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《灰燼剣》の剣先がウィルを貫こうとした刹那、アッシュの背後より襲いかかる影があった。
振り向くアッシュ。その眼が見開かれた。
「──!」
「死ねぇ、アッシュ!」
黒い塗料を塗りたくった上半身裸の大男。その両手にはセスタスがはめられている。
フィアーだ。
アッシュのアジトから逃げ出した後、おそらく尾行して、ここへ辿り着いたに違いない。盗賊ギルドの刺客は、片目を潰されても、己の任務を全うする殺人鬼であった。
アッシュは横に体を投げ出すように回避しつつ、それでもなお、ウィルへのトドメを刺そうとした。だが、さすがにそんな体勢では手元が狂う。《灰燼剣》は、必死にウィルを押さえ込んでいた盗賊の胸に突き刺さった。
《灰燼剣》の魔力によって、盗賊の体は瞬く間に灰と化した。それを見て、フィアーとドッグ以外の者たちが驚愕する。
狙いを外したアッシュであるが、フィアーの一撃もまた、かろうじて交わした。すぐに立ち上がり、フィアーと対峙する。
フィアーの左眼は憎悪の炎を燃やしながら、アッシュをねめつけていた。
「アッシュ、オレは絶対に貴様を殺す……」
「ふっ、せっかく逃げおおせたと言うのに、今度はその左眼も差し出すつもりか?」
二人は睨み合いながら、その位置を入れ替えた。アッシュの後ろにドッグたち手下が控える。また、フィアーの背後にも、ロベリアを捕らえていた盗賊たちが武器を構えていた。
フィアーは油断なく、前後の敵の動きに注意していた。だが、どうしてもアッシュに眼を向けずにはいられない。
その間に、捕獲ネットに絡まっていたウィルが、仲間が灰になったのを見てショックを受けた盗賊を退け、ようやく中から這い出した。そして、フィアーの隣に立つ。
「マダムの部下か?」
ウィルもまたアッシュたちを警戒しながら、フィアーに尋ねた。フィアーはうなずく。
「だが、今はマダムの命令だからとか、そんなことは関係ない。この右眼の恨みを晴らしたいだけだ」
フィアーの右眼は、ドッグの爪楊枝によって潰されていた。さらに爪楊枝には毒が塗られていたのだろう。右眼の周辺部が醜く腫れ上がっている。
「アッシュはオレが殺る! 手出しするな!」
セスタスの刃を打ち鳴らしながら、フィアーはウィルに言った。
「勝手にしろ」
ウィルの返答は素っ気ない。
二人を囲む盗賊たちは緊張の面持ちで出方を窺っていた。一人は魔法の使い手ウィル。もう一人はギルドからの刺客フィアーだ。人数的にはアッシュたちが優位だが、力の差は歴然としている。
まず、フィアーが動いた。アッシュの方へと立ち向かう。
それに一瞬遅れて、ウィルも動いた。フィアーがアッシュたちに襲いかかったのを見た盗賊たちが、思わず身体を強張らせる刹那。そちらへ気を取られた隙を突いて、跳躍する。
襲いかかるフィアーに、アッシュの手下たちは短剣<ショート・ソード>で応戦しようとした。だが、野獣のように向かってくるフィアーのスピードは速い。構える前にセスタスによる攻撃が繰り出された。
一方、高く跳躍したウィルは、ロベリアを捕らえている盗賊たちに向かって、右腕を向けた。
「ディノン!」
マジック・ミサイルの連弾。避ける間も、ロベリアを盾にする間もなく、盗賊たちは直撃を喰らった。
それと同時に、フィアーのセスタスが一気に二人の盗賊の顔を切り裂いた。仰け反り、悲鳴を上げる盗賊たち。フィアーはさらにアッシュへと迫る。
そこへドッグが立ちはだかるようにし、フィアーに向けて、爪楊枝を発射した。狙いは残っている左眼。だが、今回は警戒されていた。
フィアーは爪楊枝を易々とセスタスで弾き落とすと、ドッグへ猛然と向かった。セスタスの刃が、ドッグの鼻先を薙ぐ。
