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吟遊詩人ウィル

暗黒街の歌姫

−14−

 ロベリアは背後を振り返った。
 酒場《涸れ井戸》を出て、朝食となる食材を馴染みの店で買い込み、自分の家に帰る途中である。物騒な町であるが、ロベリアが生活を送ってきた、いつもの光景がそこにはある。だが、今はそんな日常さえも、どこかに危険が潜んでいるような気さえした。先程から、ずっと後を着けられているように感じるのだ。
 時折、何気なく後ろを窺ってみるが、尾行をしているような怪しい人物は、まったく見当たらなかった。気のせいなのか。いや、それが盗賊ギルドの者であれば、易々とロベリアに発見できるわけがなかった。ゆえに直感こそが正しいのだと信じる。ロベリアは極力、平静を装って歩き続けた。
 《涸れ井戸》に戻ったロベリアへの追求は、予想通りだった。途中、訪れた美しき吟遊詩人によって、尋問は中断されたが、ウィルがいなくなると、アッシュはラークの行方を尋ねる質問を繰り返した。それこそ、うんざりするくらい同じ質問を。ラークはどこへ行ったのか。ハンサムで物腰の柔らかいアッシュだが、ロベリアに向けられるその眼は、決して笑みをたたえたものではなかった。アッシュがこの街で恐れられる所以のひとつだ。
 だが、ロベリアはそれを、知らないの一点張りで通した。また、どうして自分が疑われなくてはいけないのかと、怒りをぶちまける演技も見せた。そうまで頑強に否定すると、アッシュたちにしても、街の人間であるロベリアと余所者のラークとのつながりを見いだせず、手をこまねいていたように思える。長い時間、拘束されたが、やっと解放されたロベリアだった。
 とはいえ、あのアッシュが完全にロベリアを信じたとは思えなかった。ロベリアはアッシュお気に入りの歌い手だが、ギルドに歯向かうものだと知れば、ためらうことなく報復することだろう。ましてや、ロベリアは弟マイケルの件で、ギルドへの復讐心を持ってもおかしくないと、アッシュは睨んでいるに違いない。
 ロベリアは、匿われているラークのことが気にかかった。同時に、ラークの世話を頼んだコナーとドリスのことも。彼らはうまくやってくれているだろうか。いくら心配しても、もう自分が様子を見に行くのは、危険だろうと考えていた。すでにロベリアにはマークが着いていると思った方がいい。背後の気配は、ロベリアの猜疑心が生んでいる妄想ではないはずだ。そんな自分が動けば、ラークの所へ案内するようなものである。
 ロベリアはなるべく警戒していない風を装いながら、家の扉を開けた。薄暗い家の中を進み、一旦、買い込んだ食材をテーブルの上に置いてから、窓を開けに行く。部屋の換気という目的はもちろんだが、追跡者の有無を確かめる意味もある。眩しい太陽に目を細めながら、ロベリアは家の外を警戒した。だが、相変わらず、尾行している人物の姿は確認できない。ロベリアは大きく息を吐き出すと、窓をそのままにして、奥に引っ込んだ。
 ロベリアが用意していった子供たちの食料はなくなっている。きっと、コナーが持っていったに違いない。少なくとも、その時点でコナーやラークたちは無事だったということだ。ロベリアは少し安心した。
 着替えをし、遅い朝食を摂ると、ロベリアは眠くなった。盗賊ギルドに疑われているかも知れないというのに、自分でも呑気なものだと苦笑したくなる。だが、昨夜はラークに連れ去られる格好で《涸れ井戸》を飛び出し、色々と緊張した場面が続いた。自宅に戻って、ホッとしてしまうのも無理はない。
 とにかく、ひと眠りしようとベッドに向かいかけた刹那だった。開け放してある窓から、チチチチチッ、という小鳥のさえずりが聞こえてきた。
 それを耳にしたロベリアは、ハッとして、再び窓から外を覗いた。今の小鳥のさえずりは、本物ではなく、以前、ロベリアが歌などと一緒に、ドリスに教えてやったものである。ロベリアはドリスの姿を探した。
 いた。左へ数軒離れた家の陰に隠れるようにして、こちらを窺っている。その姿を見て、ロベリアは一気に眠気が吹っ飛んだ。
