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《皮剥通り》から、いくつの道を横切り、いくつの角を曲がっただろうか。かつて貴族の屋敷が密集していた《金蹄通り》へ二人は逃げ込んだ。もっとも、今ではここに住む貴族は一人もおらず、金品を狙った盗人にすっかり荒らされ、ゴーストタウンのようになっている。スラムよりもひどい有様だった。
途中、荷物からランタンを取りだしたラークは、その明かりを頼りに、夜道を走り続けていた。
するといきなり、女がラークの手を振りほどいた。ラークが驚いて、足を止める。
「どうした?」
「もう、この辺でいいだろう?」
女は苦しそうに膝へ手をやり、上体を屈ませながら言った。走り詰めで、息は絶え絶えだ。
「まったく、あんた、ムチャするねえ」
女は顔に似合わず、男のような言葉を使った。ラークはそんな女に頭を下げる。
「すまなかった。あなたまで危険な目に遭わせてしまって。しかし、こうする他なかったんだ」
ラークの謝罪に面食らった様子だったが、女はフンと鼻を鳴らす。
「あんた、誰を敵に回したのか分かっているのかい? 盗賊ギルドのアッシュと言えば、この街の中でも大物の幹部だよ。あいつに逆らって生き延びられたヤツを、私は知らないね」
女はこの余所者の青年に、この街がいかに危険であるか聞かせるつもりだったらしい。だが、ラークはそんなことでたじろぎもしなかった。
「そんなことは、このベギラに足を踏み入れたときから覚悟しているつもりだ。それにオレは、どうしてもあの男を許すわけにはいかない」
ラークは強い意志を秘めているようだった。奥歯が強く噛みしめられる。
そんなラークを見て、女は肩をすくめた。
「本当に命知らずだねえ、あんた。悪いことは言わない、このままベギラから立ち去った方がいいよ。私なら途中で逃げ出してきたってことにするからさ」
女は提案したが、ラークは頑として受け入れなかった。
「悪いが、あなたにはこのまま人質でいてもらう。どうやら、あなたはアッシュのお気に入りらしい。利用させてもらう」
「だから、あんたは何も分かっちゃいないんだ。アッシュが誰かのために自分を犠牲にするなんてことはない! あいつは恐ろしいヤツよ。私なんかが人質としての役に立つわけがないわ」
「いや、どの道、賽は投げられたんだ。オレが逃げても、刺客が差し向けられるだろう。それならば決着をつける」
「ああーっ、もお!」
女は鬱陶しそうに長い髪を掻き上げた。目の前のラークに苛々した様子だ。
それよりも、とラークは女に、
「あなたも少しはギルドに関係しているのだろう? ならば、どうして見ず知らずの男に人質にされたあなたがオレを助けた? あなたも何かギルドに恨みがあるのか?」
と尋ねた。
すると女はジッとラークを見つめる。
「まんざら見ず知らずってわけじゃないわよ」
女はそう言うと、おもむろに髪の毛を頭頂部からつかんだ。そして、引っ張る。
あっ、とラークは驚きの声を上げた。女の長い水色の髪は、呆気なく取れてしまったのだ。その下に現れたのは、ランタンの明かりの中でも鮮やかに見える、赤みがかった金髪であった。
「あなたは……」
化粧のせいでかなり印象が違って見えたが、その髪に見覚えがあった。今朝、ラークが朝靄の中で出会った女性に間違いない。
「今朝ほどはどうも」
女はニコリと愛想笑いをするわけでもなく、ラークに正体を明かした。
「まさか、あなただったとは……」
化粧やカツラは女のステージ衣裳なのだろう。しかし、すっかりラークは女の変身ぶりとその違いに驚きを隠せなかった。
「あら、全然、気づかなかったの? こんなイイ女を見間違えるだなんて、あなた、どうかしているわ」
「すみません」
