[←前頁] [RED文庫] [「吟遊詩人ウィル」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]
「──っ!」
意識を取り戻したロベリアは、ラークの悲鳴を聞いたような気がして、突然、起き上がった。だが、次の瞬間、息苦しさを感じて、激しく咳き込む。そんなロベリアの背中をさすってくれる手があった。
「大丈夫、ロベリア?」
心配そうに覗き込んで来るのは、ドリスだった。その後ろにはコナーもいる。
「ここは?」
自分がどこにいるのか把握しようと、ロベリアは苦しさに顔を歪めながら、周囲を見回した。
そこは見知らぬ小屋の中だった。物置きとして使われているのか、木箱やロープが雑多に置かれ、シートをかぶせられたボートがロベリアのベッド代わりだ。外はすっかり暗くなったらしく、天井から吊された小さなランプがほのかに室内を照らしている。
どうやら、ここがウィルやドリスの話していた隠れ家らしい。だが、二人の他には誰もいなかった。
「ウィルは? ラークはどこ?」
ひどく声が出しづらい。それでもロベリアは尋ねた。
コナーとドリスは顔を見合わせた。
「それはこっちが聞きたいよ」
と、コナー。
「ロベリア、何があったの? 気絶したまま、ここへ運ばれて来たんだから」
ドリスも問いたげに言う。
そう言われ、ロベリアは何があったか思い出そうとした。確か、ラークを助けるために、ウィルと王宮《ヨツンヘイム》に乗り込み、謁見の間へ行って……。
次第に甦る記憶。それに従い、目は見開かれ、手は自然に首へ伸びていた。
「そうだ……私、ラークに……」
間近に迫るラークの顔は、激しい憎しみに彩られていた。明らかなる殺意。ロベリアは殺されかけた……。
声にならない悲鳴を上げ、ロベリアは身を縮ませるようにして目をつむった。今頃になって恐怖が込み上げ、身体が震えてくる。
そんなロベリアを見て、再び少年と少女は顔を見合わせた。どうしたものかと思案しながら。
目をつむった闇の中に、ラークの顔は鮮明に浮かんだままだった。ロベリアに対して死ねと言った、あのときの顔。本当に殺されると思った。また、そのとき、それを覚悟した……。
ラークが殺そうとしたのは、マジック・アイテム《恭順の耳》を盗んだのがロベリアだと知ったからではないだろうか。捕らえられている間、その話をアッシュから聞かされていたとしてもおかしくない。ロベリアが《恭順の耳》を盗んだことによって、彼の妹クリステルが毒を飲み、失明してしまったのだ。復讐にベギラまで乗り込んできたラークが、ロベリアを許せないと思うのも当然だろう。
今さらながらに悔やむロベリアであった。弟のマイケルを助けるためだったとは言え、他の誰かを傷つけることもいとわなかったとは。コナーやドリスたちに、こんな荒んだ街でも真っ当な仕事をして生きていくよう説いておきながら、自分はアッシュの片棒を担いだ。その報いを受けても仕方ない。だが──
こうして、まだ生きていることをロベリアは不思議に思った。ラークはトドメを刺さなかったのだろうか。だとしたら、なぜ。それにラークもウィルも、どこへ行ったのか。
ロベリアは顔を上げた。
「ねえ、誰が私をここまで運んでくれたの?」
二人に尋ねると、コナーが怯えたような目で小屋の入口を振り返った。何かあるのかと思い、ロベリアもそちらを見る。その直後、息を呑んだ。
ボート小屋にいるのは、ロベリアとコナー、そしてドリスの三人だけではなかった。室内が薄暗かったせいで気づかなかったのだが、ドアのところに一匹の黒豹が寝そべっている。すっかり闇に溶け込んできた。
「ロベリアがあの黒豹の背に乗せられて現れたときは驚いたわ。でも、私たちに危害を加えるつもりはないみたい。むしろ、私たちを守ってくれているのよ」
ドリスはそう言うと、黒豹のところへ行き、しゃがみ込んだ。そして、まるでネコでも可愛がるかのように頭を撫で始める。それを見たコナーは引きつった。
「ば、バカ! お前、噛みつかれるぞ! 早く離れろ!」
「なぁに、コナー? この子が怖いの?」
