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吟遊詩人ウィル

暗黒街の歌姫

−18−

 ピーッ、という鋭い指笛が響いた。それに続いて、ひたひたと近づいてくる足音。程なくして、それぞれの道をやって来た男たちが十字路で顔を合わせる。ひそめられた会話が素早く交わされ、また四方へと散っていった。
 その十字路を見下ろすことが出来る二階の窓から、ロベリアはその一部始終を窺っていた。今のは盗賊ギルドの構成員に違いない。そして、彼らが捜しているのは、ロベリアとラークであった。
「どうだ?」
 ロベリアの後ろでラークが尋ねた。ロベリアは肩をすくめがちに、首を横に振る。
「ダメね。余計に人員が導入された感じだわ。今、外へ出るのは危険よ」
「そうか」
「夜まで待ってみても、状況は変わらないかも」
「そ、そうとも……お前らは逃げられっこない……あきらめるんだな……」
 二人の会話に第三者が口を挟んだ。苦しく喘ぐような声。それを聞いて、ロベリアの表情が険しくなった。
「アンタねえ──!」
「やめろ、ロベリア」
 憤るロベリアをラークがなだめた。止めなければ、今のロベリアは何をし出すか分からない。こんなロベリアを見るのは初めてだった。
 そんなロベリアを力ない笑みで見上げているのは、盗賊ギルドのピットという男だった。すでに片方の耳がそぎ落とされ、腹部からも大量の血を流して、床に転がっている。彼をこんな目に遭わせたのは、言うまでもなくラークだった。
 盗賊ギルドに捕まりかけていたロベリアとドリスを助けたラークであったが、近くにはまだ敵が捜しており、三人で隠れ家にしているボート小屋へ向かうのは至難の業であった。そこで、本来は盗賊ギルドに狙われていないドリスのみをボート小屋へ向かわせ、ラークたちは近くのどこかで潜伏しようということになったのである。ドリスは渋ったが、うまくすればウィルに助けを求めることが出来ると諭し、半ば強引に行かせたのだった。
 ドリスを逃がすことが出来た二人は、次にロベリアの手引きで、ここ、盗賊ギルドのピットのアジトへと急いだ。ピットはベギラの盗賊ギルドで、麻薬の売買を専門に扱っている男である。ロベリアの弟マイケルを麻薬漬けにして殺したのは、この男だ。当然、ロベリアが一番憎んでいる相手である。
 ギルドが自分たちを捜しているなら、あえて、そのアジトに身を隠すというのはどうだろうかと、ロベリアは提案してきたのだった。幸い、ロベリアの家とピットのアジトは、そう離れていない。ラークは考える余地も見いだせず、それに賛成した。
 ピットのアジトへ辿り着いた二人は、ひとまずラークが身を隠し、ロベリアがたまたま尋ねて行ったという芝居を演じた。ピットのアジトには、昼間ということもあって、たった一人の部下しかおらず、ロベリアの訪問にも無警戒であった。どうやら、ロベリアがギルドに盾突いたという話は、まだ伝わっていなかったらしい。アジトの入口が開けられた瞬間、長剣<ロング・ソード>を抜いたラークが突入した。
 あとはアッという間の出来事である。ピットの部下は一撃で殺され、不意を打たれたピット自身も抵抗できなかった。ベギラの街全体を盗賊ギルドが支配しているため、襲撃の心配など普段からしていなかったに違いない。二人が予想していたよりも容易く、ピットのアジトを占拠することが出来た。
 アジトの主ピットは、このまま放っておけば死ぬしかないというのに笑っていた。多分、薬をやっているのだ。そんなピットを憎悪のこもった目で見つめるロベリアは、唇を震わせていた。
 もしかすると、とラークは、そんなロベリアを見ながら思う。自分はロベリアの復讐に、まんまと手を貸すことになったのではないか。隠れ家の確保は方便に過ぎず、本当の目的はこれだったのではないかと。
 盗賊ギルドを潰そうかというラークだ。ロベリアの弟マイケルの話も聞いているし、今、目の前で死んでいこうとするピットのような外道を哀れとは思わない。しかし、ラークは心が冷えていくような感覚を覚えていた。復讐を成し遂げようとする人間の心には凍てついた闇が巣くっている。ラークはそれに触れた気がした。