女としては、ただからかうつもりだったのに、ラークがまともに謝ったので拍子抜けしてしまった。まったく、盗賊ギルドへ乗り込んできた勇気があるかと思えば、危うい人の良さも丸出しである。やはり、このような男は、ここベギラでは長く生き延びていけないだろう。
女は嘆息して、名乗り始めた。
「私はロベリア。見ての通り、《涸れ井戸》で歌を唄っているだけの女よ。あなたを助けたのは、今朝のコナーの件があったから。まあ、お詫びの印ってところね。だから、必要以上に感謝しないで。私は別にギルドに対して敵対しているわけでも何でもないんだから。この街で生きていくにはね、大なり小なり、ギルドに関わっていくことになるのよ。そうでなければ、この街で暮らしていくことは出来ないわ」
ロベリアは目の前の世間知らずな青年に言って聞かせた。ラークの目はひたむきで、真っ直ぐだ。この無法都市で育ってきたロベリアにとっては、直視できない眩しさがある。だが、すべての者たちが正しい行いをして生きていけるわけではない。ときには人を騙し、傷つけ、己を守っていかなくてはならないのだ。それをロベリアは教えてやりたかった。
だが、そう簡単にこのラークがうなずくはずがなかった。むしろ顔つきは険しくなる。
「ロベリア、あなたも今朝、言っていたはずだ。子供たちには真っ当な仕事をして暮らして欲しいと。悪に荷担すれば、誰かを傷つけるし、やがては自分に跳ね返ってくる。いくら生きていく上のこととは言え、それが正しいことか? 盗賊ギルドは悪だ。一掃すべき悪の組織だ。何もこのベギラで生きていかなくてはいけない道理もないだろう。もっと暮らしやすい土地に移ることも出来るはずだ」
ラークは実直なまでに語った。彼には信念があるのだ。だが、とロベリアは思う。
「あなたはこの国の人間じゃないでしょう?」
「そうだ。オレはカリーン王国の者だ。名はラークという」
「カリーン王国……。五大王国の中でも──いえ、大陸の中でも一番裕福な国よね? そんな楽園のようなところで生まれ育てば、あなたの言うような信念も持てるでしょう。でもね、私の国はここなの! 盗賊ギルドの影響下にあるリルムンド王国なのよ! 他国の人間が訳知り顔で、私たちの生き方に難癖をつけないで! それにあなたは盗賊ギルドの真の恐ろしさを知らないのよ!」
ロベリアの口調は次第に激しくなっていった。この余所者は何も知りはしないのだ。それなのに自分の信念を正論として押し通そうとしている。それが腹立たしかった。また同時に、ラークのような境遇に生まれてこなかった自分自身にも。ロベリアだって、このベギラから逃げ出したいと思わなかったことはない。
しかし、ラークは自身の信念を曲げなかった。
「どんなに盗賊ギルドが強大で恐ろしいとしても、オレはヤツらを許すことは出来ない! 特にあのアッシュという男はな!」
それほどまでに盗賊ギルドとアッシュを憎む理由とは何なのか。ロベリアは段々と興味を持ち始めた。
「あなた、どうしてそこまで……」
「ヤツは……ヤツらは……」
言いかけて、突然、ラークは足をふらつかせた。手からランタンを落とす。立っていられなくなり、廃屋の壁にもたれかかって、そのまま崩れ落ちた。
「どうしたの?」
ラークの異変に、さすがのロベリアも心配そうな顔を見せた。地面に落ちたランタンを拾い上げ、ラークの顔を覗き込む。
「!」
ラークの顔は血の気を失ったかのように真っ白になっていた。瞳孔が定まらず、全身に震えが及んでいる。
「まさか!?」
ロベリアはラークの左腕をつかんだ。手首の辺りが紫色に変色している。そこは《涸れ井戸》でギルドのドッグが吹きつけた爪楊枝が刺さった箇所だ。きっと、その先端には毒が仕込まれていたに違いない。
「ちょっと!? しっかりしてよ! ねえ!」
ロベリアは頬をはたきながら呼びかけたか、ラークの意識は瞬く間に失われ、とうとう、その場に倒れ込んでしまった。
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