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吟遊詩人ウィル

暗黒街の歌姫

−32−

 アッシュは《灰燼剣》を構えながら、ラークとの間合いを計った。
 その背後では、アッシュの部下たちが群がるようにウィルへと襲いかかっている。しかし、ウィルは軽やかに攻撃をかいくぐり、次々と急所へ当て身を喰らわせていた。断続的に斬りかかることで魔法を封じているというのに、その強さにはいささかの変わりもない。全員がやられてしまうのも時間の問題に思えた。
 かと言って、目の前のラークを無視するわけにもいかなかった。アッシュはこれまで、ラークの戦いぶりを見ているが、実戦向きの剣さばきで、決して実力は侮れない。むしろ、一対一ではアッシュの方が不利だろう。ここは《灰燼剣》によって、新たな下僕を呼び出したいところだが。
 もちろん、ラークがそれを待ってくれるはずがなかった。アッシュ目がけて鋭く斬りかかってくる。
「アッシュ! お前だけは許さない!」
 ラークの長剣<ロング・ソード>が、アッシュのすぐ目の前を薙いだ。表情には出さないが、さすがのアッシュも肝を冷やす。やはり剣の腕前が違いすぎる。
 アッシュは何とか距離を保とうとした。
「しつこいヤツだな。《恭順の耳》なら返してやっただろうが」
 その言葉に、ラークはカッとなる。
「オレにロベリアを殺させようとして! どこまで汚いヤツなんだ、お前は!」
「貴様のためにやってやったのだ! むしろ感謝してもらいたいな!」
「何をバカなことを!」
「無知とは恐ろしいものよ! いいか? 《恭順の耳》を本当に盗み出したのは──」
 アッシュは最後まで言えなかった。その前に問答無用の斬撃が眼前に迫る。
 ラークは長剣<ロング・ソード>を、力一杯、振るった。だが、今度は大振りだったため、さすがにアッシュにも見切られる。空振りを誘って、反撃を加えるアッシュ。それに対し、ラークはすぐに体勢を立て直し、アッシュの攻撃を防いだ。
 ガッ! ギリッ!
 力と力、二の腕の筋肉が盛り上がり、両者は激しい鍔迫り合いを演じた。互いの顔が至近になり、眼と眼が火花を散らす。
「アッシュ!」
「ぐぬっ!」
 パワー勝負ではラークが勝った。アッシュの身体を弾き飛ばすようにして押し返す。
 アッシュは思わずバランスを崩した。そこへラークが斬りかかる。回避は間に合わない。
 キン!
 次の刹那、両者の間合いに黒い影が飛び込み、ラークの攻撃を食い止めた。命拾いしたアッシュ。ラークはハッとして、黒い影を見上げた。
 アッシュの危機を間一髪で救ったのは、ギルドの刺客フィアーであった。交差したセスタスが、ラークの長剣<ロング・ソード>を受けきっている。
 マダムとスマイルから一度は逃れたフィアーだが、《灰燼剣》でかりそめの命を与えられている以上、その支配から逃れることは出来ない。アッシュを守るのは、今のフィアーの務めだ。
 フィアーは黒い顔から、ニッと白い歯をこぼした。
 ラークを押し返すと同時に、フィアーは蹴りを放った。重い一撃がラークの鳩尾に食い込む。たまらずラークは後ろにあったソファにもんどり打った。
 そこへ繰り出されるフィアーの凶刃。息つく間も、苦鳴を上げている暇もない。ラークはソファから転げ落ちるようにし、かろうじて回避する。セスタスはラークの代わりにソファを切り裂いた。中から赤い血ではなく、白い綿が飛び出す。
 ラークは床に転がりながら、右手一本を振り回し、ソファを切り裂いたフィアーの腕に一撃を見舞った。だが、長剣<ロング・ソード>は確かにフィアーの手首を捉えたものの、妙な手応えを残して、切り落とすことが出来ない。これにはラークも驚いた。
「ムダだ!」
 黒い塗料がフィアーの身を守っている以上、ラークの剣は通じない。フィアーは嵩<かさ>に懸かって追い回してきた。ラークはそれを転げ回るようにして逃げる。
 ウィルは、そんなラークのピンチに気づいた。近くの盗賊の顎を下から突き上げるように掌底を喰らわし、魔法で援護しようとする。だが、ドッグに阻まれた。
