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吟遊詩人ウィル

冒された森

−2−

 《神秘の森》はエルフたちの居住地であり、そこには人間すら立ち入れないはずであった。
 だが、今ここに一人の人間がエルフの集落を訪れようとしていた。
 その者は全身が黒ずくめという出で立ちであった。頭には黒い旅帽子<トラベラーズ・ハット>、旅装束もブーツも、それらを覆い隠すマントも闇のようだ。それでいながら、帽子の鍔の下から覗く伏せがちな顔は病的なほど白い。
「ここは《神秘の森》だ。人間が立ち入る場所ではない」
 髪を女性のように長く伸ばした若い青年のエルフが集落の入口で引き止め、旅人に警告した。その旅人の周囲には十名ほどのエルフたちがおり、木の上から油断なく取り囲んでいる。若いエルフ以外、皆、いつでも矢を放てるように弦を引き絞っていた。
「お前がこの集落の長か?」
 旅人が尋ねた。男性にしては、氷の吐息を思わせる澄んだ声だった。
「いや、違う。だが、長と面会することは許されない。お前が人間である以上はな。もう一度言う。ここは人間が足を踏み入れていい場所ではない。すぐに立ち去れ。道に迷ったのなら、案内をつけてもいいぞ」
 若いエルフは毅然として言った。
 普通、十本の矢を向けられていたら、とても友好的な話し合いなどできるものではないと気色ばむところだが、旅人にはまったく意に介した様子は見られなかった。むしろ、若いエルフの方がそれを訝る。
「おい、聞こえているのか?」
「もちろん聞こえている。だが、このままでは帰れない。オレは王からの密書を託されてきたのだ」
「王からの密書? 王とはエスクードの国王のことか?」
 エスクード王国は、ネフロン大陸西方において五大王国と呼ばれる列強の一つだ。ここ《神秘の森》は、そのエスクード王国の領地内にある。もっとも、エルフたちからすれば、それは人間が勝手に境界線を引いて、自分たちの国だと主張しているだけのことで、彼らは別にエスクード王国の傘下に入った覚えはない。
 現在、《神秘の森》のエルフ族と人間たちとの関係は、ほぼ断絶状態であった。それが何故、今頃になって密書などを送ってよこすのか。それも正式な使者とも思えない黒い旅装束の男に託して。
 旅人はマントの下から、その密書と思われる筒状の紙を取りだして見せた。赤い封蝋にエスクード王家の紋章が押しつけられているのを若いエルフが確認する。どうやら本物らしい。
 しかし──
「ふざけるな! オレたちはお前たちの言うエスクード王国に仕えているわけではない!」
 激昂したのは、リーダー・シップを取っている若いエルフではなく、矢をつがえている一人のエルフだった。それは他のエルフも同様のようで、弓を引く手に力がこもる。
「待て」
 若いエルフは仲間を制止した。しかし、それでは治まりが利かない。
「野蛮な人間め! 消え失せろ!」
 武器も手にしていない旅人に向かって矢が放たれた。それは威嚇ではなく、間違いなく当てるように狙ったものだ。
 その刹那、旅人はマントを払いのけた。
「ヴァイツァー!」
 突然、旅人を中心にして強い風が巻き起こり、突き刺さるはずだった矢はあらぬ方向へ逸れた。それが風の精霊の仕業であることを、白魔術<サモン・エレメンタル>の使い手が多いエルフたちは即座に気づく。同時に、この旅人が白魔術師<メイジ>であることも悟った。
 旅人は初めて顔を上げ、矢を放ったエルフに一瞥をくれた。その眼光の鋭さに、血気にはやったエルフはすくみ上がる。危うく、木の枝から足を滑らしそうになった。
「下がれ! あとは私が話をする!」
 若いエルフが一喝した。その声に体をびくりと震わせたエルフたちは、弓矢を構えるのをやめ、その場から散っていく。旅人と若いエルフだけが残された。
「仲間の非礼をお詫びする。申し訳ない。許してくれ」
 若いエルフはそう言って、その場に膝をついた。それがエルフ族の謝罪の仕方なのだ。
 それに対し、旅人は言った。
「いや。こちらもお前たちの森へ突然やって来て悪いと思っている。だが、事態は急を要するのだ」
「何か王国であったのか?」
 若いエルフは立ち上がった。
「それは──」
 旅人が言いかけたところで、こちらへ走ってくる者がいた。二人ともそちらを振り返る。
「ミシル」
 若いエルフがハーフ・エルフの少女の名を呼んだ。
 ミシルはやっと集落に辿り着き、安堵したような表情を見せた。
「サラフィン!」
 ミシルは走った勢いが止まらぬかのように、そのまま若いエルフ──サラフィンの腕にすがりついた。そして、肩で大きく息をしながら、苦しそうに喘ぐ。
「どうした? そんなに慌てて」
 サラフィンはこれまでとは違った優しい声でミシルに尋ねた。ミシルが顔を上げる。
「森にダーク・エルフが!」
「何だって?」
 ミシルの報告にサラフィンは驚愕の表情を浮かべた。そして次に、改めてハーフ・エルフの少女を見下ろす。
