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吟遊詩人ウィル

冒された森

−3−

 ハーフ・エルフの少女、ミシルの案内によって、若きエルフの青年サラフィンと美しき吟遊詩人ウィルは、ダーク・エルフが斃された小川のほとりまでやって来た。
 しかし、ミシルとサラフィンは、見慣れたはずの森の光景が変わっていることに愕然とし、言葉を失った。周囲の草木は枯れ、土壌は汚泥のようになり、鼻がもげそうなくらい悪臭を放っている。まるでこの辺りの森だけ腐っているかのようだった。
「これは……」
 思わず足を踏み入れるのはためらわれた。ミシルが斃したダーク・エルフの死体はなく、代わりに腐敗した森が出来上がっていた。毒素は小川にまで流れ込み、その清廉な水さえ冒している。
 ウィルは一人、そのようなことを気に留めず、足を踏み入れた。そして、手にした木の枝で、地面をほじくり返してみる。ねっとりとした菌糸のようなものが付着した。
「腐っているな」
 ウィルは呟くように言った。
 サラフィンは顔を強張らせた。
「一体、誰がこのようなことを……」
「ダーク・エルフに違いない」
 ウィルは断じた。
 今度はミシルが蒼白になる番だった。
「そんな……私は確かに……」
 ダーク・エルフを刺し殺した。ミシルはそう言いたかったが、肝心な死体は消え失せてしまっている。
 もちろん、ウィルもミシルの話を疑っているわけではなかった。
「おそらく──これはあくまでもオレの推測に過ぎないが──ダーク・エルフの死体がこのような腐敗を招いたのだろう」
「ダーク・エルフの死体が?」
 サラフィンにはウィルの言っている意味が分からなかった。
 ウィルはあちこちの土を枝で掘り返しながら、自分の考えを話す。
「禁呪の中には、人間の体を触媒にしたものがあるという。禁呪でなくとも、虫や小動物を触媒にする呪文が存在するのだから、別に不思議ではないだろう。もし、それを扱える者がこの森を──そして、君たちエルフ族を邪魔だと考えているのなら、手下の者にその禁呪を用いた可能性が考えられる。自らの体を触媒とし、森を滅ぼそうという禁呪だ。この禁呪を用いる利点は、大軍を差し向けなくても、少数の者を送り込めばいいというところだ。もちろん、その触媒になった者たちに待つのは死しかないが、自分の命すらいとわない狂信的な連中なのかもしれない」
 ウィルの考えに対し、サラフィンは素早く思考を巡らせた。それが本当ならば、事態はただのダーク・エルフ侵入に留まらない。
「そう言えば、あのダーク・エルフ、様子がおかしかったわ」
 ミシルが思い出したように言った。二人がハーフ・エルフの少女に注目する。何しろ、今、森に侵入したダーク・エルフと直接対峙したのは彼女だけなのだ。
「何だか、とても具合が悪いみたいで、歩くのにもフラフラしていたわ。それに魔法とは思えない奇怪な技を使っていたし」
「奇怪な技?」
「うん。人差し指がね、まるで生きたミミズみたいにビヨーンと伸びたの。気持ち悪かったわ。そして、その伸びた指が私の後ろにあった木に突き刺さると、その木はたちまち枯れてしまったのよ」
 嫌悪感に顔を歪ませながら、ミシルは話して聞かせた。サラフィンの顔が、益々、難しくなる。
「確かに、そんな魔法は聞いたこともないな。指が伸びるだなんて。変身<シェイプ・チェンジ>の一種か?」
「多分、禁呪が身体にもたらす副作用みたいなものだろう。薬でも毒でも、強力なものは人体に思いもよらぬ変化をもたらすからな。どうやら、普通のダーク・エルフを相手にするよりもこれは厄介そうだ」
 とてもそのようには思ってないような口振りで、ウィルは言った。
「では、あなたはやはり、侵入したダーク・エルフは、そいつ一人とは考えていないのだな?」
 サラフィンは、まだ地面を掘り返しているウィルに向かって尋ねた。
「無論だ。一人でこの辺りの森を腐らせただけだとすると、もっと他にいてもおかしくない」
 ウィルの言葉に、サラフィンは同感したようにうなずいた。侵入したダーク・エルフたちは、まるで森を死に至らしめる病原体のようだ。
「これもエスクード王国を襲っている魔獣軍団を率いたダーク・エルフの仕業か?」
「おそらく。いや、ヤツしか、このような禁呪を扱える者はいまい」
「一体、何者だ?」
「エルフ族ならば、一度はその名前を聞いたことがあるだろう。──最も悪名高きダーク・エルフ。デスバルク」
「──っ!?」
 その名前にサラフィンは硬直した。
 ミシルは、そんなサラフィンの血の気を失った顔を見る。彼がこんなに度を失った姿は初めてだ。
「デスバルクって?」
 初めて聞く名前に対し、ハーフ・エルフであるミシルは尋ねた。それに答えたのはウィルだ。
「かつて創造母神アイリスら神々と魔界の軍勢が戦ったとき、ダーク・エルフたちを率いていたヤツらの王だ。多くのダーク・エルフは、今でもデスバルクを神格化している」
