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「どうした?」
ラークはようやくロベリアの異変に気がついた。ロベリアの顔はすっかりと青ざめ、怯えたように表情を凍りつかせている。今にも失神しそうに思えた。
心配になったラークがロベリアへ歩み寄ろうとした瞬間──
「うぎゃあああああっ!」
いきなり床に転がっていたはずのピットが起き上がり、窓辺にいたロベリアの方へと突進した。血塗れで、凄まじい形相。さすがのロベリアもひるんだ。
「ロベリア!」
ラークがピットから目を離したのがいけなかった。阻止しようとしたが、明らかに出遅れる。
ロベリアはピットの突進を避けるようにして、横へ跳んだ。その脇をピットが通り過ぎる。次の瞬間だった。
「──!」
ピットは頭から突っ込むようにして、窓の外へと飛び出した。ここは二階である。ピットは逆さまに落ちていった。
石畳に叩きつけられる鈍い音が響いた。慌てて、ラークは窓下を覗き込む。少し遅れて、ロベリアもそれにならった。
ピットは受け身も取れず、石畳の路地の上に倒れ込んでいた。ラークに斬られた傷のせいもあって血を流し、死期が近いのを示すかのように、時折、痙攣を見せている。たまたま通りがかった人たちが、恐る恐るといった様子でピットに近づく。そして、どこから落ちてきたのかと、上を見上げた。
そのとき、運悪くギルドの構成員もその中にいた。まだ、この辺の捜索を続けていたのだろう。ピットが飛び降りなければ、そのまま行き過ぎていただろうに。二階の窓から見下ろしているラークとロベリアの姿を見つけ、指笛を吹いた。
「いたぞ! ロベリアと例のヤツを見つけた!」
その声に慌てて二人は身を引っ込めたが、後の祭りだった。ほどなくして、ギルドの連中が集まってくるはずだ。ラークはロベリアの手を引き、真っ直ぐにその顔を見つめた。
「ここはオレが引きつける! あなたは逃げるんだ!」
ラークの言葉に、ロベリアは目を見開いた。
「ムチャよ! どんなに剣の腕前に自信があったって、そんなに何人も相手にできるわけがないわ!」
ロベリアは髪の毛を振り乱すように首を横に振った。反対されるのは予想していたラークだが、意外とも思えるほど、ロベリアは取り乱しているように見える。だが、今はそんなことを詮索している暇はなかった。
「オレ一人なら、何とか切り抜けることもできる! しかし、あなたを守りながらでは無理だ! ──大丈夫。オレは元騎士見習いで、剣の腕だけは認められてきたんだ。盗賊相手に遅れを取りはしない!」
ラークは強い口調で言い切った。すべてはロベリアを納得させ、この場から脱出させるための方便だ。
ロベリアは逡巡していた。当然だろう。ラークがいくら自信を持って言ったところで、無事に切り抜けられる保証はない。これまで盗賊ギルドに盾突いて殺されていった者をロベリアは何人も知っている。その中には弟のマイケルも含まれているのだ。
だが、その迷いは、駆け登ってくる複数の足音によってかき消された。もう、ギルドの連中が踏み込んできたのだ。
「行くんだ!」
ラークはロベリアに言い放つと、長剣<ロング・ソード>を手にして階段へと走り、上がってくるギルドの構成員を迎え撃った。
登ってくるのは、チラリと確認しただけでも五、六人程度。だが、ラークは階段の上がり口で待ち伏せ、先頭の一人だけを相手にする作戦を取った。狭い階段では、二人以上は並んで上がってくることは出来ず、数的不利を克服できる。
今はもう、麻痺毒による左腕のしびれは完全になくなっていた。これで思う存分、剣を振るうことが出来る。あとはロベリアが逃げてくれれば。
そのロベリアは、ラークの身を案じながらも、脱出口を探していた。いくら心配しても、この戦いにおいて、ロベリアにはラークを手助けできることは何もない。ラークが言ったように、せめて後顧の憂いをなくしてやることだけだ。そのためには、ここから脱出すべきだと考え直したのである。
