[←前頁] [RED文庫] [「吟遊詩人ウィル」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]
アッシュは朦朧とする意識の中、ラークを見上げた。
そして、トドメを邪魔されたマダムも、ラークに向かって歯ぎしりする。
「ちょっと、何するんだい!? お前さん、アッシュが憎かったんじゃないのかい!?」
「ああ、憎いとも」
ラークは足下のアッシュに一瞥をくれてから、マダムに向き直った。
「だからこそ、オレの手で始末をつけたいんだ。悪いな、おっさん」
ラークはベギラの盗賊たちを震え上がらせるギルド・マスターに向かって、おっさん呼ばわりした。マダムのこめかみがピクッと動く。それは『オカマ』と同じく、マダムに対する禁句であった。目の前で口にした者は、絶対に殺される。
「……ウィルの連れじゃなかったら、ギタギタにしてやるわ」
ぼそっと呟くマダム。しかし、ラークには聞こえなかったらしく、怪訝な顔をする。
「何か言ったか?」
「別に。──後は勝手にして頂戴。ウィルに因縁をつけられても困るんでね」
「すまないな」
ラークはうなずくと、改めてアッシュを見下ろした。
ところが、二人が会話を交わしている隙に、アッシュは最後の力を振り絞って、新たなガラス瓶を手にしていた。それを握ったまま《灰燼剣》に叩きつける。
「!」
ラークとマダムが気づいたときは、すでに遅し。アッシュは下僕の召還に成功していた。煙の中から巨大な拳が現れる。
「うわぁっ!」
反射的に顔面をガードしたラークだったが、その威力は半端でなかった。強力なパンチを喰らって、壁まで吹き飛ばされる。全身がバラバラになりそうだった。
マダムは警戒しながら、暖炉の方へと動いた。
煙が晴れ始め、ようやくアッシュが呼び出したものの姿が現れる。黄褐色の岩のような肌と、それにふさわしい巨体。知性はなさそうだが、その攻撃性が窺える凶暴そうな顔。そして、手にした巨大な棍棒。それは凶悪な亜人種<デミ・ヒューマノイド>であるトロールだった。
トロールは辺りを見回し、立ちすくんだマダムを見た。そして、棍棒を持っていない左腕で倒れているアッシュを抱え、おもむろに突進し始める。
「ウガーッ!」
トロールは吼えた。マダムが横に飛び退く。しかし、トロールはそのまま真っ直ぐに走り、支配人室の窓に突っ込んだ。
ガシャーン!
窓は粉々に吹き飛ばされ、トロールは窓の外である《堕楽館》の中庭へと踊り出た。そこはマダムの趣味なのか、中央に噴水が設けられ、その周囲を色とりどりの花々が取り囲んでいる。ちょっとした庭園だ。
トロールは中庭の芝生の上に、ぐったりとしたアッシュをそっと横たえた。アッシュの胸が大きく上下し、深呼吸するのが分かる。マダムの香水を吸い込んだアッシュは、新鮮な空気に触れたことで、猛烈な眠気から抜け出しつつあった。
マダムは破壊された窓からその様子を見て舌打ちした。
「何てこったい。よりによってトロールを呼び出すとはね」
マダムは後ろを振り返った。トロールに吹き飛ばされたラークが頭を振りながら立ち上がったところだ。マダムはそれを見て嘆息する。
「お前さんのせいだよ。とっととトドメを刺さないからさ」
そう言って、マダムは顎をしゃくった。
ラークはよろめきながら、マダムの隣に立ち、中庭の光景を目撃する。
「あの怪物は……?」
「トロールだよ。馬鹿力だけが売りの怪物さ。だが、厄介な相手には違いない。ヤツの皮膚は岩のように硬い。剣もなかなか通用しないよ」
「何か手はないのか?」
「ウィルなら魔法でチョチョイのチョイだろうけど、力押しは大変だろうね。後は任せるよ。お前さん、アッシュを討ちたいんだろ? 男だったら一人でけじめをつけるんだね。──私は抜ける。あんな美しくないのと戦いたくないし」
どっちも似たり寄ったりだと思ったラークだが、さすがにそれは口にしなかった。
マダムは暖炉の方へと歩いて行くと、そのままくぐって姿を消した。隠し部屋への入口になっているのかも知れない。
しかし、今はそんな詮索よりもアッシュの方が重要だった。せっかくここまで追いつめたのである。ここで取り逃がすわけにはいかない。
ラークは意を決すると、破壊された窓に飛び込み、アッシュへと走った。
「うおおおおおおっ!」
自然に雄叫びが出た。長剣<ロング・ソード>を握る手に力がこもる。
だが、当然のごとく、トロールがその行く手を阻んだ。唸り声を上げながら、ラークへ棍棒を振るってくる。
ブゥゥゥン!
