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ドアが蹴破られ、十数名の物騒な男たちが雪崩れ込んでくると、娼館《堕楽館》のロビーには悲鳴と怒号が渦巻いた。
くつろぐようにしながら、訪れる客たちに媚びた視線を送り、ベッドへと誘っていた娼婦たちは、いきなり現れた男たちを見て、弾かれるように立ち上がった。男たちの手には、すでに鞘から抜かれた短剣<ショート・ソード>。いくらベギラが無法都市とはいえ、こんなに危険な客は滅多にいない。
《堕楽館》に踏み込んできたのは、言わずと知れたアッシュたち一党であった。抵抗しないよう、娼婦と、たまたま居合わせた男性客を威嚇し、たちまちロビーを占拠する。
「静かにしろ! 大人しくしていれば、殺しはしない! 用があるのはマダムだけだ!」
自らも《灰燼剣》を手にしたアッシュが言い放つ。彼の部下たちは、おびえる娼婦たちを脅しながら、下卑た笑いを漏らした。
この中では一番年長と思われる娼婦が、虚勢を張りつつもアッシュに対した。
「アッシュ、ご無沙汰だね! 久々に顔を見せに来たのかと思ったら、マダムに歯向かいに来たのかい? あれだけ世話になっておいて、よくそんなセリフが吐けるね!」
顔見知りなのだろう、アッシュは娼婦に微苦笑した。
「まだ生きてやがったか、メス豚。とっくに客も取れなくなって、のたれ死んでいると思ってたぜ」
「何だって!」
頭に来た娼婦は、持っていた扇を閉じ、アッシュに投げつけた。扇はアッシュの胸に当たるが、そんなことを気にする素振りはない。その代わり、アッシュの部下の一人であり、右腕であるドッグが激高した。
「アマぁ、なめたマネするんじゃねえぞ!」
今にも刺し殺さんばかりに、娼婦へ短剣<ショート・ソード>をちらつかせた。アッシュがそれを制す。
「構うな。それよりもマダムを捜せ」
「へい」
部下たちは、ロビーの奥と二階への階段に別れようとした。だが、その動きが突然、止まる。
二階から黒いドレスを着た美女が降りてきた。男心をくすぐる憂い顔。スレンダーな艶めかしい肢体。絶世の美女だった。
ならず者たちが、揃って感嘆の吐息を漏らした。たちまち、その美女に心を奪われる。あまりの美しさに、とても娼婦だとは思えなかった。どこぞの貴婦人と呼んだ方がふさわしい。
黒いドレスの美女は、優雅に階段を降りながら、真っ直ぐにアッシュを見た。アッシュはと言えば、部下たちと違って、眉をひそめて怪訝な顔をする。
「お前、どこかで……」
しかし、それに構わず、ちょうど二階へ上がりかけていた一人が、いやらしく顔をゆるませながら、女へと近づいた。
「いい女じゃねえか。何なら、オレが遊んでやってもいいぜ」
そう言って、盗賊は女の腰へと手を伸ばした。
だが、その手首が素早くつかまれ、ひねりあげられた。
「痛てててててっ!」
盗賊は苦痛に顔をしかめて、くるりと身体が反転した。そのまま女は、ドンと盗賊を突き飛ばす。盗賊は階段を踏み外し、転げ落ちた。
気色ばんだのは仲間の盗賊たちだった。
「何しやがる!」
盗賊たちは階段の下で女を待ちかまえた。しかし、女は臆した様子もなく、一段一段、ゆっくりと降りてくる。
「やはり、ここへ来たか」
産毛が逆立つような女の色声。しかし、言葉は男のものだ。
サッとアッシュが表情を変える。
「貴様……やはり、仕留め損なったか……」
「残念だったな」
女は肩紐のところから引きちぎるようにしてドレスを脱いだ。その下に現れたのは、見事なプロポーションの裸身──ではなく、黒いマントに旅装束の男だった。どこに隠していたのか、手にしていた鍔広の旅帽子<トラベラーズ・ハット>をかぶり、《銀の竪琴》を奏で始める。
その正体を知っている者は、皆、そろって動揺した。
