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吟遊詩人ウィル

冒された森

−5−

「大丈夫か?」
 ウィルが負傷したサラフィンに声をかけた。
 グノーとの戦いを見ていたサラフィンは、ウィルの圧倒的な勝利に驚嘆し、一瞬、何を問われているのか分からなかった。それほどにウィルの戦いぶりは超絶していたのである。とても人間技とは思えなかった。
 すぐ間近にウィルがやって来るまで、サラフィンは茫然としていた。そして、ようやく傷の具合について尋ねているのだと悟り、慌てて取り繕う。
「あ、ああ、大したことはない」
 左肩の辺りを押さえながら、サラフィンは答えた。
「彼女がどこかへ行ってしまったようだが?」
 あまりにも慌てた様子もなくウィルが言うので、サラフィンは自分のことではなく、ミシルのことを言っているのだと気づくまで時間がかかった。
「ミシル!」
 サラフィンはすぐ後ろにいると思っていたミシルの方を振り返った。だが、ミシルの姿は消えてしまっている。どうやら、ウィルとグノーの戦いに気を取られている隙に、ミシルは一角獣<ユニコーン>の捜索にこっそり行ってしまったらしい。
「あれほどダメだと言ったのに!」
 忠告を聞かなかったミシルに対し、サラフィンは憤りを隠せなかった。
「これからどうする?」
 無感情にウィルが尋ねた。つまり、ミシルを追いかけるか、当初の予定通り、集落へ戻るか、だ。
 サラフィンはミシルのことが心配でならなかったが、最終的には長の代理としての決断を下した。
「集落へ戻る。今ここで、ダーク・エルフの対策が遅れては、取り返しがつかなくなる恐れがある」
 そう言って、サラフィンは先に立って歩こうとした。しかし、それをウィルが止める。
「待て」
「何だ?」
「あれを見ろ」
 ウィルが指し示したのは、頭にショーテルが突き刺さったグノーの死体だった。その口から黒い虫のようなものが大量に這い出ている。
「これは……?」
 サラフィンもグノーに近づいて、もっと目を凝らしてみた。
 黒い虫のように見えたものは、小さな蜘蛛だった。グノーは自分の体の中にこんなものを飼っていたのか。蜘蛛は絶えることなくグノーの口から出てくると、まるで行軍する蟻のように近くの木へたかっていった。
 その直後、サラフィンは自分の目を疑ってしまった。何と小さな蜘蛛たちは、その鋭い牙で木を食い尽くし始めたのだ。
 それはとんでもないスピードで進行していった。一本の木が瞬く間に浸食されていく。蜘蛛たちの食欲は旺盛だった。
 蜘蛛によって、その大半を削られた木は、やがて支えを失って倒れた。すると蜘蛛は次の木を目指して移動を始める。このペースで木を食いつぶしていったら、この辺の森は丸裸になってしまうだろう。
「これも森を破壊する呪いか」
 ウィルが妙に冷静な声で呟いた。蒼白なのはサラフィンの方だ。このままでは本当に《神秘の森》は破滅へと追い込まれる。
「ヴィド・ブライム」
 ウィルの手に真っ赤な火球が出来上がった。それを見たサラフィンがギョッとする。
「な、何をする!?」
「決まっている。ヤツらに冒された部分を燃やす」
「やめろ! 森で火を使うのか!」
 エルフ族は森を守るために、必要最低限の火しか使わない。森林火災にでもなったら、自分たちの生活自体が脅かされるためだ。だから、白魔術<サモン・エレメンタル>を使えるエルフの白魔術師<メイジ>でも、炎の精霊を用いた呪文は禁忌とされてきた。
「しかし、このままだと森はどんどん冒されていくぞ」
「それはそうだが……」
 サラフィンは苦渋の選択を迫られた。
 ウィルの言うように、今ここで蜘蛛を放置していたら、もっと被害は拡大するだろう。それこそ、デスバルクの目論み通りになってしまう。だが、ずっと禁忌と定めてきた炎を使うことは、エルフ族のサラフィンにとってためらわれた。
 サラフィンは目をつむり、奥歯を噛んだ。
「やってくれ」
 サラフィンは森を振り返らずに、集落の方へ歩き始めた。燃える森は見たくないとでもいう風に。
 ウィルは蜘蛛を一掃するため、ファイヤー・ボールを投じた。轟音とともに周囲に炎が広がる。それは、まだ無事な樹木ごと、グノーの蜘蛛たちを焼き払った。



