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吟遊詩人ウィル

冒された森

−7−

 夜の森の中に息をひそめている者がいた。
 ダーク・エルフ。不死王デスバルクによって、《神秘の森》を破壊するために差し向けられたテロリストだ。
 そのダーク・エルフは、禁呪によって異形の力を授かったと同時に、刻一刻と死の瞬間を迎えようとしていた。森に侵入して以来、体調は、益々、悪化している。今も体中が熱く火照り、立っているのがやっとという状態だった。それでも森の中を闇雲に歩く。
 もとより、この任務に志願した以上、死ぬことに対して恐れなど抱いていない。だが、森のエルフたちを根絶やしにする前に、無駄死にすることだけは避けたかった。どうせ死ぬのなら、一人でも多くのエルフを道連れに。その憎悪に凝り固まった想いだけが、そのダーク・エルフを突き動かしていた。
 森に侵入してから約半日。まだ、一人のエルフも殺していないダーク・エルフは、次第に焦りを感じていた。森は広く深い。このまま出会うことなく、先に力尽きてしまうのではと、それだけを恐れた。
 だが、ようやく念願が叶いそうな所までやって来た。ダーク・エルフの行く手に、明かりらしき炎の揺らぎが見えてきたのである。それはいくつも灯っており、どうやらどこかの集落の近くへ辿り着いたようだった。
 ダーク・エルフは、この森に入ってから初めての笑みを漏らした。これからの殺戮に対し、その悦びを押さえきれないといった様子で。集落には、きっと何百人ものエルフたちが暮らしているはずだ。森の外の世界のことなど知らず、囲われた世界の中に漫然として。その者たちが泣き叫び、逃げまどう様を想像すると、ダーク・エルフの破壊衝動は非常に駆り立てられた。
 しかし、そこへ何者かが近づく足音を察知し、ダーク・エルフの表情は固まった。ひょっとして《監視者》か。デスバルクより、森を警護しているエルフの話は聞いている。何でも、他のエルフより戦士としての技量が高いという。
 もちろん、どんなに強いエルフであろうとも、自分が負けることはないとダーク・エルフには自信があった。だが、今ここで戦えば、目の前の集落に襲撃を知られてしまい、不意を討つことが出来なくなってしまう。ここはどうにかやり過ごしたかった。
 とにかく身を隠そうと、ダーク・エルフは草むらの中に潜むことにした。一方、こちらへやって来る何者かは、真っ直ぐ近づいてくる。ダーク・エルフは発見されぬよう、完全に気配を絶った。
 ところが、そいつは先程までダーク・エルフがいたところまで来ると、突然、立ち止まった。ダーク・エルフはギョッとする。まさか、すでに見つかったのか。
 じっと息を殺していても、その者は立ち去らなかった。ダーク・エルフの額に、冷や汗が流れる。
「そこにいるのは分かっている」
 おもむろにそいつは喋った。どこかで聞き覚えのある声だ。
「余だ、アッガス。姿を見せろ」
 アッガスと呼ばれたダーク・エルフは弾かれたように立ち上がり、その者の姿を見て言葉を失った。
 闇夜を染め上げたケープを羽織っていたのは、アッガスと同じダーク・エルフであった。だが、白髪を後ろになでつけ、皺も刻まれた顔はかなりの高齢だと思えるのに、全身から満ちあふれた威厳と逞しさが見る者を圧倒させる。金色の瞳がアッガスを射抜くと、熱を帯びた体が一気に冷水を浴びせられたような錯覚に陥った。畏怖の念がアッガスを呪縛する。
 そこに立っていたのは、現代に甦った不死王<ノーライフ・キング>、デスバルクであった。すべてのダーク・エルフが忠誠を誓う偉大なる王。そのあまりにも突然な出現に、アッガスは思わずひれ伏しそうになった。
 しかし、アッガスは思い留まった。現在、デスバルクは魔獣軍団を指揮し、エスクード王国と戦っている最中だ。この《神秘の森》へ、わざわざ来るわけがない。
 アッガスは目の前のデスバルクに視線を返した。
「戯れ事はやめろ、ロンダーク」
 アッガスはきっぱりと言い切った。すると目の前のデスバルクは、あっさりと相好を崩す。
「ハッハッハッ、バレたか」
「当たり前だ。よりにもよってデスバルク様に化けるとは、身の程知らずなヤツめ」
 アッガスが呆れるように言っている間、デスバルクの姿は別人へと変じた。正体を現したロンダークが卑屈そうな笑みを作る。
「でも、一瞬、本物だと思っただろ? オレの読心術はちゃんとお見通しだぜ」
 ロンダークがデスバルクより授けられた能力は、変身術と読心術であった。アッガスをからかうために、わざわざ彼が一番畏怖している人物に変身したというわけである。
 アッガスはムッとした。
「勝手にオレの心を読むな」
「読むなって言われてもな、普通にしてたって聞こえてきちまうんだから仕方ないだろ」
