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ほどなくして、スマイルはウィルの所へ戻ってきた。あまりにも呆気ないほど早く。
「失礼いたしました。マダムがお会いするそうです」
うやうやしく招き入れようとするスマイル。それに驚いたのは八人の娼婦たちであった。マダムが簡単に取り次ぐ相手。このウィルという男は、一体、何者なのか。
ウィルは軽くうなずくと、スマイルの後に従って、奥へと進んだ。娼婦たちも、それに引き寄せられるかのように続く。
あまり歩かないうちに、スマイルは突き当たりにある扉の前で立ち止まった。そして、静かにノックする。
「マダム、お連れしました」
「通してちょうだい」
扉の向こうから返事があった。しかし、その声は──
「失礼します」
スマイルは扉を開けた。するとウィルの視界に豪奢な内装の部屋が飛び込んできた。
ピンクを主体にした花柄の壁紙、深紅の絨毯。広さは先程のロビーとほとんど同じくらいだ。入口の正面には大きな執務用の机が据えられ、その上には様々な香水の瓶が乗り、大きな花瓶に生けられた蘭がむせ返るような芳香を漂わせていた。しかし、ここまで派手さが覆っていると、毒々しささえ感じる。
「お久しぶりね、ウィル」
そう言って、娼館《堕楽館》のマダムは、化粧直しをしていたドレッサーから振り返った。
宮廷で貴婦人が身にまとうような華やかなドレス、時間をかけてセットされた髪の毛。だが、初対面の人物は必ず絶句するに違いない。なぜなら、それは明らかに肌の浅黒い、体格もがっしりした男だから。
マダムは再会を喜ぶかのように立ち上がると、気色悪いくらいに身をくねらせて、ウィルを出迎えた。
「まあ、相変わらずイイ男ねえ。また私に会いに来てくれるなんて嬉しいわ」
鳥肌が立ちそうな猫なで声を出して、マダムは喜びの声を上げた。
「お前も変わらないようだな」
無表情に話しかけるウィル。
マダムをお前呼ばわりしたウィルに、そばにいたスマイルは顔を引きつらせた。マダムをそう呼ぶ人物は、このベギラにはいない。そして、普通であれば、マダムがそれを許すはずがなかった。他の者には絶対に“マダム”としか呼ばせない。もし、“オカマ”などと呼んだりすれば、即座に命を失うことになる。
しかし、ウィルだけは特別なのか、マダムは気にした様子も見せなかった。とりあえず、スマイルはホッと胸を撫で下ろす。
「ちょいと!」
それも束の間だった。マダムがキッとスマイルたちの方を睨む。
「何をぞろぞろと着いてきてるのよ? 私の客人よ! アンタたちには関係ないわ! とっとと出ておいき!」
マダムは金切り声で、一緒に着いてきた娼婦たちに言った。娼婦たちはそろって首をすぼめ、まだウィルのことが気になりつつ、ロビーの方へと退散していく。
「まったく、イイ男となると見境がない連中なんだから。──それとスマイル、アンタも席を外して頂戴」
「え? しかし、マダム──」
「いいのよ。早く席を外して頂戴」
「……かしこまりました」
スマイルは不承不承うなずくと、マダムの部屋から退室した。
部屋に残ったのはマダムとウィル。マダムは妖艶な笑みを浮かべながら、執務用の机に移動した。
「アンタも座ったらどう?」
マダムはウィルの左手にあるソファを指し示した。だが、ウィルは、
「結構だ」
と、あっさり断る。
マダムはそんなウィルの反応に笑った。
「そんなところまで相変わらずねえ。それでこそアンタらしいわ。──五年ぶり、くらいになるかしら?」
遠い目をして語りかけるマダムは、香水の瓶をひとつ選び取ると、それを自分の首元に振りまいた。室内の芳香が、益々、濃厚に立ちこめる。
「以前、来たときは、まだ国王が王宮にいて、お前たちがここを支配する前だった」
「そうそう、そうだったわね」
「お前もまだ、ギルド・マスターにはなっていなかったな」
「………」
ベギラの街を支配する盗賊ギルド。だが、そのボスが誰であるか、それを知っているのはギルドの構成員でも数人の幹部しか知らないと言われている。
今、ウィルの目の前にいる女装趣味の人物こそ、ベギラのギルド・マスター、マダムであった。
「知ってたの?」
さほど意外でもなさそうにマダムは尋ねた。
「オレは吟遊詩人だ。いろいろと噂は耳に入ってくる」
「ということは、別に懐かしくなって、ここへ来たというわけでもなさそうね」
マダムは煙管<キセル>を取り出すと、刻み煙草を詰めて、アロマ・キャンドルの炎で火をつけた。そして、ゆっくりと吸い込み、紫煙を吐き出す。その間、ウィルから目を離すことはなかった。
「それで、何の用なの?」
少しだけマダムの声のトーンが変わった。
「《恭順の耳》を知っているか?」
ウィルに問われ、マダムの眉がひそめられた。
「《恭順の耳》? あのマジック・アイテムの? まあ、私もこんな商売だから、名前ぐらいは知っているけど」
