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優しいハミングが耳に心地よく聞こえてきた。
ラークはうっすらと目を開けながら、地下酒場《涸れ井戸》で唄っていた美しい歌姫を思い出す。ロベリア。思考は徐々に鮮明になっていき、やがてすべてがハッキリしたとき、ラークはガバッと起きあがろうとした。しかし──
「うっ……！」
ラークに出来たことと言えば、うめき声を上げるのが精一杯だった。体はどういうわけかしびれており、まともに体を起こすこともできない。特にひどいのは左腕だった。まるでもぎ取られてしまったかのように、肩から指先の感覚がまったくない。
「おっ、気がつきやがったな」
近くで声がしたので、ラークは懸命に首を動かして、それが誰なのかを確かめようとした。ひょっとすると自分は盗賊ギルドに捕まってしまったのかも知れない。そんな悔しさをにじませながら。
だが、視界の隅に入ってきたのは、まだ幼さの残る顔立ちだった。見覚えがある。あの朝靄の中、ロベリアと一緒に出会ったコナー少年だ。
少年はラークが気がついたのを確かめると、へへっと笑った。初めて出会ったときは、わざと背伸びをしたような態度を取っていたが、今は年相応に見える。コナーは鼻の下を指でこすった。
「気がついたって？」
もうひとつの声が響きながら近づいてきた。女の声。しかし、ロベリアのものではない。
ラークの視界に、少女が顔を覗かせた。彼女も見たことがある。コナーたちと同じく、ロベリアからパンをもらっていた子供たちの一人だ。おそらくはコナーの次に年長と見られる少女で、背中には赤ん坊がすやすやと眠っていた。
「き、キミたちは……？」
うまく回らない口を必死に動かしながら、ラークはコナー少年たちに尋ねた。どうやら助かったことだけは確かなようだが。
「オレはコナー。こっちはドリス。悪いけど、あんたをここまで運ぶのは骨が折れたよ。まったく、ギルドに殴り込みをかけるだなんて、そんな無茶苦茶なヤツは初めてだ」
コナーはいっぱしに呆れ顔を作って、ラークに言った。その横でドリスが肘でつつく。
「何言ってるのよ？ 運んだのはロベリアじゃない。コナーはここを提供しただけでしょ？」
ドリスに指摘され、コナーは少し顔を引きつらせた。
「い、いいじゃんかよ、別に。盗賊ギルドにケンカを売ったのは確かなんだ。オレたちが助けなきゃ、こいつ、今頃は死んでてもおかしくないんだぜ！」
するとドリスが口を尖らせた。
「コナー！ そういう風に悪ぶるのはよしなさい！ みっともないわよ！」
「……お前、段々、ロベリアに似てきたんじゃねえか？」
首をすぼめながら、コナーは弱々しい抵抗を試みる。ドリスは、はーっと大袈裟にも思えるため息を長く吐き出した。
「あー、もお、これだからロベリアもコナー一人じゃ任せておけないと思って、私を呼んだのよ。──心配しないでください。あなたが動けるようになるまで、私たちが守りますから」
まだ言い足りなそうなコナーを牽制しつつ、ドリスはラークに優しく言った。どうやらロベリアは子供たちに頼んで、自分を助けてくれたらしい。
「す、すまない。ありがとう」
ラークは言葉に難儀しながらも礼を述べた。
とりあえず自分の身が安全だと分かると、他の疑問も浮かんできた。ラークはドリスに尋ねてみる。
「ここはどこだい？ ロベリアはどうしたんだ？」
ラークが寝かされているのは、何やら狭いトンネルの中のようだった。ラークが持っていたランタンとあらかじめ用意されていたらしいロウソクが明かりとなって、周囲を照らし出している。だが、どちらが出口なのか、さっぱり分からない。
「ここはオレ様のねぐらさ。ロベリアがどうしてもって言うから、ここに入れてやったんだ」
威張って言うコナーに、ドリスは睨みを利かせた。
「どこがあなたのねぐらですって？ ──ここは旧下水道の中。家もないベギラの人々の多くがねぐらにしている所よ」
ドリスの話によると、ベギラの地下には、すでに数百年前から下水道が発達し、街のあちこちへ伸びていたのだという。だが、長年の使用で一部が老朽化。そこで、まだソロン�言い�統治していた頃、大規模な工事が行われ、新しい下水道が造られたのである。それは新しく造られた部分と、まだ使用可能な古い部分をつなぎあわせたもので、老朽化した部分は閉鎖された。しかし、現在、奴隷解放を境に家を持たぬ者があふれ、最も貧しき者たちとしては、閉鎖された旧下水道を住処とせざるを得なかったのである。ここにはコナーの他にも、たくさんの貧民たちが体を丸めるようにして暮らしているのだった。
「ここなら盗賊ギルドの目も届かないと思うわ。余所者がこんなところを知っているとは、夢にも思わないだろうし」
「どうだかな。盗賊ギルドはそんなに甘くないぜ」
ラークを安心させようとして言うドリスに対し、コナーはわざと憎まれ口を叩いた。その頬をぎゅ〜っとドリスにつねられる。
「大丈夫よ。あとはきっとロベリアがうまくやってくれるわ」
「ロベリアは？」
ロベリアのことが気にかかり、ラークはドリスに尋ねた。
「一度、店に戻ったわ。ロベリアが戻らないと、ギルドの捜索は厳しいだろうし。きっと今頃はロベリアの話を信じて、《金蹄通り》をしらみつぶしに捜しているはずよ。だから、ここは安全のはず」
「そうか、すまない。キミたちにまで迷惑をかけてしまった」
ラークは謝罪した。もし盗賊ギルドにこのことが知られれば、たとえ子供と言えども、容赦なく制裁を受けるはずだ。それをもいとわずラークを助けようという二人。これはひとえに、ロベリアが子供たちに心の底から信頼されているからに他ならなかった。
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