 ロンダークは悪びれもせずに言った。それが本当かどうか、アッガスには確かめようがない。
「ところで、ヒヒトとグノーの思念が消えたぞ」
 不意に真顔に戻って、ロンダークが教えた。アッガスは眉をひそめる。ロンダークが二人の思念を読めなくなったということは、死んだという意味に違いない。
「禁呪の影響か?」
 アッガス自身も強がってはいるが、今にも倒れそうな状態のため、二人が禁呪の力によって命を落としたと考えたのは当然だった。同時に、自分にもあまり時間が残されていないことを改めて痛感する。
 しかし、ロンダークは首を横に振った。
「いや、最後に二人の断末魔が聞こえた。どうやら、この森のヤツらに殺られたらしい」
「バカな!」
 アッガスは声を荒げた。信じられないといった様子だ。
「デスバルク様から授かったこの力をもってすれば、ヒヒトとグノーでも、ただのエルフどもに遅れを取るはずがない!」
「そう信じたいのはオレも同様だが、実際、ヤツらの最後の声を聞いた。どうやら、ここには侮れないエルフがいるようだ」
「フン! 油断した二人が悪いに決まっている! オレは一人になっても、森のエルフたちを皆殺しにするぞ」
 アッガスはそう息巻くと、明かりの見える方向へ行きかけた。それをロンダークが引き止めようとする。
「まあ、待て」
「邪魔をするな」
「邪魔をしようってんじゃない。協力しようっていうんだ」
 アッガスはロンダークを振り返った。怖い表情で睨む。
「オレ一人じゃ無理だって言うのか?」
「そうじゃない。もっとヤツらを苦しめてから殺そうって言うのさ。七人の中でも最強であるお前とオレのココがあれば、この森を滅ぼすことなど容易い」
 ロンダークは自分のこめかみを人差し指で叩きながら、企みに満ちた顔で笑った。
 アッガスはこのロンダークという男が気にくわなかった。特にデスバルクから力を授かってからというもの、相手の心を読み、それを自分のためにうまく利用しようとしているのが分かる。何でも見透かした態度がアッガスの神経を逆撫でした。どうせ協力などというのもでまかせに違いない。アッガスの力をいいように利用するつもりなのだ。そんなヤツと手を組む気にはなれなかった。
 アッガスの特殊能力をもってすれば、ロンダークなどという卑劣で下賤な男を始末することなど簡単なことだ。だが、ロンダークは相手の心を読むことが出来る。今こうして、アッガスが思っていることもロンダークには筒抜けなのだ。現にロンダークはニヤニヤしながら、アッガスの答えを待っていた。
「言っておくが、オレの読心術と変身術を侮らぬ方がいいぞ。読心術は相手がどうやって戦おうとするか、オレに教えてくれる。つまり、相手は自分の手の内をさらしながら戦わなければならないということだ。そして、変身術はアンタすらも敵わないドラゴンにだってなれることを忘れるなよ」
「脅しか?」
 アッガスの表情は、さらに険悪になった。ロンダークは肩をすくめる。
「とんでもない! 仲間への忠告さ! こんな敵陣の真っ只中で同士討ちはごめんだからな」
 ぬけぬけと言うロンダークに、アッガスは殺意を抱いた。だが、それをグッとこらえる。確かに、ロンダークを殺しても今のアッガスに益はない。アッガスにとって何より重要なのは、デスバルクより授かった使命の遂行だ。
「やむを得ん。ここはお前に乗ってやる」
「そうこなくちゃな」
「しかし、覚えておけ! お前がオレを使い捨てにするつもりなら、そのときは同胞でも容赦はしないと」
「ああ、しかと覚えておこう」
 ロンダークは苦笑しながら言った。その一方、心の中で思う。
(『使い捨て』だと? オレもお前も、結局はデスバルク様の駒に過ぎないではないか。任務が成功しようと失敗しようと、オレたちに待つのは死しかないんだよ。それを分かってて言ってんのかね)
 ──と。
 それをおくびにも出さずに、ロンダークはアッガスに向き直った。
「では、作戦を話そう。といっても、そんなに大したもんじゃないが。まず、オレがあそこへ潜入する。頃合いを見て合図を送るから、それまでアンタはここで待機だ。あとは好きに暴れ回るといい」
 あっさりとした内容に、アッガスは拍子抜けした。
「それだけか?」
「ああ。くれぐれも合図を出すまで、出しゃばったマネをしたり、発見されたりしないでくれよ。オレはちょっとあそこで、細工したいことがあるんだ。それから、どさくさに紛れて、オレを巻き添えにするのも願い下げだ」
 それはいい考えだと、内心、アッガスはほくそ笑んだ。もちろん、読心術を持つロンダークには悟られてはいるが。
「じゃあ、行ってくる」
 ロンダークはそう言うと、ヘビに変身し、エルフの集落へと音もなく忍び寄って行った。


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