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謁見の間では、首を絞められたロベリアと、手刀を喰らったラークが気絶して倒れていた。
ウィルは交互に二人を見やってから、ラークの方へと近づいた。上体を起こし、背後へ回る。そして、両肩をつかんで、膝で脊髄を押した。
「うっ!」
ラークは一声呻いて、覚醒した。慌てて周囲を見渡す。
「オレは一体……?」
その後ろで、珍しくウィルがため息を漏らした。
「なぜ大人しく隠れ家で待っていなかった?」
「お、お前は……!? ──それに、ろ、ロベリア!」
ラークは倒れているロベリアに気づき、這いずるようにして近づいた。だが、身体を揺さぶっても、ロベリアは意識を取り戻さない。首筋に残っている絞め殺そうとした指の痕が痛々しかった。
「どうなっているんだ? オレはアッシュたちに捕まって──」
ラークは懸命に、謁見の間へ連れて来られてからの記憶を呼び覚まそうとした。しかし、どうしてもうまくいかない。
「お前はこれで操られていたんだ」
ウィルはそう言って、《恭順の耳》を放った。ラークは反応良くキャッチする。手にした物を見て、それからロベリアを見た。
「ウソだろ? ……オレがロベリアを?」
ラークは信じられないといった表情で、青ざめた。まったく覚えがない。
「残念ながら本当だ。近づいた者を──もしくは彼女を殺すよう命令を受けていたのだろう。もう少し遅かったら、手遅れだったかもしれん」
ウィルの口調は責めていないが、どこか冷たかった。
ラークは口を結び、《恭順の耳》を握りしめた。
「チクショウ!」
口の中で呟いたセリフは、卑劣なアッシュたち盗賊ギルドに対してか、それとも巻き添えにしてしまった自分自身に対してのものか。ラークはその場に伏せるような格好で、身体を震わせた。そして、大理石の床に拳を叩きつける。自らの拳を傷つけても、気が晴れることはなかった。
「で、どうする?」
悔しがるラークに、ウィルは尋ねた。言葉の意味を測りかねて、ラークは美しき吟遊詩人を見上げる。
ウィルの双眸は、ラークを静かにたたえていた。
「盗まれた《恭順の耳》は、こうして取り戻せたのだ。故郷のティーレへ帰る気になったか?」
そう問われ、ラークは考えた。一旦、目を伏せる。そして、手の中の《恭順の耳》を見つめた。
「オレは……こんな物を取り返すためだけに、この街へ来たんじゃない。クリステルのため──いや、妹を傷つけられた自分のために、ここへ来たんだ。《耳》なんて、どうでもいい。オレが望むのは、アッシュと盗賊ギルドへの報復だ!」
再びラークは、《恭順の耳》を握り潰さんばかりにした。
「では、あくまでも戦うと言うのだな?」
「ああ!」
ウィルの言葉に即答した。そして、顔を上げる。その眼には強い意志の光が宿っていた。
そんなラークを見て、ウィルは肩をすくめた。
「仕方がないな。オレはお前を無事に連れ戻すよう頼まれた」
「力ずくでもってか?」
ラークは緊張に身を固めた。今のラークには武器となる剣が取り上げられてしまっていて、手元にない。いや、それ以前の問題として、魔法を使うウィルに対し、どこまでの抵抗が出来るか、甚だ疑問である。
しかし、ウィルはかぶりを振った。
「力ずくで連れ帰るのは簡単だが、途中でまた逃げ出されても困るのでな。お前の気が晴れるまで、付き合うほかなさそうだ」
表情も変えずにさらりと言われ、ラークは一瞬、呆けた表情で見つめたが、心強い味方を得られたと分かり、コロリと破顔一笑した。
「ほ、本当か? 本当に手伝ってくれるのか?」
「やむを得ないだろう。あまり気は進まないが……」
ウィルは渋面を作った。だが、このままラークを連れ帰っても、アッシュが追っ手を駆けないとは限らない。ベギラのギルド・マスターであるマダムには、この一件の処理を頼んでいるが、先程の刺客フィアーがまだアッシュを始末していないところを見ると、それを当てにするのははばかられた。出来れば、ちゃんとした形で決着をつけておいた方がいいだろうというのが、ウィルの判断だ。
「ところで、ヤツらはどこへ行ったんだ?」
城内があまりにも静かなので、ラークが訝るように尋ねた。ウィルは答えの代わりに、玉座の裏へ回り込み、身をかがめる。
「ここだな」
大理石の床を探っていたウィルは、おもむろに手の平を押し当てて、玉座の方へと動かした。周囲の床と区別のつかない大理石の一枚がスライドする。その下には、急な階段が続いていた。
「抜け穴?」
「ああ。万が一のときに、王族が使う逃げ道だ。しかし、ヤツらはその出口からここへ入り込んでいたらしい」
「じゃあ、この先に……」
「間違いないだろう。だが、とっくに脱出してしまった可能性もある。そこからどこへ行ったかまでは分からないが……」
ウィルは言葉を切って考えた。アッシュたちが行きそうな所を。
今やアッシュたちの裏切りは、ギルド・マスター、マダムの知るところとなっている。刺客のフィアーを初めとして、多くのギルド構成員たちがアッシュとその一党を追うであろう。となれば、街の中にあるアジトへ逃げ帰るとは考えにくい。むしろ、ベギラからの脱出を試みるのではなかろうか。
だが、このとき美貌の吟遊詩人は、もう一つの可能性を考えていた。
「いずれにしても、あそこへおもむくべきだろう」
「どこへ?」
ウィルの呟きにラークは問いかけたが、答えは黙されてしまった。
不意にウィルは呪文の詠唱に入った。
「クライマン・ザヒーバ!」
ウィルがマントの裾をひるがえすと、その影から突如として大きな黒豹が現れた。思わず、ラークがギョッとする。
「な、何だ、それは!?」
仰天するラークをひと睨みした黒豹は、倒れているロベリアの近くを落ち着きなく歩き回った。ラークはシッシッと追い払おうとするが、完全に及び腰になっていた。
「安心しろ。これはオレの使い魔だ。彼女をこのまま放っておくわけにもいかないだろう。隠れ家まで送らせる」
そう言ってウィルは、ロベリアの身体を抱き上げ、落ちないように気を使いながら黒豹の背に乗せた。
「だ、大丈夫なのかよ?」
見た目にも恐ろしい肉食獣を前にして、ラークが不審そうに言う。
そんな心配をよそに、黒豹はロベリアを乗せたまま、城門の方へと駆け出した。
「さあ、オレたちも行くぞ」
ウィルはラークを促した。だが、歩き出した方向は玉座の裏にある抜け穴ではない。黒豹と同じく城門だ。
てっきり抜け穴を通って、アッシュたちを追うものと思っていたラークは、少し慌てた。
「お、おい、どこへ行くんだ?」
ウィルは振り向いた。そして答える。
「決まっている。ヤツらが行きそうな場所だ」
ウィルの美貌は、どのような敵をも震え上がらせる、冷徹なる魔人へと変じていた。
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