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「ところで、オレはどれくらいの間、気絶していたんだ?」
ラークは二人に尋ねた。この旧下水道は安全だと言っているが、確かにコナーも言ったように、盗賊ギルドの追跡を侮ることは出来ない。何といっても、ここは彼らの街なのだ。ここがベギラである以上、余所者であるラークに安息の場所などありはしない。そして、時間を要すれば要するほど、発見される危険性は高くなる。
「もう外は日が昇り始めているよ。まあ、この街の場合、夜が明けた方が静かになるけれど」
コナーは冗談ぽく答えた。
それが本当だとすれば、ラークが気絶していたのはひと晩ということになる。アッシュに告げた取引の時間は日没。動かない体も、その頃には動くようになるだろうか。もっとも、人質であるロベリアは《涸れ井戸》に戻ってしまったのだから、わざわざラークが伝えたアプロポス河まで来るとは思えないが。
せっかくロベリアやコナーたちに助けてもらったラークだが、このままベギラから逃げ出すつもりはなかった。すでにギルドに対して宣戦布告し、その命が狙われていようとも。ラークには目的があった。アッシュが持っていると思われる《耳》を取り返すという大事な目的が。
ロベリアを人質に使って交換できないとなれば、別の方法を考えるしかなかった。ラークは動かない身体に不自由しながら、懸命に頭を働かせた。
「もうそろそろ行った方がいいんじゃない?」
「そうだな」
ドリスに促され、コナーは腰を上げた。
「どこへ行くんだ?」
ラークは目だけを動かして、コナーに尋ねた。
それに答えたのはドリスだった。
「ロベリアの代わり。多分、今頃、ロベリアはギルドで根掘り葉掘り話を聞かれているだろうから、みんなにパンを届ける人がいないでしょ? だから前もってコナーが頼まれていたの」
「じゃあ、ちょっくら行ってくらあ」
コナーはズボンの尻をはたきながら、ドリスに向かって言った。
「ギルドの連中には、くれぐれも気をつけて」
ドリスはコナーに忠告する。
「分かってるよ」
「それから、道草なんかしないで、真っ直ぐ帰ってきてよ。コナーが戻ってきたら、デイジーを返しに行かなくちゃいけないんだから」
そう言ってドリスは、おぶっている赤ん坊を持ち上げるような仕種を見せた。
「その赤ちゃんは、キミの兄弟じゃないのかい?」
ふと疑問に思って、ラークはドリスに訊いた。するとドリスは微笑む。
「ううん、これも仕事なの。夜働いているお母さんがいて、その間、私が子守りをしているのよ。いつもはその人の家で面倒見てるんだけどね、ロベリアに頼まれたから、こうして来たの。子守りなんて、どこでもできるしね」
すべてはラークのためだった。そう思うと、なおさら動けない自分が情けなくなってくる。
「ここは頼んだぜ」
「任せなさいって」
少年と少女は互いに顔を見合わせると、子供らしい笑顔を作った。
コナーは入り組んだ旧下水道の中を熟知しており、明かりも持たずに闇の中へ消えていった。外の世界の者ではこうはいかない。旧下水道は放棄されただけあって、ところどころに裂け目や崩落の跡が残され、十歩も進まぬうちに立ち往生するのが関の山だ。
コナーは念のため、いつも利用している出入口を避け、別のところから外へ出た。旧下水道はベギラの街のあらゆる場所へ通じているが、あくまでも閉鎖区間を通り抜けているだけで、決して利便性のいい経路はない。わずか三ブロック先へ移動するのに、とんでもない回り道をさせられることもあった。
外へ出ると、白い朝靄がコナーの体にまとわりついた。これならいいカモフラージュになるかも知れない。コナーはそんなことを考えながら、ロベリアの家へ向かった。
あらかじめ受け取っていた鍵でロベリアの家へ上り込み、用意されていたバスケットを持ち出した。こうなることを予期して、ロベリアが準備していたものである。コナーは出て行くときに鍵をかけ直し、みんなが待っている場所へと駆け出した。
ロベリアの家からみんなが待つ裏路地までは近い。コナーは早くパンを届けてやろうと急いだ。皆、この後、それぞれに仕事を持っているのだ。少しも時間を無駄に出来ない。
「うわっ!」
いきなり目の前に現れた大きな影に、コナーは避けきれずにぶつかった。転倒するが、パンが入っているバスケットだけは抱えるようにして守る。おかげで地面に顔をこすりつけることになった。
「おお、悪かったな、坊主」
「!」
コナーはドキッとした。
朝靄から姿を現したのは、薄汚れた印象のする斜視のひどい男だった。コナーも名前くらいは知っている。盗賊ギルドのドッグ。アッシュの片腕として、裏で暗躍している男だ。
ドッグは二人の手下を連れていた。さらにコナーの背後からは、三人の男たちが忍び寄る。確認するまでもなく、ギルドの手の者に違いなかった。
「そんなに急いでどこへ行く?」
「ど、どこだっていいだろ!」
ドッグに尋ねられ、コナーは虚勢を張ったが、いつもの元気はなかった。ドッグの右眼と左眼は、互いに違う方向へ向けられ、それが何を考えているのか分からなくさせる。コナーがひるむのも無理はない。
そんな少年の姿に、ドッグはくわえていた長い爪楊枝を上に向けるようにして、薄く笑った。
「今、ロベリアの家から出てきたよな?」
「!」
見られた! コナーはドッグの指摘に頭が真っ白になり、言葉を失った。
アッシュは一人で戻ってきたロベリアを完全には信用していなかったのである。ひょっとすると、ロベリアの家にラークが匿われている可能性を考えたのかも知れない。あいにく、ラークはいなかったが、そこへやって来たのがコナーというわけだ。
ドッグはゆっくりとコナーに近づき、自らしゃがみこんで、顔を覗き込んだ。思わず顔をそむけるコナー。
「さあ、どこへ行こうとしていた? その中身は何だ?」
ドッグはコナーのバスケットを奪うことも出来たが、あえてそうはしなかった。そんなことはいつでも出来ると、コナーに教えるかのように。
コナーは震えた。
「ぱ、パンだよ……ロベリアに頼まれたんだ……みんなに配るように……」
「ほう」
ドッグはさらに姿勢を低くし、下から覗き込むようにした。コナーは今すぐ逃げ出したかった。
ドッグはバスケットの蓋を少しだけ開けて、中を確かめた。コナーの言うとおり、パンが入っている。
「本当はあの男に届けるつもりじゃないのか?」
「ち、違うよ」
とっさに言ってから、コナーは、しまった、という顔をした。今の答え方では、コナーがラークを知っていることになる。
案の定、ドッグはニヤリとした。
「どの男について尋ねているか、お前には察しがついているようだな? さあ、教えるんだ。あの男がどこにいるのか」
「………」
「もちろん、タダでとは言わない。謝礼は出そう。なんなら、アッシュ様にお願いして、お前をギルドで取り立ててやってもいい。お前にだって分かるだろう? この街でギルドがいかに絶対であるか。お前がギルドの一員になれば、大きな力を持つことになる。もう、そんな貧しい暮らしをしなくてもすむんだ。さあ、どうだ? オレにあの男の居場所を教えてくれぬか?」
コナーの心は葛藤に揺れた。喉まで出かかっている言葉を、今にも吐き出してしまいそうだった。
「さあ、喋るんだ。そうすれば、お前はひと財産を手に出来るんだぞ」
ドッグの誘いにコナーの身体はフラフラとし始めた。これ以上は耐えられそうにない。コナーはドッグの質問に対し、とうとう口を割った……。
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