「お前のところのアッシュという男が、その《恭順の耳》を手に入れたらしい」
「あの子が?」
優男であるアッシュを“あの子”と呼ぶのは、いかにもマダムらしかった。だが、怪訝そうな表情には変わりない。
「どうやら、知らなかったらしいな。実は、その《恭順の耳》を追って、ある男がこの街へ来ている。そいつは《恭順の耳》を取り返そうと、ギルドとひと悶着を起こしてな。オレはそいつを連れて帰るよう頼まれている。だが、このままでは無事に済みそうにない」
「そこで私に仲裁に入れと言うのね?」
ウィルは黙ってうなずいた。
「タダで、とは言わない。《恭順の耳》は、そっちで好きにすればいい」
「いいのかい?」
「そちらもただ働きというわけにはいかないだろう。こちらは、そいつや、それに関わった者たちへの身の安全を保証してもらえればいい」
ウィルの申し出に対して、マダムは考え込むように、イスにもたれた。そして、思考を巡らせるように、煙管<キセル>をくゆらせる。
「アッシュが《恭順の耳》を手に入れてただなんて、初めて聞いたわ」
マダムは呟くように言った。
マジック・アイテムなどの高価な物を入手した場合、ギルドのボスであるマダムに報告することは義務であった。それを怠った場合、何らかの制裁を受けねばならない。それが盗賊ギルドの鉄の掟。ギルドの構成員にそれを厳守させることはとても重要で、そうでもしなければ、とてもではないが無法者ぞろいの連中を統括できるわけがなかった。
「まあ、あの子は元々、上昇志向が高いのよ。今の地位に飽きたらず、もっと上を狙っているんでしょう。そこが可愛いところでもあるんだけど」
「しかし、これはお前に対する裏切り行為にも等しいのではないか?」
ウィルの言葉に、マダムは思わず苦笑してしまう。
「確かにね。あの子をあそこまで育てたのは私。今のスマイルのようにね。いつかはこういう日が来るかもって思ってたけど。──それにしてもウィル、アンタだったら簡単にアッシュを黙らせることが出来るんじゃなくて?」
「いや、今回はなるべく穏便に済ませた方がいいと思った。ギルドを敵に回すと、後々まで恐ろしいからな」
真面目腐って言うウィルに、マダムは吹き出した。
「何言ってんのよ。アンタがその気になれば、ギルドの壊滅なんて容易いことじゃない。アンタのことは、老人たちやあのお方も一目置いているわ」
それはネフロン大陸全土の盗賊ギルドを支配する、マダムにとってすら雲の上の人物たちのことだった。
マダムはそう言い終えると、再び思索に入った。
やがて、煙管<キセル>を灰皿に叩きつけるようにして灰を捨てた。そして、マダムは決断したように、一息吐き出す。
「分かったわ。こちらからはアッシュに手を引くよう言ってみる。でも、必ずしも成功するとは限らないから覚悟してて。さっきも言ったけど、あの子は私ですら平気で裏切りかねないからね」
「分かった」
ウィルはそれで充分だと納得したのか、引き止める間もなく、そそくさとマダムの部屋から出て行った。
マダムは呆気にとられながらも、いかにもウィルらしいと微笑んだ。そして、ハンカチで額の汗を拭う。ウィルと対面した短い間、表面には出さないようにしていたが、実はかなりの緊張を強いられたのである。それはウィルの恐ろしさを知っているが所以であった。
再び煙管<キセル>に刻み煙草を詰め込んでいると、しばらくしてスマイルが入ってきた。
「お帰りになりました」
「ご苦労様」
「あの、マダム。ひとつ、訊いてもよろしいでしょうか?」
スマイルがおずおずと尋ねた。
「何?」
「あのウィルという人は、一体?」
マダムは答える前に、煙管<キセル>に火をつけた。
「恐ろしい男よ。この世界の誰よりも、ね」
「………」
「スマイル、悪いけど今から手紙を書くから、それをフィアーに届けて頂戴」
マダムの口から“フィアー”という名前が出て、スマイルの表情は強張った。
「い、いいのですか、マダム?」
「アッシュが大人しく従うとは思えないわ。最悪、始末する必要も出てくるからね」
「でも……」
「何を恐れているの? フィアーが必ずしもアッシュを斃せるとは限らないわ。返り討ちに遭うかも」
「それじゃあ、余計に……!」
一人で焦っているスマイルに、マダムはおぞましい微笑みを向けた。
「いいのよ。重要なのは、私がウィルとの約束を守ろうとしたという事実。その結果がどうなろうと、私の知ったことではないわ。いえ、あわよくば、アッシュとの衝突が避けられなくなって、ウィルを始末してくれれば、これ以上のことはないのだけれど」
マダムの笑みは邪悪に歪んだ。スマイルはゾッとする。彼は、ベギラ随一と呼ばれる娼館の主の顔ではなく、ギルド・マスターの本性を見てしまったのだった。
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