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ドリスのハミングを聴いていると、体を動かすことの出来ないラークは、そのまま眠ってしまいそうになった。また、下水道の中では小さなハミングもよく響く。
実際、ドリスは背中の赤ん坊のために、子守歌代わりとして聞かせているのだ。ついついラークの瞼が重くなってしまうのも無理はない。
ラークは眠気を払うため、ドリスに話しかけることにした。
「いい曲だね。何の歌だい?」
するとドリスはハミングをやめ、ラークにはにかんだ表情を見せた。
「さあ、私も知らないの。昔、ロベリアが今の私のように唄っていたのを憶えていただけ。小さかった頃、親がいなかった私をロベリアが面倒を見てくれたのよ。コナーもそう。ロベリアの弟だったマイケルが私たちと同じ年頃だったせいか、自分の弟妹のように思ってくれていたみたい。まあ、それは今でも変わらないけど」
「ロベリアには弟がいるのか?」
ドリスによって初めて知らされ、ラークは思わず口に出した。しかし、ドリスの表情が曇る。
「マイケルは半年前に死んでしまったわ」
「死んだ?」
問い返すラークに、ドリスはうなずいた。
「マイケルはね、盗賊ギルドの仕事に関わっていたの。麻薬の運び屋みたいなこと。ロベリアからは散々、やめるように言われていたんだけど、マイケルはそれを聞かなかったわ。マイケルにしてみれば、姉弟二人だけの貧しい暮らしを何とか楽にしたい一心からだったんだろうけど。そのうち、ただの運び屋では飽き足らなくなったマイケルは、盗賊ギルドの目をかすめて、少しずつ麻薬を盗んでいったの。それを自分で売った方がお金になるからって。でも、ギルドはそれを見逃さなかった。そんなに麻薬が欲しいなら、死ぬほど飲ませてやると脅されて、大量の薬を飲まされたの。マイケルは苦しんだそうよ。アッという間に中毒になって、じわじわと体を蝕まれてしまった。ロベリアは助けようとしたけれど、盗賊ギルドは非情な組織、そんな願いなど聞き遂げられなかったらしいわ。そのうちマイケルは死んでしまった……」
「………」
ドリスの話を聞いているだけで、ラークはやるせない気持ちになった。そして、ロベリアが盗賊ギルドに抱いている反発を、ようやく理解したような気がした。《涸れ井戸》で助けてくれたのは、何もラークに借りを返すことばかりではなく、弟を死に追いやった盗賊ギルドへの復讐でもあったのだ。
それと同時に、ギルドの恐ろしさも身に沁みて分かっているのだろう。だから、子供たちにはギルドと深く関わらせたくないと考え、狙われているラークを無事に逃がしたいと思っているのだ。
ラークとドリスが沈痛な面持ちで黙りこくっていると、こちらへ近づいてくる足音が聞こえてきた。どうやら走っているらしく、躊躇なくこちらへ向かっている。
ドリスの顔が緊張した。盗賊ギルドの追っ手だろうか。もし、そうだとすれば、明かりは消した方が得策に思えた。
「ドリス! オレだ!」
ロウソクを吹き消そうとした刹那、旧下水道に聞き覚えのある声が反響した。コナーだ。
ドリスはホッとして、トンネルの先を照らすようにした。
「もお、びっくりさせないでよ!」
ようやく明かりが届くところまでやって来たコナーに、ドリスは怒ったように言った。しかし、少年の顔を見て、その表情が変わる。
「どうしたの、その顔!?」
コナーは左の頬を擦り剥いていた。血がにじんでいる。それに息を弾ませるコナーの表情は強張っているように見えた。
「ヤツら、ロベリアの家を見張っていやがった!」
「えっ!?」
ドリスは声を失った。盗賊ギルドを甘く見てはいけないと頭では分かっていたはずだが、改めて、その恐ろしさを実感した気がする。
ロベリアは盗賊ギルドの連中がたむろする酒場《涸れ井戸》の人気歌手だ。そして、それはアッシュのお気に入りでもある。半年前、マイケルの一件があったとはいえ、ロベリアは表面上、ギルドに歯向かうような素振りを見せなかったはずだ。それを疑ってかかってきたということは。
「それでどうした?」
ショックを受けているドリスの代わりに、ラークが尋ねた。自分の身よりも、ロベリアの安全が気にかかる。
「オレ、つかまっちまって……」
「何ですって!?」
コナーの言葉を聞いて、ドリスは気絶しそうになった。かろうじて踏みとどまる。
「もお! だから、あれだけ気をつけてって言ったのに!」
「わ、悪い……でも、ここのことは教えてない。話せばギルドの一員にしてくれるとか言ってたけど、分かるもんか。だから、別の場所を教えておいた。今頃、ヤツら、必死になって捜しているはずさ」
「そんなウソついて、バレたらコナーもただじゃすまないわよ!」
「大丈夫だよ。知らない間に逃げたって言い通せば」
コナーはドリスにというよりも、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。一時はドッグたちに捕まり、どんなひどい目に遭わされるか、生きた心地がしなかったコナーである。何とか解放されたが、まだ血の気が引いているような感じがしていた。
「それよりも心配なのはロベリアだな。こうしてはいられない」
そう言うとラークは、歯を食いしばって、上半身を起こし始めた。それを見たコナーとドリスが驚く。
「お、おい」
「大丈夫なんですか?」
まだ毒の影響は強く残っていた。しかし、指一本すら動かせなかった先程に比べると、少しは力が入る。ただし、ドッグの爪楊枝が刺さった左腕は、未だに感覚がなかった。ラークは右腕一本で起きあがった。
「だ、大丈夫だ」
安心させるように言ったラークだが、額には脂汗が浮かんでいた。
「どうやらオレの毒が、まだ回っているようだな」
不意に陰気な声が響き、三人はハッとした。いつの間にか複数の気配が近づいてくる。
そして、その声はコナーにとって、先程の恐怖を思い出させるものに他ならなかった。
「そ、そんな、どうして……」
コナーは膝が震えた。
闇の中から斜視の男が現れる。アッシュの片腕であるドッグだ。
「小僧に着いてきて正解だったな。こうも簡単に案内してくれるとは」
ドッグはおぞましい笑みをコナーに向けた。
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