「それで大丈夫なのか!? どこかケガとかはしていないのか!?」
 逆にサラフィンに強い力で腕をつかまれ、ミシルはビックリした。痛みに顔をしかめながら、うなずいてみせる。
「私は大丈夫。一角獣<ユニコーン>が助けてくれたから……そうだ! “彼”の方が心配だわ! 私の身代わりとなって傷ついて……ああ、どうしよう! もしも“彼”に何かあったら!」
 一角獣<ユニコーン>の身を案じて取り乱すミシルを、サラフィンは強く揺さぶって、こちらをちゃんと見るように仕向けた。
「ミシル! ミシル! 今は一角獣<ユニコーン>よりも、ダーク・エルフが入り込んだことの方が重要だ! それでダーク・エルフはどこへ行ったんだ!?」
「……もう死んだわ」
「死んだ?」
「私が殺ったの……」
 サラフィンはなかなかミシルの言葉を呑み込めない様子だったが、彼女の腰にぶら下がっている《幻惑の剣》を見て、ようやく理解する。同時に血相が変わった。
「何てムチャを! どうしてすぐに逃げてこなかったんだ!?」
 今度はサラフィンの方が取り乱す番だった。叱られたミシルは、思わずカチンと来る。
「そんな暇なんかなかったの! 殺るか殺られるかだったんだから!」
「それにしたって! 無謀すぎるんだよ、キミは!」
「何よ! いつまでも子供扱いしないで! 森の中くらい、一人で歩けるわ!」
「ミシル、身の程をわきまえるんだ! 分別のある大人なら、もっと行動を慎重に──」
「取り込み中、悪いが……」
 二人が口論し始めるのを見て、旅人が間に入った。
「ダーク・エルフは一人だったか?」
 旅人はいきなりミシルに尋ねた。
 そのとき、ミシルは初めて旅人の顔を見てしまった。その瞬間、すべての思考が消し飛んでしまう。旅人の顔があまりにも美しかったからだ。
 エルフ族は総じて人間よりも美しいとされているが、どんな美男美女のエルフでも旅人の持つ美貌には敵わなかっただろう。女性はもちろんのこと、同性すらもその美しさに身震いする。旅人の相貌には、そんな魔性が宿っていた。
「ミシル?」
 陶然としているハーフ・エルフの少女に、サラフィンは訝しげな目を向けた。彼が知る限り、ミシルが恋愛に関心を持ったことなど一度もないはずだが、今の彼女はまるで女の本性に目覚めたように見えた。
「ダーク・エルフは一人だったか?」
 同じ質問を黒衣の美しき旅人は繰り返した。ミシルは頬を染めながら、ようやく我に返る。
「あっ……えっ……はい……」
 ミシルは夢見心地で答えた。きっと、どんな質問をされても、今はこのようにしか答えられないだろう。
 すると旅人は険しい表情で森の奥を見つめた。
「何だ? 何か心当たりがあるのか?」
 ダーク・エルフについて何か知っていそうな旅人の素振りに、サラフィンは訊いてみた。すると、旅人は手にしていた密書を振ってみせる。
「この件に関係することだ。多分、森に入り込んだダーク・エルフは他にもいるに違いない」
 旅人には確信があるようだった。
「どうして、そんなことが言える?」
「この密書は共通の敵とともに戦おうという要請だ」
「共通の敵? ダーク・エルフが?」
 確かに、エルフ族にとってダーク・エルフは宿敵だ。人間も反社会的な彼らを看過することはできないだろう。だが、協力して斃そうなどという申し出は前代未聞だった。
 旅人は続ける。
「ただ徒党を組んだダーク・エルフではない。強大な魔力を持つダーク・エルフを長に、凶悪な魔獣たちを支配した恐ろしい軍勢だ。今、エスクード王国はその魔獣軍団の脅威にさらされている」
「何だと!?」
 旅人の話に、サラフィンもミシルも驚いた。外界から隔絶された《神秘の森》では、あまり外の情報は入ってこない。まさかエスクード王国がそのような危機に陥っているとは夢にも思わなかった。
「ヤツらも王国と森のエルフ族が結びついては厄介だと考えたのだろう。何某かの工作を仕掛けてきたに違いない。だから、他にも侵入したダーク・エルフがいるかもしれないと言っているのだ」
「それが本当だとすれば、早くヤツらを見つけださねば」
 旅人はうなずいた。
「可能性は低いと思うが、死んだダーク・エルフが何かの手がかりを持っているかもしれない。よかったら、案内してもらえないか?」
 ミシルは旅人に言われ、真顔で了承した。もう、美形を前にしてのぼせている場合ではない。
 サラフィンも同道を申し出た。
「私も一緒に行こう。ただ、その前に、このことをみんなに知らせて、警戒を強化しなくては。すぐに戻る。ここで待っていてくれ」
 そう言って、サラフィンは集落の方へ行きかけた。が、すぐに立ち止まって、振り返る。
「ところで、まだあなたのお名前を伺ってなかった。私はサラフィン。今、病に伏している長の代理を務めている」
 すると旅人も名乗った。
「オレはウィル。吟遊詩人のウィルだ」


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