「させぬぞ!」
 ドッグの斜視のひどい左眼がくるりと一回転した。直後、短剣<ショート・ソード>で突きを繰り出し、ラークからさらに離そうとする。
 ウィルは左右に身体を揺らすように後退し、ドッグの攻撃を回避した。魔法を唱える暇はない。あとは腰に下げたままになっている短剣<ショート・ソード>を抜けば良さそうなものだが、不思議とどこかためらいが見られた。しかし、この間にもラークが危ない。
 バッ!
 突然、ドッグの視界がウィルの黒いマントによって塞がれた。それでもなお、突きを繰り出すドッグ。だが、剣先はマントを突き破ることが出来ず、逆に包み込まれてしまう。さらにウィルが腕を回すようにすると、今度は完璧にドッグの短剣<ショート・ソード>がマントに絡め取られた。ドッグは剣を引こうとするが、それは不可能。逆に手から奪われてしまった。
 ウィルがマントを引くと、ドッグの短剣<ショート・ソード>は美しき魔人の手へと移った。ドッグは慌てて、ウィルから離れる。短剣<ショート・ソード>が奪われた以上、ドッグは丸腰。咄嗟に昏倒している仲間の手から武器を得る。
 しかし、ウィルは奪った短剣<ショート・ソード>をドッグに対して用いなかった。逆手に持ち替え、剣先から槍のように投擲する先は、ラークを追いつめるフィアー。それも、その足下だった。
 ドガッ!
 ウィルが投げた短剣<ショート・ソード>は、フィアーのブーツを貫き、床へと突き刺さった。いきなり右脚を縫われたような状態になり、フィアーはその場で膝を折る。そして、ウィルに畏敬の眼差しを送った。
 もし、フィアーの足そのものに当たっていれば、黒い塗料のせいで、ブーツに穴を開けるだけで終わっただろう。それを足の底に当たるか当たらないかのところを狙い、なおかつフィアーのブーツを床に縫いつけた技量は驚嘆すべきことだ。まさに神業。美麗なる魔人のなせる神技だ。
 フィアーの動きが止められたことによって、ラークはようやく立ち上がることが出来た。額の汗を腕で拭い、剣を構え直す。多少、息が切れていた。
 一方、フィアーはゆっくりとした動作で、ブーツから短剣<ショート・ソード>を抜き、忌々しそうに投げ捨てた。そして、ラークをねめつけながら立ち上がる。その巨漢の迫力に、さしものラークもひるみを見せた。
 そこへウィルが割り込んだ。美貌の吟遊詩人は、怪人のようなギルドの刺客を前にしてもたじろがない。見上げる眼は、すべてを凍てつかせるような鋭さをたたえていた。
「お前の相手はオレだ。──ラーク。アッシュは任せたぞ」
「わ、分かった」
 ラークはこの場をウィルに託し、自らはアッシュを追った。そのアッシュは、すでにロビーから姿を消している。逃げたとは思えない。おそらくは奥へ行って、マダムを討つつもりだ。
 ラークもまた奥へと消えた。
 一方、それに構わず、ウィルとフィアーは静かに対峙したままだった。まるで相手の技量を推し量るかのように。
 ドッグと残った二人の盗賊が、これからの死闘を予感して固唾を呑む。とても加勢に入れるような状況ではない。
 フィアーの身体がわずかに沈んだ。前傾姿勢。セスタスの刃がまたしても打ち鳴らされる。
 シャキーン!
 まるで野獣が牙を研ぐかのように。
 そして、ウィルは──
「かりそめの命か。ならば、遠慮はすまい」
 初めて、装備の短剣に手が伸びる。それは──
「ぬっ!?」
 鞘から刀身が現れるや、まばゆい光がこぼれた。剣そのものが輝きを発しているのだ。そう、これこそが──
「ひ、《光の短剣》……!」
 ドッグが伝説の剣の名を口にした。
 驚きはフィアーも同じだった。だが、すぐに愉悦を堪えきれないような顔をしだす。
「面白い。その剣でオレが斬れるかな?」
 セスタスを構えながら、フィアーは挑戦的に言った。ウィルも《光の短剣》を構える。
「何なら試してみよう」
 両者の動きが静止した瞬間、双方ともに死闘の火蓋を切った。


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