[←前頁] [RED文庫] [「吟遊詩人ウィル」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]
ウィルとサラフィンの二人は、イスタの集落へ戻った。
《神秘の森》には六つの集落がある。イスタ、ラバ、クムル、レヴィータ、サジェス、カオン。その中でもイスタの集落は、《神秘の森》で最大のものだった。
集落と言っても、人間が暮らすような町や村とは異なっていた。エルフ族はあくまでも自然との共生を重んじており、そのため木の上で生活を営んでいるのだ。
イスタの集落は、樹齢何百年もの雄壮な木々の上に様々な小屋が巧みに組まれ、それを吊り橋が幾重にも結んでいた。これは森に潜む危険な動物から身を守るためと、森そのものを信仰の対象としているエルフの慣習から来たものだ。慣れない人間ならば目も眩みそうな高さだが、ここに暮らしているエルフたちは地上とまったく変わらない様子で、木の上を行き来していた。
「ここから上がる」
興味深そうにエルフたちの居住地を見上げているウィルをサラフィンが促した。見ると、木の上から縄ばしごが垂れ下がっている。さらに、その上には見張りとおぼしきエルフも弓矢を肩に担いで立っていた。おそらく夜になると、この縄ばしごを引き上げて、集落の安全を確保するに違いない。
先にサラフィンが上がった。続いて、ウィルも登る。
上に到着すると、長槍<ロング・スピア>を持った一風変わったエルフが近づいてきた。
年の頃は、サラフィンと大して変わらないだろう。しかし、生まれながらに洗練された優雅さと気品を持ち合わせたサラフィンに比べ、そのエルフは同じ種族だと思えぬほど野性味にあふれていた。動物の毛皮を服代わりに羽織り、顔にはどのような意味があるのか、赤い木の実をすりつぶしたようなものでペイントしある。髪を幾重にも細く編み、長く尖った耳にはたくさんのイヤリング、イスタの集落でも異質な存在に見えた。
「おい、サラフィン。一体どういうことなんだ?」
開口一番、奇妙な風体のエルフがサラフィンに尋ねた。
「トーラス。やっぱり、君を呼んでおいて良かった」
そう言うとサラフィンは、トーラスと呼んだエルフの背中に手を回した。サラフィンよりも長身のトーラスは、身をかがめるようにして耳を近づける。他のエルフたちに大声で聞かせる話ではなさそうだと察したのだ。
「七人のダーク・エルフが森に侵入した」
「何だって?」
「それもただのダーク・エルフじゃない。古代魔法の呪いによって、自らの体を毒薬にしたような連中だ」
「毒薬? 何だ、そりゃ?」
「言うなれば、この森を蝕もうとする害虫だ。私はこの目で見てきた。死体となった後も、森の大地を腐らせ、口から木々を食い尽くそうとする蜘蛛を吐き出す恐ろしいヤツらだ。とりあえず二名の死亡を確認したが、あと五人はこの森のどこかにいる。あんなのを野放しにしていたら、この森は大変なことになるだろう」
サラフィンの話に、トーラスは顔をしかめた。
「何だって、そんなダーク・エルフがこの森に?」
「それは……デスバルクの仕業だ」
「──っ!」
サラフィンが出した名前に、トーラスは衝撃を受けた。無理もない。それほど、デスバルクという名は、エルフたちにとって畏怖すべき存在なのだ。
そこでウィルが横から口を挟んだ。
「信じられないかもしれんが、ヤツは復活した。自ら不死王<ノーライフ・キング>となって。今、エスクード王国は、そのデスバルクの軍勢と戦っている」
トーラスはサラフィンの後ろにいた黒装束の男が人間であると初めて知ったようだった。それは二重の驚きとなる。
「彼はウィル。このことを知らせに来てくれたのだ」
サラフィンは説明した。トーラスが肩をすくめる。
「いやはや、入り込んだのはダーク・エルフばかりじゃなく、人間までとはね」
「ウィル。彼はトーラス。森の《監視者》だ」
「その役目、返上しなくちゃいけねえかもな。こうも次から次へと入り込まれちゃ」
サラフィンから紹介されて、トーラスは自虐的に言った。
《監視者》は、文字通り《神秘の森》に対する侵入者の監視が役目だ。現在の《神秘の森》では、人間が足を踏み入れることを禁じている。そのため、時折、迷い込んで来る人間に、即刻、退去を促すことが主な仕事であった。
その一方で、森に住む仲間たちを守るため、ダーク・エルフのような危険な存在を力ずくで排除するという重要な役目も負っていた。そのため、《監視者》となる者は、エルフ族の中でも戦士としての技量が非常に優れている。トーラスは長い間、森のために戦ってきた歴戦の戦士だ。
従って、こうも易々と人間やダーク・エルフが集落の近くまで入り込んできたという話は、《監視者》であるトーラスのプライドを大いに傷つけた。こんなことはトーラスが《監視者》になって初めてのことである。これまで集落に人間を近づけたことなど、一度もなかった。
だが、今こうしてトーラスの目の前に恐ろしいほどの美貌を持った吟遊詩人が立っているのは事実だった。一体、どうやってトーラスたち《監視者》の目をかいくぐって来たのか。
