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フードの人物がテーブルの間を縫うように歩くと、酒場の客たちは、皆、うろんな人物を見るような目で見送った。無理もないだろう。この《涸れ井戸》は、一見の客が寄りつくような酒場ではないのだ。さらに顔を隠したフード付きのマントはあからさまに怪しい。それでも、そこからトラブルへ発展するようなこともなかった。よく気の荒い常連客が黙って見逃したものである。
正体不明の客人も周囲からの敵視をひしひしと感じていたに違いない。その歩みは慎重で、突然、襲いかかられても対応できるよう、備えをしているらしかった。途中、大きな鳥籠の下を通り抜ける直前、フードをかぶった頭が上を向いた。それをジッと見下ろす鳥籠の中の女。やがて、それをも通り過ぎ、フードの人物は、美女に挟まれた青年のテーブルに辿り着いた。
フードの人物がテーブルのそばに立つと、その場に控えていた大男が背後へと回った。妙な行動を起こしたら、すぐに押さえられるようにだ。しかし、謎の客人はそれに構わず、真っ直ぐに座っている青年の方を向いた。それを見た青年がニヤリとする。
「ようこそ、《涸れ井戸》へ。長旅で疲れたろう。まあ、一杯やっちゃどうだ?」
青年は軽い口調で、客人に言った。すると、隣の美女が新しい杯にワインを注ぎ、立ち尽くすフードの人物に差し出す。だが、フードの人物はそんなものに目もくれなかった。
「どうした? ワインよりもエールの方が良かったか?」
青年は気分を害した様子もなく、むしろ楽しむかのように客人に尋ねた。するとフードの奥から、絞り出すような声が発せられる。
「あんたが盗賊ギルドのアッシュか?」
その声を聞いた周囲の者たちは、さらにフードの人物へ対する警戒心を高めた。
一人、悠然と構えているのは、“アッシュ”と名を尋ねられた青年のみ。
「そうだ」
青年はあっさりと自分がアッシュだと認めた。自分の杯を献杯してみせる。
「アッシュ!」
唸るような叫びがフードの男から放たれた。同時に手はフードの下に隠されていた長剣<ロング・ソード>へと伸びる。
その背後に立っていた大男は、当然、太い二の腕を回して締め上げるつもりだった。が、それよりも素早く、フードの男は身をかがめ、鞘から抜いた長剣<ロング・ソード>の切っ先を大男の足の甲へ突き刺す。
「ギャアアアアアッ!」
ゴリラのような悲鳴を大男は上げた。痛みに暴れる。それがフードの男の味方となった。向かい側や近くのテーブルからフードの男に襲いかかろうとした者たちが、暴れた大男の巻き添えになる。振り回した大木のような腕が、その他の常連客を薙ぎ払ったのだ。
酒場中、騒ぎとなった。全員が腰を浮かし、それぞれの武器に手を伸ばす。
そんな中でもアッシュだけは違った。テーブルからは立ち上がって後退こそしているものの、まだ、この状況を楽しんでいる。
「何者だ、貴様?」
誰何の声が飛んだ。
長剣<ロング・ソード>を構えた男は、バッとフードを脱いだ。そこから明るい金髪がこぼれ出る。無精ヒゲを生やしているが、きっとアッシュとそう変わらない年頃だろう。ただし、彼の眼は憤怒に燃えていた。
「オレはティーレのラーク! 《耳》を返してもらいに来た!」
ラークはそう怒鳴って、斬りかかってきた一人のならず者に剣を振るった。鋭い一撃で一瞬にして仕留める。剣の腕前にはかなりの覚えがありそうだ。それを見たアッシュの隣にいた美女たちが、キャーッという悲鳴を上げて逃げて行った。
だが、この《涸れ井戸》に集う他の輩は、そんなことでひるみもしない連中だ。むしろ、目の前の獲物を誰が仕留められるか、それを楽しむゲームにしてしまっている。
そんな危険の中、ラークの眼は、アッシュのみを捉えていた。
「捜したぞ、アッシュ! 貴様がやったことは許せない! その命をもって償え!」
「ふん、《耳》か? そうか、ティーレのな。だが、このオレが有効に使ってやろうと言うのだ。むしろ感謝してもらいたいものだな」
アッシュは甘いマスクを崩さず、せせら笑った。それがラークを腹立たせる。
「おのれ!」
アッシュを斬り伏せようと、剣を振り上げるラーク。
その間隙を突いて、アッシュの向かいに座っていた斜視のひどい薄汚れた男が、くわえていた長い爪楊枝を矢のように飛ばした。爪楊枝は真っ直ぐラークの左目へ飛ぶ。
間一髪、飛来した爪楊枝に気づいたラークは、左腕で顔をガードした。そのまま爪楊枝はラークの左手首に突き刺さる。だが、それほど深手ではない。ラークはわずかに顔をしかめただけで、すぐに爪楊枝を引き抜いて捨てた。
しかし、それはラークの足止めとしては充分だった。その間に酒場中の客がラークへと押し寄せてくる。アッシュを守るように多くの者たちが盾となった。
「ここが盗賊ギルドの酒場だと知って乗り込んできたのなら、余程、度胸があるのか、もしくは命知らずのバカだな」
アッシュは嘲笑した。ラーク以外はすべて敵。逃げ道などない。
ところが、ラークはそれを百も承知で飛び込んできたのだ。アッシュを斬るために。
だが、せっかくのチャンスを生かし切れなかった。このまま時間が経過するたびに、ラークの不利は否めない。ここは──
ラークはイスを踏み台にして、テーブルの上に登った。近づく無法者どもを蹴り飛ばし、長剣<ロング・ソード>で牽制する。それでも敵の数は多すぎた。次々とラークへ向かって剣が突き出される。
ラークはそれを避けようと、助走をつけて、隣のテーブルへと飛び移った。殺到する無法者たちの頭を跳び越える。皆、虚を突かれた。テーブルに着地したラークは、さらに出口の方へ向かって、次々と飛び移っていく。
「逃がすな!」
誰かが叫んだ。しかし、アッシュがいた奥のテーブルへほぼ全員が集まってしまったため、出口の方はがら空きに近い。唯一残っていた用心棒の片割れが、行く手を塞ごうとフロアへの階段を降りた。
それを見たラークは、頭上の鳥籠を見上げた。先程、美しい歌声を披露した女が、鳥籠の中から下を覗き込んでいる。二人の目線が合った。
ラークは長剣<ロング・ソード>を鞘に収めると、思い切り伸び上がり、鳥籠に飛びついた。弾みで鳥籠が大きく揺れ、中の女が後ろへ大きくよろめく。
それに構わず、ラークは懸垂で上によじ登り、鳥籠の扉へ手をかけた。鳥籠の扉は、別段、鍵がかかっているわけではない。留め金を外して、易々と開けることが出来た。
鳥籠の中の女はおびえるように尻込みをした。だが、ラークは強引に女の手首をつかむ。
「悪いが、付き合ってもらう!」
そう言って、ラークは女の手を引いた。そして、扉に手をかけたまま、さらに大きく鳥籠を揺らす。
下にいる無法者どもは、それを見上げて、どよめくことしか出来なかった。鳥籠は振り子のように振幅が大きくなり、吊り上げる鎖が悲鳴を上げる。
「何をしている! 出口を固めろ!」
初めてアッシュが声を荒げた。その声に、無法者たちはハッとする。しかし、遅すぎた。
バッ!
鳥籠が出口方向へ一番高く振れた瞬間、ラークは女を引っ張りながら扉から跳んだ。
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