む。
 間一髪、ズウは飛び上がるようにして、魔法攻撃を避けた。そのままコレクション・ルームから屋敷全体へ炎が回ろうとしている屋根へ降り立つ。黒焦げになった服と肌が、ボロボロと剥がれると、異形の姿が現れた。
「よくぞ、見破ったな!」
 言葉は人間の言語そのままであったが、次第に不明瞭なものへと変化していた。それもそのはず、ズウの姿は白いサルになっていたのだ。ただし、腕が四本で、頭から二本の角のような突起を生やしたサルがいればの話だが。
「やはり、魔族か」
 ウィルは驚いた様子もなく呟いた。


<次頁へ>


←前頁]  [RED文庫]  [「吟遊詩人ウィル」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→