「この森は広大だ。すべてを見通すことは難しいだろう」
ウィルがトーラスを慰めた。それにはサラフィンも同意見のようで、トーラスの隣でうなずく。
だが、トーラスは納得できない様子だった。
「一匹や二匹ならともかく、七人のダーク・エルフだぞ。これは見過ごせる問題ではない」
トーラスの口調は厳しかった。
こんなことでは、森を守っているとは言えない。これは、もう一度、森の監視態勢を見直す必要があった。そして、入り込んだダーク・エルフたち。ヤツらは命に代えても、必ず始末しなければならないと心に誓う。
「残りのダーク・エルフは、オレたち《監視者》が始末する。汚名返上だ。任せてくれ」
トーラスはそう言って、ダーク・エルフの追跡に行こうとした。その肩をサラフィンがつかむ。
「待ってくれ。君には、もうひとつ頼みたいことがある」
「頼みたいこと?」
トーラスが怪訝そうに振り返った。
サラフィンは言いかけておいてためらうが、少し苛ついた様子のトーラスを見て、口を開いた。トーラスは一刻も早く、ダーク・エルフを追いかけたいに違いない。
「実は、ミシルのことなんだが……」
「ミシル? あいつがどうした?」
「ダーク・エルフがうろついているというのに、たった一人で一角獣<ユニコーン>を捜すと言って、どこかへ行ってしまったんだ」
「あのバカ!」
トーラスは額をピシャリと叩くと、呆れたように悪態をついた。厄介事が増えた、と言いたげに唸り声を上げる。
「あいつ、時折、集落を抜け出していたようだが、この森のこと、ちゃんと分かっているのか?」
トーラスに問われ、サラフィンはかぶりを振った。
「いや、詳しくないはずだ。集落の外へ出てたと言っても、せいぜい、この近くが精一杯だろう」
「まったく! 本来なら、この森にハーフ・エルフがいちゃいけねえんだぞ!」
「そうなのか?」
聞き咎めたウィルが、二人のエルフに尋ねた。
サラフィンが説明する。
「ここは私たち、エルフの聖地だ。いくらエルフの血を引いているハーフ・エルフと言えども、半分は人間の血。我々の掟は、それを森に迎え入れることを許さないのだ」
「まったく、排他的な掟だよな。オレは《監視者》として、迷い込んできた人間たちと接することが多いが、結構、ヤツらは面白い連中だぜ。オレは人間との交流を再開した方がいいんじゃねえかと思っている」
トーラスが忌憚のない意見を述べた。サラフィンがそれを目で制す。
「トーラス。あまり掟に異を唱えるな。それ以上言うと、変わり者で済むどころか、人間の味方をするのかと白眼視されるぞ。これはもう千年以上も前に決められたことなんだ」
サラフィンが友人らしく忠告をした。トーラスは肩をすくめる。
「ここまで人間を連れてきたヤツに言われたかねえや」
「トーラス!」
「掟として、人間の血すらも拒むというのは分かったが、では何故、あの少女をこの集落に置いているのだ? 掟に反するのだろう?」
二人のやり取りを遮るようにして、当然の疑問をウィルはぶつけた。
サラフィンとトーラスは互いの顔を見合わせた。
「ミシルは、このイスタの長の孫娘に当たるんだよ。三十年前、人間の世界に興味を持った長の娘がこの森を飛び出しちまった。それから十五年後──つまり、今から十五年前だが──その長の娘がフラリと帰って来たのさ。小さな赤ん坊を連れてな。それがミシルだった。果たして、どんな人間の男との間に出来たのか。そのことは結局、分からず終いだった。なぜなら、しばらくすると長の娘は、ミシルを置いたまま、どこかへ姿を消しちまったからさ。どんな事情があったのかねえ。それからオレたちは、ハーフ・エルフの赤ん坊をどうするか考えた。森の外へ置いてくるか、通りかかった人間に任せるか。しかし、ミシルは長の孫娘だ。すでに年老いている長は、孫娘を手放すことが出来なかった。だから、こうして掟に反してまでも、ここにミシルを置いているのさ」
「ミシルは長の孫娘であることを知らされていない。イスタの者でも、この事実を知っているのは私とトーラス、あとはほんの数人だけだ。他の者たちには、ミシルが充分に成長するまで集落に留まることを許す、ということで黙認してもらっている。だが、このことが他の集落に知れると大変だ。イスタでの例外でも、森の例外としては認められないだろうからな」
サラフィンは兄のようにミシルの身を案じた。そんなサラフィンの肩をトーラスが叩く。
「まあ、オレに任せろ。ダーク・エルフをやっつけて、ミシルも無事に連れ帰ってやらぁ」
トーラスが太鼓判を押した。友人に元気づけられ、サラフィンも少しは表情を柔らかくする。
「すまない。頼む」
「おう」
トーラスは長槍<ロング・スピア>を掲げると、力強く返事をして、ダーク・エルフの追跡に旅立って行った。
すでに陽は陰り、森に夜が訪れようとしていた。
[←前頁] [RED文庫] [「吟遊詩人ウィル」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]