その攻撃を予測していたラークは、左側へ飛ぶようにして避けた。前転し、すぐさま起き上がる。トロールを迂回してアッシュへ。
ところが、トロールもまたラークの動きを読んでいたかのように、今度は棍棒を横薙ぎにしてくる。そのままアッシュへと走っていたら、まともに喰らっていただろう。察知したラークは間一髪のところで地面へ腹這いになって伏せた。
頭上を棍棒がかすめた。巻き起こった風が髪をなびかせる。回避成功。
しかし、首だけをひねってトロールを見上げた瞬間、ラークは心臓が止まるかと思った。トロールの巨大な足がラークを踏みつぶそうとしていたのだ。
「くっ!」
ラークは横に転がった。その背中に響く地響き。何とかトロールの足も交わすことが出来たラークは、すぐさま立ち上がった。
「ウガァァァァァァッ!」
トロールが吼える。ラークを逃がしたことに腹を立てているようだ。そのままラークへと迫る。
ラークはこの怪物とどう戦うべきか考えた。正直なところ、人間同士の戦いであれば慣れているのだが、モンスター相手では勝手が違う。おそらく、ちまちまとした攻撃を与えても、体力がありそうなトロールを斃すのは、なかなか難しいだろう。出来れば一撃必殺が望ましい。狙うなら、やはり首か。だが、トロールは巨体。ラークの身長では剣先も届かない。
「届かないのなら──」
作戦を決めている間に、再びトロールが襲いかかってきた。棍棒を振り下ろして来る。
ラークはトロールの攻撃をかいくぐり、懐へと入った。破壊力はあるが、大振りだけに見切りやすい。ラークはトロールの脇をすり抜けるようにし、ただ一点だけを狙って剣を振るった。すなわちアキレス腱を。
マダムが教えてくれた通り、トロールの皮膚は岩のように硬かった。だが、ラークの狙った箇所は分厚い筋肉に阻まれたところではなく、人間と同じように急所のひとつであるアキレス腱だ。手応えあり。
アキレス腱を断つことによってトロールを跪かせ、頭の位置が低くなったところで首をはねる、というのがラークの作戦であった。その目論み通り、さすがのトロールも立っていられなくなり、膝から崩れる。棍棒を放り出し、両手を地面についた。
「もらった!」
ラークは長剣<ロング・ソード>を大上段から振りかぶった。トロールの首を目がけ、渾身の一撃を喰らわせる。だが──
「──!」
長剣<ロング・ソード>はトロールの首に食い込んだものの、切断までには至らなかった。それほどトロールの皮膚が硬かった証拠である。
驚愕しているラークへ、トロールが丸太のような腕を振るった。一瞬の隙を突かれ、ラークはまたしても吹き飛ばされる。せめてもの救いは、棍棒ではなかったことか。しかし、強烈な一撃に違いはなかった。
「がはっ!」
背中から芝生に叩きつけられ、ラークは呻いた。あばら骨が折れたらしい。呼吸をするだけで激痛が走る。かろうじて長剣<ロング・ソード>だけは手放さなかった。
「ヴルルルルルルルッ……!」
トロールもまた呻きながら、倒れているラークをねめつけた。そして、驚いたことに立とうとする。アキレス腱が断たれている足を真っ直ぐにすることは出来なかったが、それでもトロールは立ち上がった。そして、落ちている棍棒を拾い、足を引きずりながら、ラークへトドメを刺そうとする。
ラークも懸命に起き上がろうとした。だが、身じろぎしただけで苦痛が襲う。
トロールはラークへトドメを刺そうと棍棒を振りかぶった。立ち上がれず、もがくラーク。
「くそぉぉぉぉぉっ!」
トロールの棍棒がラークの真上に振り下ろされた。
[←前頁] [RED文庫] [「吟遊詩人ウィル」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]