 だが、自分もまた、復讐を望む者だ。ラークの脳裏に悲しげな少女の顔が浮かぶ。盗賊ギルドが憎い。アッシュが憎い。それは剣に誓ったものだ。ラークはもう一度、自分の中のどす黒い炎を燃やそうとした。
「ねえ、あなたはどうしてそこまでギルドを恨むの?」
 ラークの心を見透かすかのように、ロベリアが尋ねてきた。無法都市ベギラで生まれ育ってきた女と、日の当たった、まったく違う人生を歩んできた男。一見、対照的に見える二人だが、実は互いにどこか似たものを感じているようだった。
 ロベリアの問いに、ラークはピットから油断なく目を離さないようにしながら、語り始めた。
「オレがカリーン王国の生まれだってのは、夕べも話しただろ?」
「ええ」
「うちは代々下級騎士の家系で、昨年、オレは騎士見習いとして王都へ上った。家には老いた両親と妹、そして、長年仕えてくれる執事とメイドが一人ずつ。まあ、貴族と言っても、大した家柄じゃない。ちょっとした田舎の領主ってところさ。そこへふらりと一人の吟遊詩人が現れた」
「吟遊詩人?」
 ロベリアは、ふと、あることを思い出した。
「ああ。家族たちの話では、長旅でかなり疲れているようだったんで、しばらく逗留するように勧めたらしい。特に熱心だったのは妹らしくてな。かなりのハンサムだったそうだ」
「………」
 ラークの話を聞いているロベリアは、段々と落ち着かない様子を見せ始めていた。だが、ラークはそのまま続ける。
「それから数日、吟遊詩人は我が家で寝泊まりをした。その間、妹はそいつに熱を上げて、いろいろと話をしたらしい。実は、我が家には家宝と呼べるものが一つある。《恭順の耳》と呼ばれているマジック・アイテムだ。こいつは小さな巻き貝みたいな形をしていて、人間の耳にそれを入れてから命令すると、何でも言いなりに行動してしまうというものなんだ。祖父の代に、やはりウチへ泊まっていった旅人が宿賃代わりに置いていったものらしい。とにかく、そのマジック・アイテムは扱い方によっては非常に危険なものとなる。現に、吟遊詩人が訪れた一ヶ月前にも賊が侵入して、危うく盗まれかけたそうだ」
「……そ、それで?」
「妹は、つい、その賊が入った話をしてしまった。《恭順の耳》が何であるか明かさなかったらしいが。そうしたら翌日、そいつは消えていたのさ。《恭順の耳》と一緒にな」
 そこまでの話を聞いて、ロベリアの顔は蒼白になっていた。しかし、ラークは目線をピットから天井へと移して語っているせいで、異変に気づかない。
「そいつの狙いは、初めから《恭順の耳》だったのさ。責任を感じた妹は、自分で毒を飲んでしまった」
「ど、毒を!? そ、それで妹さんは……?」
「一命は取り留めた。だが、毒の影響で失明してしまった……。もう一生、目が見えないらしい」
「そんな……」
「報せを聞いたオレは、騎士見習いを返上して家に帰った。《恭順の耳》を盗み、妹をあんな目に遭わせたヤツを捜すために! 足取りを追っていくと、どうやらこのベギラに逃げ込んだと分かった。ベギラと言えば盗賊ギルド。すべてはつながった。そこであの夜、ギルドの連中がたむろすると噂のあった《涸れ井戸》に行ったのさ。妹が思わず心を動かされるような色男の盗賊を捜してな。そして、アッシュを見つけたとき、オレは確信した! あの男が吟遊詩人になりすまして、《恭順の耳》を盗んでいったのだとな!」
 ラークは話し終えて、眼光鋭く、ロベリアの方を向いた。そのラークの顔を見た瞬間、ロベリアはすくみあがる。まるで何かに怯えるかのように。
「これで分かっただろう。なぜオレが盗賊ギルドやアッシュに憎しみを抱いているのか」
 ラークは自分の剣を見つめた。ピットの血がまだ拭われていない長剣<ロング・ソード>を。
「ね、ねえ……」
 口の中が粘つくような不快感に顔を歪ませながら、ロベリアはラークに声をかけた。そして尋ねる。
「妹さんの名前は?」
「クリステル」
 その瞬間、ロベリアは雷に打たれたような衝撃を受けた。


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