 その頃、ミシルは上流にある泉を目指して、森の中を進んでいた。
 泉には霊的治癒の力があると、昔から言われている。傷ついた一角獣<ユニコーン>が向かったとすればそこしかないと、ミシルは考えていた。
 とはいえ──
 時折、ミシルは後ろを振り返った。傷ついたサラフィンを置いて、勝手に来てしまったことに、多少の罪悪感を持っていたのだ。
 サラフィンはハーフ・エルフであるミシルに対し、常に優しく接してくれた。ミシルの唯一の味方であり、兄のような存在だ。それをウィルとダーク・エルフが戦っている最中に見捨ててくるような格好になり、ミシルは後ろめたさを覚えずにいられなかった。
 しかし、一角獣<ユニコーン>の捜索をあれ以上、訴えても、サラフィンは決して許さなかったであろう。ミシルが兄と思っているように、サラフィンも本当の妹のようにミシルを思っているはずだ。そんなミシルをダーク・エルフの徘徊する森に、一人で行かせるわけがなかった。
 帰ったら、サラフィンに謝ろう。今は一角獣<ユニコーン>の捜索が先決だ。ミシルはそう固く心に決めた。
 ところが、ミシル自身、泉まで行ったことはなかった。サラフィンには、あまり集落から離れよう言われてきたからである。だから、長年、暮らしている《神秘の森》も、そのすべてを知っているわけではなかった。
 とりあえず、小川のせせらぎを辿っていけば、源泉まで行けるはずだと、ミシルはそれに沿って歩くことにした。だが、道は決して平坦ではなく、巨大な木の根や剥き出しの大岩がいくつもの障害になっている。それを乗り越えるだけで、ミシルは息が切れた。
 時折、川の水で喉を潤しながら進んでいくと、やがて少し拓けた場所に出た。どうやら、ここは別のエルフの集落近くらしい。川には板を渡しただけの橋があった。
 ミシルは立ち止まって、周囲を見渡した。近くにエルフが住んでいるなら、泉まであとどれくらいか尋ねることもできるだろう。ミシルはエルフの姿を捜した。
 だが、このときミシルは忘れていた。自分がエルフではなく、ハーフ・エルフであることを。
 いきなり、ミシルの足に何かが絡みついた。反射的に見ると、それは植物の蔦。しかし、それはまるで生き物のようにミシルを引きずり倒した。
「キャッ!」
 転んだミシルは悲鳴を上げた。まさか、別のダーク・エルフが。ミシルは懸命に《幻惑の剣》をつかむと、足に絡んだ蔦を切断した。蔦はそのまま草むらの中に消えてしまう。
「ここへ何しに来た?」
 いつの間にか、三人のエルフがミシルの近くに立っていた。三人のうち、真ん中のエルフがミシルに質問する。その態度は非常に横柄に見えた。
「何よ、人をいきなり倒しておいて!」
 カッとなったミシルは、立ち上がりつつ、思わず声を荒げた。《幻惑の剣》を向けてしまう。
 反抗的なハーフ・エルフの少女に、エルフたちは眉をひそめた。
「ハーフ・エルフが一人前の口を。どうして、こんなところにいるのだ?」
「私はイスタの集落のミシル! 傷ついた一角獣<ユニコーン>を捜して、泉まで行く途中よ!」
 ミシルは感じの悪いエルフの脛を蹴飛ばしてやりたい気持ちを押さえながら、早口にまくし立てた。
 しかし、エルフたちはミシルの言葉など信じていない様子だった。
「傷ついた一角獣<ユニコーン>だと? お前は一角獣<ユニコーン>の乗り手だとでも言うのか?」
「そうよ!」
 すると、エルフは鼻で笑った。
「バカな! どうしてハーフ・エルフのような純血を持たぬ者が、一角獣<ユニコーン>に認められる!? ウソをつくんじゃない!」
「ウソじゃないわ! “彼”と私は──」
「どうせ、森を徘徊して、食べ物を盗んでいるのだろう。この森に、薄汚いハーフ・エルフを受け入れるエルフなどいないはずだからな」
 ミシルは完全に頭に来た。ハーフ・エルフを蔑む態度は、ミシルが暮らすイスタの集落以上だ。まるでハーフ・エルフを罪人のような目でしか見ていない。
 ミシルは《幻惑の剣》を振り回した。これ以上、付き合っていられない。
「そこをどいて。私は泉に行くんだから」
「そうはいかんな。ハーフ・エルフがそのような剣を持ち、一体何をしているのか、ちゃんと調べないと」
「だから言ったでしょ! 私は──」
「セル・サリベ!」
 エルフは白魔術<サモン・エレメンタル>の呪文を唱えた。ミシルの左右から木の蔦が意志を持ったように伸びる。
 さっきのも同じ魔法だったに違いない。蔦でミシルの自由を奪おうと言うのだ。
 ミシルは蔦が自分に触れる前に、《幻惑の剣》でそれを薙ぎ払った。そして、そのまま呪文を唱えた気にくわないエルフの方へ走る。一発でも殴らないことには気がすまなかった。
 ところが、剣を手にしたミシルを前にしても、エルフは慌てなかった。次の呪文を冷静に唱える。
「レノム!」
 ミシルの顔にガスのようなものが吹きつけられた。眠りの呪文。ミシルは抵抗しようと意識を強めたが、エルフの魔法は強力だった。
 魔法にかかったミシルは、全身から力が抜け、その場に昏倒してしまった。


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