だが、ピットのアジトは二階に位置し、ギルドの連中が登って来ている階段の他には、表と裏に一つずつ窓があるだけだ。軽業師でもない素人が飛び降りるには、かなりの勇気がいる高さである。しかも表には次々とギルドの連中が集まり始めていた。
ロベリアは裏手の窓に駆け寄った。こちら側は狭い裏路地になっている。見下ろしたところ、誰もいなかった。逃げるならここしかない。だが、足場となるようなものがまったくなく、かといって向こう側も窓のない壁が立ち塞がっているだけだ。
どうしようかと考えているうちに、階段の方では動きがあった。短剣<ショート・ソード>を手にした盗賊相手に、ラークは時間稼ぎをする余裕すら見せて戦っていたが、階段の途中で前に進めず、業を煮やした盗賊の一人が、階段の欄干に飛びつき、それを乗り越えてきたのだ。その盗賊とロベリアは通路越しに目線を合わせた。逃げようとしているロベリアに襲いかかろうとする。
「行かせるか!」
ラークは二階に侵入してきた盗賊を一刀のもとに斬り伏せた。長剣<ロング・ソード>は正確に急所を捉える。だが、その動きは、ラークを階段の上がり口というポジションから離れさせる結果になった。その隙を逃さず、駆け上がってくるギルドの構成員たち。とうとうラークは数的不利に追い込まれた。
「早く逃げろ!」
ラークは必死に応戦しながら、背後のロベリアに叫んだ。その声にロベリアは唇を噛み、意を決す。
窓の淵に足をかけたロベリアは、その上に乗ったまま、身体の方向を変えた。窓の外に対して背中を向け、しゃがんだような格好だ。一度、窓の下を覗き込んで、目を閉じる。一つ深呼吸をすると、ロベリアはおもむろに両足を投げ出すようにして、姿勢を伸ばした。一瞬、身体が宙に浮く。足の裏が反対側の建物の壁に触れると同時に、懸命に肘も伸ばし、落ちそうになる自分の体重を支えた。それは冷や汗ものの瞬間だったが、どうやらロベリアの試みは成功したようだ。すなわち、自らの身体を突っ張らせるようにして、両方の壁に手足をついたのである。
もし、この裏路地の幅が、両腕を上げたロベリアの手足より広ければ、そのまま落下していたことだろう。だが、幸い、裏路地の幅はロベリアの身長よりも、若干、広い程度だった。ロベリアは自分の幸運を感謝した。
だが、問題はここからだ。目を開けて下を覗き込むと、たった二階の高さが目もくらむほどのものに思えた。手足が震えるのは、自分の体重のせいばかりではない。それでもロベリアは徐々にといった程度であったが、うまく手足を動かしながら、下へと移動を始めた。
ピットのアジトからは、続いて剣戟の音と怒声が聞こえていた。まだ、ラークは無事でいるのだ。時間稼ぎをしているラークのためにも、早くロベリアは下に辿り着きたかった。
だが、焦りと女の細腕が失敗を招いた。動かしていた片足が壁面を滑り、バランスを崩す。アッと悲鳴を上げる暇もなかった。空中に身体が放り出される。次の瞬間、ロベリアの身体は地面に叩きつけられていた。
「うっ……!」
叩きつけられた衝撃にロベリアは顔をしかめて呻いた。幸運だったのは、バランスを崩したときにうまく身体が反転して、背中から落ちたことだろう。それに思ったほど高さもなかった。痛みはあったが、すぐさまロベリアは体を起こした。
「ラーク!」
ロベリアは裏窓を見上げて、名前を呼んだ。激しい戦いはまだ続いているようだ。自分の無事を知らせ、早く逃げて欲しかった。
「行け! 行くんだ!」
振り絞るようなラークの声。かなりの苦戦らしい。ロベリアはそのまま自分だけ逃げ出すことが出来ず、ひたすら窓を見上げた。
しかし、駆けつけてきた盗賊ギルドの連中が裏路地をも固めようと動き出したらしく、ロベリアの姿はまたしても見つかってしまった。
「おい、こっちだ!」
追っ手の声。ロベリアはラークを見捨てるようで心が痛んだが、必ず助け出すと誓い、裏路地を縫いながら逃亡に移った。
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