ドリスはコナーをからかいながら、黒豹から離れようとしない。コナーは苦々しい表情をするが、決して黒豹に近づこうとしなかった。
「し、知らねえからな、食われちまっても!」
「そんなことしないわよ。ねえ?」
ドリスがさらに頭を撫でると、黒豹は気持ちよさそうに眼を細めた。
ロベリアは黒豹を見つめた。確か、地下酒場《涸れ井戸》にウィルが訪れたとき、どこからともなく黒豹を出現させ、襲いかかった盗賊を撃退したことがある。とすれば、今回もウィルが呼び出したものだと考えるのが適当であろう。
「でも、こいつが来てから、オレたちを一歩も外へ出してくれないじゃんかよ。きっと、そのうち、オレたちを食うつもりなんだ」
コナーはすっかり黒豹を敵視し、そんなことを言う。
ドリスは大袈裟にため息をついて見せた。
「それは外が危険だからよ。私たちに出るなって言ってるの」
その言葉に、ロベリアはハッとした。きっと、まだウィルはアッシュたちと戦っているのだ。となれば、そこにはラークも一緒にいるのかも知れない。
ラークは許してくれたのだろうか。ロベリアは考える。まだ、自分の口から謝ってもいない。
育ちが良さそうな顔なのに、盗賊ギルドにケンカをふっかける無鉄砲さを持った元騎士見習い。まだ出会って二日くらいしか経たないが、普段の彼からは、妹のクリステルに対して優しい兄だというのが自然に窺える。こんな事件に巻き込まれなければ、彼ら兄妹は何事もなく片田舎のティーレで平穏に暮らせただろうに。改めて自分の犯した過ちをロベリアは後悔する。
このままでは終われないと思った。それがどんな結果を招こうとも。
だが──
再び、絞め殺そうとするときのラークの顔が浮かび上がり、ロベリアは自分の身体を掻き抱いた。怖い。そして同時に、自分の弱さに情けなくなる。今、勇気を奮い起こしたはずなのに。
心の葛藤。ロベリアはしばらく身じろぎひとつしなかった。
そこへ──不意に甦ってくるラークの悲鳴。ロベリアが意識を取り戻した瞬間、聞こえたような気がしたものだ。
ラークは戦っている。己のために、妹のために。それはすでに意地かも知れない。それでもラークは逃げるということを決してしなかった。盗賊ギルドという、恐ろしく強大な組織を相手にしながら。
(私も逃げちゃダメなんだ!)
ロベリアは決意を固めた。唇をキュッと結ぶ。そして、ボートから起き上がると、黒豹のところへ行った。
「ねえ、ウィルとラークはどこ? あなたは知っているんでしょ? お願い、私をそこまで案内して。私は……もう一度、ラークに会わなくてはいけないの」
黒豹はロベリアを見つめた。その眼は、何となく、あの美しき吟遊詩人のものを思わせる。ロベリアは逸らさなかった。黒豹に決意を試されているように思ったからだ。
やがて黒豹は眼をつむった。そして、おもむろに立ち上がる。
「ありがとう」
ロベリアは黒豹に感謝した。
「ロベリア、そんな身体で行くつもり?」
ドリスが心配そうに言った。それに対し、ロベリアは力強くうなずく。
「これは私の問題なのよ。行かなきゃいけないの」
そう答えて、ロベリアは微笑んだ。悲愴感はない。
ドリスはロベリアの腕をつかんだ。
「じゃあ、私も行く!」
「ドリス?」
「ロベリアがラークさんを放っておけないように、私もロベリアを放っておけないの! ダメだって言っても、絶対に着いて行くからね!」
ドリスがそう言うと、コナーも立ち上がった。
「お、おおお、オレもだ!」
黒豹と行動を共にしなければいけないのが難点だが、ロベリアを心配するのはコナーも同じである。両拳がグッと握られていた。
ロベリアは困ったように黒豹の方を見た。すると黒豹は、また両眼でウインクする。
「いいだろう」
ウィルがそう言ってくれている気がした。
「分かったわ。行きましょう!」
ロベリアは二人にうなずくと、黒豹を先頭にして、ボート小屋を出た。
月光がベギラの街を照らし出す。三人と一頭の黒い影は長く尾を引くように伸び、夜の街路を駆け抜けていった。
[←前頁] [RED文庫] [「吟遊詩人ウィル」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]