だが、ドッグもまた、その辺の雑魚たちとは違い、フィアーの攻撃を見切っていた。軽い身のこなしで後方へ跳び、フィアーとの間合いを取ろうとする。フィアーは大男なのでリーチは長いが、長剣<ロング・ソード>などに比べると間合いを詰めなくてはならない戦闘スタイルだ。距離さえ保てれば、セスタスの餌食になる恐れはなかった。
とは言え、ドッグもフィアーに致命傷を与えるのは難しかった。フィアーの全身には、一切の刃物を通さない塗料が塗ってある。ここは逃げの一手だ。
その間にアッシュは、懐からまた灰が入ったガラス瓶を取りだした。それを宙に放り投げ、《灰燼剣》で砕く。
すると灰は煙となって、中からキーキーという耳障りな啼き声と羽根の音が聞こえてきた。煙の中から、何十匹ものコウモリが飛び出す。吸血コウモリだ。
吸血コウモリは群となって、フィアーとウィルへ襲いかかった。フィアーはセスタスを振るうが、とにかく数が多すぎる。たちまち、全身にまとわりつかれた。
「ち、ちくしょう! 離れやがれ!」
片やウィルは、立ち尽くすロベリアを守るようにして、呪文の詠唱を始める。
「バリウス!」
それは聖魔法<ホーリー・マジック>の攻撃呪文、真空の刃を作り出すものだった。先程の風を巻き起こす呪文とは異なり、襲いかかる吸血コウモリを切り刻む。
真っ二つにされた吸血コウモリは、《灰燼剣》の効力が切れて、次々と灰に戻った。
ほとんどの吸血コウモリは、ウィルの魔法によって四散した。フィアーにまとわりついて吸血コウモリたちも、ウィルがあらかた引き受けてくれたお陰で、その間にすべて振り払われる。だが、気がつくと、すでにアッシュたちは姿を消していた。
「どこへ行きやがった!?」
フィアーは最後の吸血コウモリを踏みつぶしながら、吼えるように叫んだ。足の下の吸血コウモリが灰になる。
「逃げたな」
ウィルはフィアーに答えるでもなく言った。そして、謁見の間へ通じる奥の扉を見つめる。
舌打ちしたのはフィアーだった。
「ヤツめ、逃がさねえ!」
フィアーは踵を返すと、回廊を猛然と駆け出した。黒い筋肉が躍動する。地獄の果てまで追いかけるつもりだった。
「オレたちも行くぞ。いいか?」
ウィルはロベリアに向かって言った。ロベリアは青白い顔でうなずく。
このような戦いに身を投じたのは初めてだったので、すっかりすくんでいるロベリアであった。だが、ウィルについて行くと申し出たのは自分だ。今さら、後は頼むと、逃げ出すわけにもいかない。とにかく、この奥にラークがいるのだ。何としても助けなくてはならない。
「だ、大丈夫……行きましょう!」
努めてしっかりした声を出し、ロベリアは勇気を振り絞った。
先程と同じように、ウィルが先行し、ロベリアがそれから離れないようにした。
途中の回廊には、何の罠も仕掛けられていなかった。容易に扉まで到達する。
謁見の間の入口は、フィアーが入ったため、扉は開けっ放しになっていた。中が丸見えだ。しかし、肝心のフィアーはどこへ行ったのか、その姿はない。
代わりに、玉座にうなだれるようにして座っている人物をロベリアは目にした。
「ラーク!」
それは間違いなくラークだった。ただし、気絶でもしているのか、ぐったりとしている。
ロベリアはウィルの背中から飛び出し、ラークへと駆け寄った。
ウィルが制止しようとする。
「待て! オレから離れるな!」
だが、ロベリアは聞いていなかった。ウィルもその後を追おうとする。しかし──
「死ね!」
突如、ウィルの頭上から黒い影が襲いかかってきた。
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