「だが! デスバルクは《魔界大戦》の終焉とともに死んだはず! きっと他の何者かが名を騙っているに違いない!」
 サラフィンは吐き捨てるように言った。ダーク・エルフたちの間で神格化されているデスバルクは、逆にサラフィンたちエルフ族では悪魔のような存在である。その名を口にするだけで汚らわしかった。
 しかし、それを正すようにウィルは首を横に振った。
「デスバルクは復活した。不死王<ノーライフ・キング>としてな」
「不死王<ノーライフ・キング>!?」
 不死王<ノーライフ・キング>は、アンデッドの上位種である吸血鬼<ヴァンパイア>の中でも頂点に君臨する。その強靱な肉体と強大な魔力は、人間やエルフはもちろん、他のモンスターをも圧倒し、神々と対等に戦った魔王に匹敵すると言い伝えられていた。
 次々に語られるショッキングな内容に、サラフィンは今しも卒倒しそうな感じだった。だが、この聡明で勇敢な若いエルフは、かろうじて踏みとどまる。
 ウィルは続けた。
「デスバルクは勇者ラディウスに斃される直前に、解脱の儀式を終えていたらしい。そして、三千年の眠りから覚め、再び自らの軍勢を作り上げたのだ。でなければ、こんな短期間のうちにダーク・エルフたちを束ね、魔獣たちを秩序ある軍勢として統率できる者などいない」
 これまで人間やエルフ族から敵視されてきたダーク・エルフだが、大した脅威としては捉えられていなかった。それはダーク・エルフたちが小さな部族間で対立し、協調性を持たなかったからで、どうしても散発的な襲撃に終始していたからだ。
 しかし、ここでデスバルクという絶大なる王が再臨したことによって、全世界のダーク・エルフたちが結託することとなった。これは確かに、エスクード王がエルフ族に共同戦線を要請したくなるほど、急を要した事態だと言える。そして、それは決して人間世界だけに限った対岸の火事に終わらず、こうして平和だったはずの《神秘の森》にも、その矛先は向けられているのだ。
 サラフィンはエルフ族の次期指導者の一人として、決断を下さねばならなかった。
「どうやら、エスクード王の要請を簡単に突っぱねるわけにはいかぬようだな。各地の長たちを集めて、賢人会議を開こう。それに《監視者》たちと連絡を取って、一刻も早く森に侵入したダーク・エルフを排除しないと。ここは一旦、我々の集落へ戻ろう」
 だが、それに異を唱えたのはミシルだった。
「ちょっと待って。私は戻らないわ」
「ミシル?」
「私は“彼”を捜さないと。あの傷で、きっと今頃、苦しんでいるはずだわ」
 ミシルはかけがいのない友である一角獣<ユニコーン>の捜索を訴えた。しかし、それにはサラフィンが、断固、反対する。
「ダメだ! 今、この森にはダーク・エルフが徘徊しているんだぞ! さっきはうまく切り抜けられたかもしれんが、今度もそうなるとは限らない! 私と一緒に帰るんだ!」
 サラフィンはミシルの手首をつかむと、グイッと引っ張った。
「痛い! ヤだ! 私は“彼”を捜しに行くの!」
 ミシルは抵抗したが、サラフィンはその手を放さなかった。
「静かに!」
 ウィルがそれを鋭く制した。
 何を感じ取ったのか。ただならぬウィルの様子に、二人は言い争いを中断する。
 カサカサッと茂みが音を立てた。ウィルは音のする方向に向かって、手にしていた木の枝を投じた。
 木の枝は狙い違わず、まるで投げ槍のごとく茂みを貫く。その直前、中から何かが飛び上がった。
「おっと、いきなり、危ねえ、危ねえ」
 そいつは木の上でそう喋った。しかし、その格好は奇妙だ。木の上にはいるが、枝にはまったく手も足をかけておらず、そのまま太い幹に張りついている。それも頭を下にした格好で。
「ダーク・エルフ!」
 サラフィンが言うまでもなく、その者の肌は褐色で、耳は尖っていた。
「誰が死んだのかと見に来てみりゃ、ヒヒトの野郎だったか。まあ、あいつが一番最初に死ぬとは思っていたがよ。殺ったのはお前たちか?」
 ダーク・エルフはウィルたちを見下ろした。
 ミシルは《幻惑の剣》に手をかけた。それをサラフィンが止める。その二人の前にウィルが立った。
「おんやぁ? お前は人間だな? どうして、この森に?」
「そういうお前は、デスバルクの配下の者だろう」
「な、なぜ、それを!?」
 ダーク・エルフは驚いた様子だった。デスバルクの復活に関しては、まだ外の世界と隔絶された《神秘の森》にまで伝わっていないと思っていたからだ。しかし、本来、森への立ち入りが許されない人間のウィルを見て、すぐに合点がいった様子だった。
「さてはエスクードの使いの者か。ならば、ここで死んでもらうしかあるまい。オレの名はグノー。お前は?」
「ウィル」
 そのとき、美しき吟遊詩人は冷徹なる魔人へと変貌した。


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