 ロベリアに用があれば、直接ここを訪ねればいいだけの話だ。それをわざわざ小鳥のさえずりを真似て、ロベリアに合図を送ってきたということは、何か他の者に知られたくない事情を抱えているということに相違ない。そして、今、それが思い当たるのは、ラークのことしかなかった。
 ドリスへの合図として、ロベリアも一度、窓から離れて、小鳥のさえずりを返した。これでドリスには伝わったはずだ。
 ロベリアは急いで、外へ出た。どこで見張られているのか分からないので、あくまでも自然に振る舞い、ドリスがいる方向へ歩く。ドリスもロベリアの姿を見たのだろう。慌てた様子で、飛び出してきた。だが、ロベリアはとっさに首を振り、ドリスを自重させる。そして、偶然、出会ったという風に手を振った。
「あら、ドリス。もうデイジーの子守りは終わったの?」
「え? う、うん」
「──ドリス、一緒に歩いて。普通に振る舞って」
 小声でささやくように、ロベリアはドリスに言った。ドリスはコクンとうなずく。
 ドリスはウィルに送り届けられ、とりあえずデイジーを母親に返してきた帰りだった。その後、どこかへ行こうとするウィルには、自分の家に帰った方がいいと言われたのだが、ロベリアの危機を早く伝えるべきだと考え、こうしてやって来たのである。
 二人は並ぶようにして歩いた。特に大したことでもない話題を喋りながら、途中、二人にしか聞こえない声でやりとりする。
「何かあったの?」
「ギルドがロベリアを疑っている」
「やっぱり……」
「コナーもロベリアの家に出入りしたんで、目をつけられてしまったの」
「何ですって? それで?」
「下水道にまでギルドの連中が来て、もう少しで殺されるところだったわ。でも、ウィルっていう人が私たちを助けてくれたの」
「ウィル……」
 《涸れ井戸》にやって来た、あの美貌の吟遊詩人だと、ロベリアはすぐに思い出した。数名のギルド構成員を前に、少しも臆することなく、しかも魔法の使い手らしい底知れぬ強さ。ただ者ではないと思っていたが、ドリスたちを助けたということは味方なのだろうか。
「それで、今はどこに?」
「アプロポス河の上流にある、昔のボート小屋。ウィルって人は、どこか行くところがあるからって、私とデイジーを送り届けてくれた後、どこかへ行ってしまったわ」
「そう。とにかく、このままじゃ、まずいわね。早くラークを街の外へ連れ出さないと」
「ロベリアも危ないよ。もう、ロベリアが匿ったって、ギルドにばれてるわ」
「分かっている。でも、みんなで行動したら、目立ってしまって──」
 ロベリアの言葉は途切れた。いきなり、三人の男たちが行く手を遮ったのだ。どれも簡単に悪事を働きそうな、凶悪な面構えだ。盗賊ギルドの者に違いない。ロベリアはとっさに、ドリスの前に出て、守るようにした。
「どこへ、お出かけかな?」
 薄ら笑いを浮かべながら、男の一人が声をかけてきた。ロベリアの顔が強張る。
「何よ、あんたたち? 私を《涸れ井戸》のロベリアと知って、こんなことをしているの?」
 酒場《涸れ井戸》の歌い手であるロベリアは、アッシュばかりでなく、他のギルドの連中からも慕われている。下っ端がロベリアに手を出すなど、言語道断であった。
 しかし、それでも男たちの笑みは消えない。そんなことは先刻承知とばかりに。
「知っているとも。オレたちはアッシュ様の命令で、お前を連れてくるよう仰せつかったんだ」
「アッシュに?」
 その間に、残る二人は左右に回り込み、ロベリアたちの退路を断った。力ずくでも、という姿勢が見えた。
「分かったわ。でも、彼女は帰してやって。関係ないわ」
 ひるまずに言うロベリアの上着の裾をドリスは引っ張った。行ってはいけないと言うのだ。だが、ロベリアとしてみたら、ドリスを巻き込むわけにはいかない。背中の少女を抱きしめるようにした。だが、それも拒否される。
「悪いな。命令は、もし誰かが一緒の場合、そいつも連れてこいって言われているんでね」
「そんな!?」
 ロベリアは気色ばんだ。だが、相手は三人。荒事に慣れた連中だ。ロベリアが立ち向かって、逃げ出せる可能性は低い。
 三人の男たちは、ジリッとロベリアたちに詰め寄った。


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