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路地を駆ける足音が、青年を眠りから覚まさせた。足音は二人、三人と続いていく。青年は目を開けた。朝靄の中に小さなシルエットが遠ざかっていく。腰と背中に押しつけられた石の床と壁は、体をしびれさせるほどに冷たかった。一応、マントにくるまるようにして寝ていたのだが、効果は薄かったらしい。青年は身震いすると、難儀な様子で立ち上がった。
「うっ、ててててて……！」
石造りの家の裏口でうずくまるようにして寝ていた姿勢がたたったのか、青年は腰の辺りを押さえて呻いた。しばらくその場で強張った筋肉をほぐす。時折、関節がぼきりと鳴った。
体をほぐし終えると、自分の装備を確認した。懐に入れた路銀の袋も、左の腰から下げた長剣＜ロング・ソード＞も無事だ。凍死するような季節ではないとは言え、外で──しかも街中で一晩をすごしていたら、身ぐるみ剥がされていても文句は言えない。特にこの街、ベギラでは。
ベギラは五大王国のひとつ、リルムンド王国の首都である。五大王国と言えば、このネフロン大陸でも屈指の大国のことを指すが、現在のリルムンド王国に昔のような繁栄はなかった。
リルムンド王国の現国王ソロン�言い蓮�博愛の心に満ち、公平を好む、良き権力者であった。臣下から敬愛され、領民たちもソロン�言い亮�世を喜んでいたが、彼がある改革に乗り出してから、今のような衰退を辿るはめになったのである。
それは奴隷制度の撤廃であった。リルムンド王国は建国以来、厳しい身分制度が定められ、貴族と一般の領民、そして戦争で滅ぼした国の民を奴隷として、大きく区別していた。しかし、すべての人間の平等を説くソロン�言い蓮�突然、奴隷たちを解放し、一般の国民としての生活を認めたのである。
だが、この性急すぎる改革は、至る所で問題を引き起こした。
まず、奴隷たちを使っていた貴族や平民たちから不満が噴出。今まで奴隷たちが行っていた仕事を、今度は自分たちが自らの手で行わなくてはならなくなったのだから無理もない。また、奴隷だった者たちに対し、いきなり接し方が変わるというのも簡単に馴染めることではなかった。これまで同じ人間として認めず、蔑み続けてきたのだ。それを肩を抱き合うような隣人のように思えと言うのは、よほどの聖人君主でもなければ出来ない相談だった。
一方、奴隷たちにも問題が発生した。自由になったものの、どうやって生活していけばいいのか分からないのだ。今までは仕事さえこなしていれば、食事と寝る場所は確保できていた。ところが自由の身になったがばかりに、今までの居場所からは立ち退かされ、仕事も失ってしまったのである。何か特殊な技術を持っている者はまだいい。だが、大半の者は力仕事や小間使いのようなものだ。しかも国王は奴隷を自由にしておきながら、彼らが暮らす場所までは用意しておらず、道端に家のない元奴隷たちがあふれかえった。
こうなると奴隷だった者たちも生きていくのに必死だ。盗みや強盗が増加し、それにともなう死傷事件も発生、瞬く間に国中の治安が悪化した。一番、奴隷が多かった王都ベギラは、特に最悪だ。かつては王国の繁栄を表すかのように厳粛で美しかった街並みはすさみ、汚され、やがて“無法都市”と呼ばれるまでになっていった。
そのベギラに目をつけた組織があった。盗賊ギルドである。
盗賊ギルドは様々な犯罪者を統括している裏社会の組織だ。その規模は大陸中に展開しており、どこに中枢があるのか明らかにされていない。
元々、奴隷解放以前からもベギラに隠れ家を持っていた盗賊ギルドだが、この治安の崩壊により、一気に組織を拡大させていった。奴隷から犯罪者へと転じた使えそうな者は組織に取り込み、その他のあぶれ者は人身売買で他国に売り払うという、大胆な活動を行ったのである。本来であれば、国が衛視をかき集めて、盗賊ギルドに対するのだろうが、今やそのような治世は瓦解していた。
良かれと思って行った奴隷解放が思わぬ結果を招き、国王ソロン�言い浪ε團戰�ラを捨て去った。今は西の紅陽海＜こうようかい＞に浮かぶラムダ島に、静養という名目で避難している有様だ。ベギラの街中央にそびえる王宮《ヨツンヘイム》は完全に閉鎖され、過去の栄華を伝える遺物と化している。
つまり、現在のベギラ──ひいてはリルムンド王国を支配しているのは、盗賊ギルドだと言えた。
よって、青年のように外で一夜を過ごすというのは、ここベギラにおいては常軌を逸した行動と言えるだろう。また、それでいながら何事もなく無事だったのだから、非常に幸運だったことも間違いない。
青年は朝靄で視界の悪さを気にしながら、通り過ぎていった足音の方へと歩き始めた。
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