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吟遊詩人ウィル

呪縛人形

−30−

 魔族。それは異界に棲む邪悪なる種族である。
 数千年前、神々と繰り広げられたと言われる《魔界大戦》は、それまで続いていた天地創造の《黄金の時代》をおびやかした、大侵攻であった。その戦いは千年にも及び、最後は創造母神が自らの存在と引き替えに、魔界へ追い返したと伝えられている。だが、魔族は完全にこの世界から姿を消したわけではなかった。のちの《銀黎<ぎんれい>の時代》で繁栄した古代魔法王国が滅んだ原因とされる《大変動》も、魔族たちの再侵攻が引き金だったと多くの学者たちが唱えているし、現在の《鋼鉄の時代》でも各地で魔族の目撃例が後を絶たない。魔族たちは虎視眈々と人間界を狙っていた。
 今、ウィルの目の前にいる魔族も、その一匹に違いなかった。
「貴様ぁ、よくも人間の分際で、このタルボック様の楽しみを、ことごとく潰してくれたなぁ。このまま黙って見逃してやろうかとも思ったが、どうやらその命でもって償ってもらわなくちゃなんねえようだなぁ」
 魔族は人間が簡単に敵うような相手ではなかった。手練れの戦士と魔術師が数人組まなければ、互角には戦えない。上位の魔族に至っては、竜<ドラゴン>さえ凌駕するのだ。
 だが、タルボックと名乗る魔族に対するのは、普通の人間ではなかった。
 吟遊詩人ウィル。
 人は彼を魔人と恐れる。
 魔人VS魔族。
 本当の戦いは、今から始まる。
「バリウス!」
 先制攻撃を仕掛けたのはウィル。風は刃となり、タルボックに襲いかかった。だが、タルボックはそれを易々と跳躍して交わす。ウィルの背後に六本の手足で降り立った。
 ひるがえるウィルのマント。魔法による連続攻撃だ。
「ディノン!」
 マジック・ミサイルの三連射は、タルボックを逃さなかった。だが──
「ムダだ!」
 魔族は人間よりも魔力が高い。よってレジストする能力も比較にならなかった。マジック・ミサイル程度では、完全に弾かれてしまう。
 鋭く伸びたタルボックの爪が、ウィルを切り裂こうとした。
 ウィルは身をひねりながら、《光の短剣》を振るう。この武器の前では、さしもの魔族も強気に出られない。腕を切断されてはたまらないので、タルボックは攻撃を中断し、爪を引っ込めた。
 最初の攻撃は、両者とも決定打なく、再び間合いを取った。ウィルの魔法は効果が薄く、タルボックは《光の短剣》の前になかなか手出しが出来ない。どうするか。
 タルボックは二本の腕に雪を握りしめ、ウィルへと投げつけた。雪の塊は、即座にタルボックの複製を作り出す。二体のタルボックがウィルへ飛びかかった。
「ディノン!」
 ウィルはマジック・ミサイルで応戦した。複製のタルボックは、呆気ないほど簡単に消滅する。即席の分身なので、本体と違い、魔法抵抗力は皆無なのだ。
 その間に本物はウィルに接近戦を仕掛けていた。鋭い爪がウィルの胸元を掠める。
 タルボックは、そのサルに似た容姿同様、動きが素早く、トリッキーであった。ウィルの《光の短剣》を交わしつつ、その懐へ飛び込もうとする。
 ビュッ!
 タルボックの爪が、わずかにウィルのマントの端を捉えた。傷を負ったわけではない。だが、それはウィルがタルボックの間合いに引き込まれた証拠だった。危険な間合いだ。
「ガッツァ!」
 ウィルはタルボックの攻撃を回避しつつ、新たなる呪文を唱えた。魔族に魔法攻撃が通用しないことは分かっているはずなのに。
 だが、ウィルの狙いは別のところにあった。
 ウィルとタルボックを隔てるように、いきなり地面から雪をかぶった土の壁が盛り上がった。天然の障壁──アース・ウォールだ。これによって、両者は隔てられる。
 突如、出現したアース・ウォールに攻撃を阻まれたタルボックは、一瞬、戸惑った。
「ヴィド・ブライム!」
 再びウィルの魔法。ファイヤー・ボールの呪文だ。だが、その標的はタルボックではない。
 ドーーーン!
 ファイヤー・ボールは、ウィル自ら作り出したアース・ウォールに叩きつけられた。爆炎が上がり、瞬時にしてアース・ウォールを粉砕する。その余波は、そのまま反対側にいたタルボックにまで及んだ。大きな土の塊がタルボックに激突し、吹き飛ばす。
「ぐあああああっ!」
 魔法攻撃はともかく、爆風と土の塊までは防ぎようがない。タルボックはウィルの奇策に驚嘆した。
 しかし、そのような暇などなかった。その隙に乗じたウィルが、爆風の中をかいくぐりながら、タルボックに迫ったのだ!
 光の一閃。
「シャアアアアアッ!」
 タルボックが威嚇するように声を上げた。その胸元を《光の短剣》が斬り裂く。
 ズバッ!
 白い雪の上に斬られたタルボックの体が転がった。致命傷のはずだ。だが、その姿がかき消える。それを着地したウィルは目撃していた。
「仕留め損なったか」
 タルボックが消えた地点よりもさらに離れたところに、もう一匹のタルボックがいた。ダメージは土の塊に激突したものだけで、ウィルに斬られた跡はない。
 タルボックはアース・ウォールが爆破される寸前、ひとつかみしていた雪で身代わりを作り、ウィルに斬らせたのだった。でなければ、今頃、ウィルによって倒されていたはずだ。
 それにしても、たった一人の人間が魔族であるタルボックをここまで追いつめるとは。一番、驚愕していたのはタルボックだった。
「き、貴様、本当に人間か?」
 タルボックが疑うのも無理はない。ウィルの強さは上位魔族に匹敵する。
「まさか──」
 激しい戦闘の最中だというのに、少しの息の乱れも見せないウィルを、タルボックは戦慄を憶えながら見つめた。そして、自分の考えが恐ろしくなる。
「太古の大戦の折り、魔王様の末っ子が人間界に取り残されたと聞く。その王子は人間との混血で、神もうらやむほどの美しい容姿を持っていたとか。よもや、あなた様は──」
 王子の名を出そうとするタルボックをウィルは遮った。
「オレはただの吟遊詩人だ」


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