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その頃、フィアーはアッシュたちを追っていた。
謁見の間に飛び込んだときには、すでにアッシュたちの姿はなかった。おそらくは、玉座の後ろにある抜け穴から、王宮《ヨツンヘイム》の外へと脱出したのだろう。アッシュを尾行してここへ侵入したフィアーには、その経路が分かっていた。
抜け穴は長い階段をいくつも降り、それが途絶えると狭い通路がずっと続いていた。人よりも体格の大きいフィアーとすれば、余計に動きにくかったが、ここを通らねばアッシュたちに追いつけない。はやる気持ちを鎮めながら、通路を進んだ。
やがて通路を半分も過ぎた頃、行く手の暗闇の中に人影のようなものが見えた。アッシュたちに追いついたのか。フィアーは物音を立てないよう慎重になりながら、手に握ったセスタスに力を込めた。
しかし、不意に人影はフィアーに向かって、
「ディロ!」
と、呪文を唱えた。その刹那、光の矢がフィアーを襲う。
「ぐっ!」
狭い通路の中だ。フィアーは身を固めて、待ちかまえるしかなかった。
マジック・ミサイルが、交差した腕に命中した。それを噛みしめるようにして耐えるフィアー。どんな武器も通じないフィアーの肉体も、さすがに魔法攻撃を無力にはできなかった。
何とかマジック・ミサイルに耐えて見せたフィアーは、前方の敵に殺気のこもった視線を向けた。
行く手に立ちふさがっているのは、ローブを着た年輩の男だった。手には魔力を増幅する魔晶石がはめ込まれた魔術師の杖。男は白魔術師<メイジ>であった。
この白魔術師<メイジ>もまた、トロールや吸血コウモリ同様、アッシュの《灰燼剣》が呼び出した下僕に違いない。フィアーに剣などの武器が通じないので、魔法で仕留めようという考えだ。しかも、この狭い通路では、まったく逃げ場がない。
「やってくれるな」
フィアーは思わず笑みをこぼした。相手が手強ければ手強いほど、フィアーの血が熱くたぎる。
シャキーン!
フィアーはセスタスの刃を打ち鳴らした。
だが、白魔術師<メイジ>の方はフィアーに対して何の感情も持たぬのか、悠然と魔術師の杖を振り上げた。そして、二つ目の魔法を唱えようとする。
フィアーは駆けた。魔法を唱えさせる前に白魔術師<メイジ>を仕留めようと。しかし、両者の距離は、まだかなりあった。
「ヴィド・ブライム!」
今度の魔法は、一撃目のマジック・ミサイルの比ではなかった。ファイヤー・ボール。白魔法<サモン・エレメンタル>の中でも上位の攻撃呪文だ。大きな火球が通路一杯を圧し、フィアーを押し包む。
「ぐあああああああっ!」
フィアーは気合いを込めて、必死に耐えた。
魔法に対抗できるものは、自身の魔力しかない。人間は多かれ少なかれ、魔力を持っているとされている。その魔力と魔力の反発によって、魔法を打ち消すことが出来るのだ。攻撃魔法ならばダメージを軽減し、精神に力を及ぼす魔法ならば抗う術となる。魔法を使う者たちの間では、それをレジストと呼んでいた。
どうすれば自身の魔力を活性化できるのか、魔法の心得がないフィアーには分からなかったが、懸命に意識を保とうと努めた。
高熱が皮膚を溶かす。炎の奔流に全身がさらされる。それでもフィアーは堪えた。
白魔術師<メイジ>のファイヤー・ボールは、フィアーの身体を木っ端微塵に吹き飛ばすことはできなかった。赤く肌を腫らし、くすぶる煙を立ち昇らせながらも、仁王立ちでフィアーは耐えきった。
それには、さすがの白魔術師<メイジ>も、信じられないといった表情を見せた。
今度はフィアーの番だった。再び白魔術師<メイジ>へ向かって突進する。
「うりゃあああああああっ!」
雄叫びを上げ、白魔術師<メイジ>に肉薄する。その顔は鬼人であった。
三度、魔術師の杖を振り上げようとした白魔術師<メイジ>であったが、時すでに遅し。フィアーのセスタスの方が今度は速かった。
ガツッ!
