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吟遊詩人ウィル

冒された森

−4−

 先制攻撃を仕掛けたのはウィルだった。体を覆っている黒いマントをひるがえし、右腕を突き出すのと同時に素早く呪文を唱える。
「ディロ!」
 白魔術<サモン・エレメンタル>の攻撃魔法であるマジック・ミサイルは、まるで蝉のように木の幹にとまったダーク・エルフ、グノーを撃ち落とすはずであった。
 だが──
 グノーはウィルの魔法攻撃を平然と背中で受けた。そして、まったくダメージを感じさせず、ニヤリとおぞましい笑みを見せる。
「その程度の魔法、オレには通じんぞ」
 グノーは嘲笑った。
 ダーク・エルフは黒魔術<ダーク・ロアー>の使い手と知られている。そのため、エルフ族以上に高い魔力を持つ者が多い。魔王へ魂を売り渡し、闇の軍勢に加盟した見返りだ。その高い魔力は魔法を使うときの糧となるが、同時にかけられた魔法に対する抵抗力にもなりえた。グノーは元々の魔力の高さに加えて、今はデスバルクの禁呪によって、異常な体質変化が起きている。したがって、ウィルの魔法を完璧にレジストしていた。
 自分の魔法が通じないことに、ウィルは何を思ったか。ただ怜悧な眼を頭上のグノーへ注ぐ。
 魔法が効かないのならと、ミシルは加勢するつもりで自分の《幻惑の剣》を抜こうとした。だが、それはまたしても隣にいるサラフィンによって阻まれてしまう。ミシルは咎めるような目つきで、サラフィンの顔を見た。
「離して」
「ダメだ。キミは手出しするな」
 ミシルよりも厳しい顔をしていたのはサラフィンの方だった。
「どうしてよ?」
「相手はダーク・エルフだぞ。キミが敵うような相手じゃない」
「さっき、一人斃したわ」
「そんなのはまぐれだ。勘違いするな」
 サラフィンにそうまで言われて、ミシルがカチンと来ないわけがなかった。思い切り、サラフィンの手を振り払う。
「あなたまで私のことを認めてくれないの?」
「ミシル!」
 人間とエルフの間に生まれた忌まわしき存在として疎んじられてきたミシルだが、その中にあって、サラフィンだけはハーフ・エルフという出自を気にせず、他のエルフと同等──いや、それ以上の優しさと配慮を持って接してくれた。この《神秘の森》で、自分の本音をさらけ出すことができる数少ない友人だと信じてきたのである。だからこそ、ダーク・エルフのことを真っ先にサラフィンに話そうとしたのだ。
 ところが、今のサラフィンは、まるっきりミシルを子供扱いしていた。どうして肝心なときにそうなってしまうのか。孤独を胸に秘めてきたハーフ・エルフの少女とすれば、歯がゆさと同時に淋しさを感じてしまう。もっと自分を信じて欲しかった。
 だが、今は口論をしている場合ではなかった。まだ戦いの最中だ。
「今度はこっちの番だ」
 グノーは木から木へ飛び移った。その途中、口から白い粘液状のものを吐き出す。まるで蜘蛛の糸のようだ。
「危ない!」
 サラフィンはミシルをかばいながら、落下する蜘蛛の糸から逃れた。ウィルも二人とは別方向へ走る。
 グノーが吐き出した蜘蛛の糸は、空中で捕縛用のネットのような形に変わり、地面に落ちた。まるで蜘蛛の巣である。その途端、ジュッという灼けるような音がし、きなくさい臭いが周囲にたちこめた。もし、グノーの糸に絡め取られていたら、ただでは済まなかっただろう。
「ぐっ……」
 蜘蛛の巣を回避した際、ミシルに覆い被さるような格好で倒れたサラフィンがうめき声を上げた。ミシルは血相を変えて、サラフィンを心配する。サラフィンは左肩の辺りを手で押さえていた。
「サラフィン!?」
「し、心配するな……大したケガじゃない……」
 どうやら、ミシルをかばったサラフィンの肩に、グノーの蜘蛛の糸がわずかながら触れたようだった。
「ハッハッハッ、どうだ、オレの蜘蛛の糸の味は? ご希望なら、もっと味わわせてやるぜ!」
 グノーは獲物が泣き叫ぶ姿をもっと見たいとばかりに、木の上からさらに蜘蛛の糸を吐き散らした。雨のように降り注ぐ糸から、サラフィンとミシルは互いを支え合うようにして逃げまどう。
「そらそらそらーぁ!」
「バリウス!」
 眼下の二人をいたぶるグノーの背後より、突然、呪文が唱えられた。それは真空刃の呪文。しかし、その魔法はグノーを切り刻むのではなく、その頭上にあった大振りの枝を切断した。
「ぐはっ!」
 切り落とされた枝はグノーの頭を直撃した。いくら魔法抵抗力に長けたダーク・エルフでも、これにはたまらない。グノーは下へ落下した。
 しかし、地面に叩きつけられる前に、グノーは半身をひねると、口から糸を吐いて、まさしく蜘蛛のように木から垂れ下がった。そして、反動を利用して、再び木の上に舞い戻る。驚くべき身の軽さだった。
 グノーはしたたかにぶつけた頭を手でさすった。すると、その先にいた美麗の吟遊詩人と目が合う。いつの間にかウィルもまた、木の上へと足場を移していたのだ。
「よくもやりやがったな!」
 グノーは激昂した。短命で、ほとんどが魔法を扱うことのできない人間を、すべてのダーク・エルフは蔑んでいる。その人間であるウィルにしてやられたことが、グノーの怒りを膨れ上がらせた。
 ウィルの狙いは、まさにそれであった。グノーの注意をサラフィンたちから自分へ向けさせる。このダーク・エルフは一筋縄でいかない相手だ。