吟遊詩人ウィル。
美しき魔法の使い手。
その華麗な登場に、黄色い嬌声が湧き上がった。
「キャーッ、ウィル、素敵ーぃ!」
「愛してるわーっ!」
「見たでしょ? あれ、私が貸したドレスなのよ!」
アッシュたちを待ち伏せるなら、何も女装をして娼婦たちに紛れ込まなくても良さそうなものだが、おそらく彼女たちが強引に勧めたに違いない。美女から魔人への変身は、《堕楽館》の娼婦たちを熱狂させた。
ウィルはそれにやや辟易した様子で、顔を隠すかのように旅帽子<トラベラーズ・ハット>を目深にかぶった。
アッシュは舌打ちした。王宮《ヨツンヘイム》に残してきたのは、かつてアッシュたちを探っていた、王国の特殊工作員である。その強さは、ギルドの刺客であるフィアーと同等くらい。不意を打てばウィルを仕留められると思ったのだが、どうやら目の前の吟遊詩人は、アッシュの見立てよりも、とんでもない男のようだった。
「一カ所に固まるな! 散開しろ!」
アッシュは部下たちに命じた。まとまっていてはウィルの魔法の餌食になる。
命令通り、盗賊たちは散った。そして、その場にまだ残っていた娼婦たちを人質に取る。
「ハッハッハッ! しくじったな! こんなところで魔法を使ったら、こいつらも巻き添えになるぞ!」
盗賊の一人が勝ち誇ったように言った。そして、怯える娼婦の顔をべろりと舐める。左手はドレスからはみ出しそうな豊満な胸を揉みしだいていた。
しかし、ウィルは演奏を続けたまま、最後の一段を降りきった。そして、その盗賊へ、怜悧な眼を向ける。
「魔法? それならすでに、お前たちはオレの術中に落ちている」
「何だと!?」
言うや否や、ウィルは《銀の竪琴》から指を離した。演奏曲が途切れる。
フッ……!
突然、ロビーにいた娼婦と男性客の姿がかき消えた。人質に取っていた盗賊たちは手応えを失い、空をつかむ。皆、呆然となった。
「なっ、ど、どうしたと言うのだ!?」
「この店に足を踏み入れたときから、お前たちはオレの曲を聴いた。──“幻影<ミラージュ>”をな」
まさか、今までここに存在し、動き、喋り、そして触れることもできた娼婦たちが、ウィルが《銀の竪琴》で奏でた魔奏曲による幻だったとは。それはアッシュを初めとした盗賊たちを震撼至らしめた。
ウィルのマントがはねのけられた。両手が胸の前で交差される。
「ディノン!」
八つの光弾が八方へ伸びた。アッシュは咄嗟に、近くにいた部下の襟首をつかみ、自分の盾にする。
「うわああああっ!」
ウィルを中心にして、周囲から悲鳴が上がった。七人の盗賊がバタバタと倒れる。マジック・ミサイルの直撃だ。アッシュの盾にされた男は、気絶してもなお、その身体を支えられ、利用されていた。
攻撃魔法を免れた盗賊たちは、ホッと胸を撫で下ろした。そんな部下たちをドッグが叱咤する。
「何をしている!? 次の魔法を唱えさせるな!」
自らも短剣<ショート・ソード>を構えながら、ドッグは指示を下した。ウィルが再び呪文の詠唱に入る。だが、それをドッグは爪楊枝を発射することによって阻止し、暇を与えなかった。爪楊枝をマントではたき落としたウィルへ、斬りかかる盗賊たち。
その間にアッシュは、店の奥へと走った。元々の目的はマダムの命である。フィアーに任せたのだが、どうにも戻ってこなかったので、このような強攻策を取ったのだ。今、マダムを討たねば、逆にアッシュの命が危ない。
しかし、奥へのドアを開けた途端、アッシュは後ろへ飛び退かざるを得なかった。通路から現れる鋭い剣先。
「オレのことも忘れちゃ困るぜ」
アッシュの行く手を阻んだのは、長剣<ロング・ソード>を手にしたラークだった。
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