骨を断ち切るような鈍い音がし、白魔術師<メイジ>の顔面は真っ二つに割れた。そのまま白魔術師<メイジ>の身体は後ろへと倒れ込む。床に接触した途端、その身体は灰となって、粉々に砕け散った。
フィアーは荒い息をつきながら、片膝を折った。さすがにファイヤー・ボールの一撃は強烈で、凌ぎ切ったのは奇跡と言えるだろう。本当であれば、このまま気絶してしまいたいところだ。
だが、フィアーの眼は、さらにその奥の出口に向けられた。すべてはアッシュを殺すため。それまでは絶対に休息するわけにはいかないと、ダメージを負った肉体にムチ打って、先を進み続けた。
やがて、前方から光がこぼれ始めた。出口だ。フィアーはよろけるようにして、外へと出た。
その刹那──
ビュッ!
風を切り裂く鋭い音が聞こえた。しかし、それに反して、フィアーの動きは鈍い。避け損ね、矢が一本ずつ、フィアーの足を貫いた。
「ぐあっ!」
たまらず、その場で膝をついたフィアーは、痛みに顔を歪ませた。そして、周囲を見渡す。
そこにはアッシュを初めとした盗賊ギルドの連中が、クロスボウを構えながら、ズラリと揃っていた。皆、皮肉めいた笑みを浮かべている。
「よく出てこられたものだな。お前用に、白魔術師<メイジ>を残してきたのだが」
アッシュは嘲るように言った。その手には、すでに《灰燼剣》が抜かれている。
「しかし、少なくともムダにはならなかったようだ。あの吟遊詩人にも相手を残してきてやったが、果たしてどうなったかな?」
アッシュがフィアーに白魔術師<メイジ>をぶつけたのは、ただ単に武器による攻撃が通じないという理由からではない。もし、ファイヤー・ボールを凌いだとしても、フィアーの全身は火傷を負い、黒い塗料は跡形もなくなってしまう。そうなれば、先程の矢と同様、武器も通用するというわけだ。
アッシュの狙いはまさにそれであり、フィアーは計略にまんまとはめられたのである。
「こ、殺してやる……!」
それでもフィアーの眼は闘争心を失ってはいなかった。マダムの命令と、己の復讐。その両方がフィアーを支えていた。立てないながらも、セスタスを構え続けようとする。
しかし──
「射て」
アッシュの冷徹な合図。再び二本の矢がフィアーを貫いた。今度は両肩。セスタスを持っていた腕に力が入らず、だらりと垂れ下がる。フィアーは悲鳴を押し殺した。
「残念だ。あのとき、オレと手を組んでさえいれば、こんなことにはならなかっただろうに」
アッシュは皮肉めいた表情を見せながら、嘆息するように呟いた。
フィアーは唾棄する。
「さっさと殺れ! だが、オレを殺しても、マダムは次々と刺客を送り、貴様を消そうとするだろう。貴様こそ後悔するはずだ。マダムに逆らってしまったことをな!」
ギラギラとする眼をアッシュに向けながら、フィアーは言った。
するとまた、アッシュの合図。四本の矢がフィアーの腹部に突き刺さった。フィアーが口から大量の血を吹き上げる。
アッシュはそんなフィアーを蔑むように見下ろした。
「オレはマダムを倒して、このベギラを手に入れる。あんなオカマ野郎など、恐れるものか。──そうだ。貴様をオレの下僕にしたら、マダムの暗殺に使ってやろう。オレを仕留めたことにして送り返せば、さすがのマダムも油断するだろう」
「き、貴様ァ!」
「というわけだ、フィアー。今後はオレのために働いてもらうぞ」
アッシュはフィアーの前に立った。そして、火傷によって肌が露出した胸に向かって、《灰燼剣》を突き刺す。それは的確に心臓を貫いた。
フィアーの肉体は灰となり、その場に崩れ去った。
その光景を見たアッシュの部下たちが息を呑む。魔剣の威力を目の当たりにし、身体が震えた。
アッシュはすぐさま、フィアーの灰に《灰燼剣》を触れさせた。すると灰は煙となって、中からフィアーが再生する。
アッシュの部下たちが思わず後ずさったのも無理はない。甦ったフィアーは、黒い塗料こそ全身に塗っていなかったものの、セスタスはもちろん、潰された右眼も復活していた。そして、アッシュに対して大人しく跪く。
アッシュは笑った。高らかに。
こうしてベギラの盗賊ギルド最強の刺客を、アッシュは従わせることに成功した。
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