「お前から始末してやる!」
 グノーは睨みつけるように言うと、口から勢いよく蜘蛛の糸を噴射した。いや、それはもう蜘蛛の糸とは呼べないだろう。白い粘液の塊だ。
 ウィルは跳躍した。一刹那遅れて、白い粘液がウィルの立っていた木の枝をアッという間に溶かす。強烈な酸の刺激臭がした。さすがのウィルも、これを喰らってはひとたまりもないだろう。
 ウィルは枝から枝へと飛び移り、ひたすら上を目指した。グノーの噴射する白い粘塊がどれほどの射程かは分からぬが、上方向ならば少しは勢いを削ぐことが出来るはずだ。
 だが、グノーの罠はすでに仕掛けられていた。
 森の木々の一番上まで出ようとしたウィルだったが、それは唐突に遮られた。まるで何かに絡め取られたかのように、ウィルの動きが完全に封じられてしまう。
「かかったな」
 宙づりになったウィルを見上げながら、グノーは残忍な笑みを見せた。
 それは、あらかじめグノーが張り巡らせていた蜘蛛の巣の仕業だった。獲物を取り逃さぬよう、ウィルたちに姿を見せる前から準備していたのである。この辺一帯が、すでにグノーのテリトリーだったのだ。
「すぐには殺さん。じっくりといたぶってくれる」
 グノーはゆっくりと木を登り、ウィルを捉えた蜘蛛の巣まで辿り着いた。そして、腰のベルトに吊していた二本のショーテルを両手に持つ。
 ショーテルは、鉤状の形をした両刃の剣である。剣本来の斬撃用としてはもちろんのこと、その独特な湾曲の形状から、盾で身を隠した相手に対し、その横合いや頭上から攻撃できるという特徴を持つ。
 二本のショーテルを持ったグノーは、さながら牙を持つ毒蜘蛛のようだった。粘着性のない縦糸を器用に伝って、囚われの獲物へと近づく。
 それに対し、身動きの取れぬウィルは、蜘蛛の巣に捕らわれた美しきクロアゲハか。
 グノーの毒牙がウィルに迫る。
 しかし──
 この美しきクロアゲハは、まだ死を覚悟したわけではなかった。
「ヴィム!」
 ウィルの魔法が発動するや、風が蜘蛛の巣を激しく揺らした。煽りを食って振り落とされそうになったグノーは、動きを止めて巣にしがみつく。
 風はウィルの身体を包み込み、力強い羽根──否、翼となった。それは四肢の自由を奪っている蜘蛛の巣を引きちぎろうとする。
「させるか!」
 グノーは口から蜘蛛の糸を吐いた。だが、時すでに遅し。
 ウィルは飛行呪文によって蜘蛛の巣を突き破り、脱出した。足場を失ったグノーは墜落する。
「くっ!」
 再び糸を吐き、グノーは転落を免れた。しかし、木の上に着地して、息をつく暇もない。宙づりの状態で空を見上げたグノーは驚愕に目を見開いた。
「なっ!?」
 身を翻したウィルが、猛禽ハヤブサの如きスピードでグノーに襲いかかろうとしていた。グノーに逃げ場はない。すでに獲物と捕食者の関係は入れ替わっていた。
 ウィルは獲物を抉る爪を閃かせた。すなわち、この苛烈なる魔人が所有する伝説の武具──《光の短剣》を。
「ギャアアアアアアッ!」
 光がグノーの糸と左腕を切断した。今度こそ為す術なく、グノーは地面に叩きつけられる。幸か不幸か、柔らかな土と落ち葉がクッションとなり、激突死だけは免れることができた。
 グノーは墜落のショックとダメージで動転しつつも、反射的に起き上がろうとした。その鼻先へ、無情なるウィルの《光の短剣》の切っ先が突きつけられる。いつの間に音もなく降り立ったのか。グノーの表情が凍りついた。
「一度だけ尋ねる。お前たちの人数と目的を言え。答えぬのなら、今すぐ、その首をはねる」
 ウィルの口調は静かだったが、有無を言わせぬ迫力が秘められていた。
 グノーが喉を鳴らす。逆らえなかった。
「お、オレを含めて、全部で七人……皆、この森の壊滅が目的だ……オレたちの肉体そのものが森を死に至らしめる毒薬みたいなもんさ……」
 冷や汗をかきながらも、グノーは強気に笑って見せた。どうやら推測は当たっていたようだ。ウィルは《光の短剣》を引く。
「そうか。ご苦労」
 ウィルはグノーにトドメを刺さず、それどころか背中すら向けた。まさか、このダーク・エルフを見逃そうとでもいうのか。
 グノーは顔を上げた。
「バカめ! 敵に背中を見せるのか!」
 切断されたはずのグノーの左腕から、新しい手が生えた。それだけではない。さらに四本の腕が背中を突き破って現れる。グノーはその姿も蜘蛛そのものであった。
 再び牙を剥いた敵に対し、ウィルは──振り向かない。悠然と歩み去っていく。
 グノーはその背中に激しい敵愾心をぶつけながら、自分の勝利を確信した。
 その刹那──
 ドッ!
 突然、グノーの視界が赤く染まった。頭から何か生暖かいものが垂れてくるような感触を覚える。次の瞬間、自分に何が起こったのかも分からず、グノーの意識は途絶えた。
 倒れたグノーの頭には、ショーテルが突き刺さっていた。グノーの切り落とされた左腕が持っていたものである。時間差を置いて、まさにこのタイミングで落ちてきたのだ。ひょっとして、この黒衣の魔人はここまで計算していたのか。
 吟遊詩人ウィル、恐るべし。
 ウィルは愚かなる敗者に一瞥も与えず、ケガをしたサラフィンの方へと歩み寄った。


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