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吟遊詩人ウィル

冒された森

−9−

 夜が訪れたイスタの集落では、あちこちに魔法の光がほのかに灯された。
 森に住むエルフたちは、極力、火を使わないことにしていた。それこそ、調理としての利用以外は。
 火は安全に取り扱っているつもりでも、何かの間違えで燃え広がってしまうことがある。そうなれば、たちまち森を焼くことになり、それは自然界においても、彼らの平穏な生活においても、取り返しのつかない事態を招いてしまう。従って、夜の明かりには、火事になる心配のない光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>を呼び寄せるのが、エルフたちの慣習になっていた。
 そこかしこに光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>が浮かぶエルフ族の集落は、とても幻想的に見えた。青白く照らす優しい光の中に、時折、淡いシルエットがちらつく。エルフたちが吊り橋の上を行き交っているのだ。その光景はとても平和に見えたが、実際、イスタの集落はざわついていた。
 それも無理はないだろうと思われた。ダーク・エルフが森に侵入したという知らせを聞かされては。
 サラフィンはすでにイスタの集落の全エルフに対し、七名のダーク・エルフが入り込んだことを伝えていた。皆に充分、警戒してもらい、不用意な犠牲を出さないためだ。
 しかし、そのダーク・エルフが不死王<ノーライフ・キング>デスバルクの先兵で、森の外ではエスクード王国との戦いがすでに始まっていることに関しては、まったく話していなかった。デスバルクの名前はエルフたちを恐れさせるものだ。また、それによって、余計な不安がパニックを引き起こすかもしれないと考えたからである。
 サラフィンが分析したところ、七名のダーク・エルフを送り込んだのはエスクード王国と手を組ませないための牽制であり、今のところ、《神秘の森》が直接の標的になることはないだろうと思われた。もちろん、エスクード王国とデスバルクの魔獣軍団による戦いの推移が、今後、影響してくることは否めないが。
 ダーク・エルフの侵入を聞いた集落のエルフたちは、これからどうするべきかを親しい友人たちと相談し合っているようで、今日はいつもにも増して、吊り橋を行き交う人数が多かった。そのため、旅帽子<トラベラーズ・ハット>を目深にかぶったウィルが外界から来た人間だと気づく者は、意外に少ない。ウィルはサラフィンの住まいの前で、長い間、待たされていた。
「ウィル」
 ようやくサラフィンがウィルのところまでやって来た。今まで、さらに詳しい話を聞こうとしてくる集落の者たちに捕まって、いろいろと説明していたのである。ウィルは別段、待たされたことを気にした様子はなかった。
「大変だな、長の代理というのは」
 顔に疲れが見え始めたサラフィンをウィルがねぎらった。もっとも、言葉には抑揚が乏しく、どこまで本気で言っているのか判然としないが。
「それより、あなたを族長のジェンマ様に会わせたい」
 サラフィンは少し急かした感じで申し込んだ。
「いいのか?」
 エスクード国王から密書を携えてきたとはいえ、エルフ族の族長が人間であるウィルとの面会をこうも簡単に受け入れるとは、少し意外だった。だが、森の外で進行している事態は深刻だ。一刻を争う。
 それを重々、理解しているサラフィンは、ウィルの返事を待つ前に先へ行こうとしていた。
「少しの時間なら大丈夫だ。私も族長の代理として、ジェンマ様の判断を仰ぎたい部分もあるし」
 そう話すサラフィンの表情は厳しかった。無理もない。これは《神秘の森》にとっても、世界を大災厄に陥れた《大変動》以来の一大事なのだから。
「分かった」
 ウィルは同意し、サラフィンとともにイスタの族長の元へ向かった。
 途中、歩きながらサラフィンがウィルに話しかけた。
「あなたの話やダーク・エルフの件に関しては、すでに賢人会議の招集をすべく、各集落へ連絡しておいた。明日には、森中の族長たちが、外の世界の危機を知るだろう。そして、それが我々にも関わるということを。賢人会議が行われるのは明後日だ。六つの集落の族長が《千年樹》の元に集まり、今後、どうすべきかが話し合われる」
「《千年樹》?」
 聞き慣れぬ言葉を耳にして、ウィルは尋ね返した。するとサラフィンは、
「この森の守り神であり、この森に住む者たちがあがめる大樹だ。樹齢は、もう千年どころか一万年くらいは経っているかもしれないが。賢人会議は、その《千年樹》に集まって行われるのが慣例なのだ」
 と教えてくれた。
 エルフたちがあがめる大樹というものに、ウィルは吟遊詩人として興味を持った様子だったが、それをサラフィンにさらに尋ねようとする前に、族長の住まいに到着してしまった。この辺りでも一番大きな木の上に八角形をした家屋が組まれている。そして、それぞれの八方に向かって吊り橋が延びていた。まさにイスタの集落の中心である。
「ジェンマ様、サラフィンです。エスクード王から密書を託されたというウィルと名乗る人間の男を連れて参りました」
 中へ入る前にサラフィンは声をかけた。しかし、返事はない。それをサラフィンは気にかけた様子もなく、後ろのウィルを促した。
「入ってくれ」
 言われるがままに、ウィルは入口にかけられたむしろをくぐった。
 中は予想通り広かった。まず、目に入ったのは、正面に柱のようにそびえている木の幹だ。これこそ樹齢千年にはなるのではあるまいか。この森の守り神という《千年樹》は、これよりもさらに大きいとなると、少し想像がつかなかった。
 だが、肝心のイスタの族長であるジェンマの姿は、広い室内のどこにもなかった。ひょっとして太い幹の陰になっているのか。ウィルは横へ移動しかけた。
「こちらだ、客人よ」
 正面から声がした。否──
「もう少し近くへ参られい」
 喋っているのは木そのものであった。さすがのウィルも目を見張る。
 やがて木の幹に顔らしき凹凸があるのを発見した。目も口も閉じられているが、鼻らしきものもあり、明らかに顔だ。まるで皺だらけの老人のそれである。
「あなたがイスタの族長か?」
「そうだ」
 ウィルの質問に答えたのは、後ろから入ってきたサラフィンだった。ウィルの隣に並び、その場で片膝をつく。
「ジェンマ様、この者がウィルにございます」
 すると木がゆっくりと目を開けた。正面に立っているウィルを見つめる。
「何十年ぶりか。森の奥深くまで人間がやって来たのは」
 木が喋った。口は動かず、開けられたままだが、ちゃんと言葉にはなっていた。
「本当にあなたがエルフの族長か?」
 疑わしげにウィルは尋ねた。横にいたサラフィンが、失敬な、といった様子で見上げる。
 ジェンマは再び喋った。
「こんな姿をしているが、私がこのイスタの族長、ジェンマだ。昔は、そこにいるサラフィン同様、エルフの姿をしていたが、私は族長として、森の力を使いすぎた。今度は私がその森の力になる番なのだよ。肉体はこの木と一体化し、森へ還っていく。それが自然の摂理というものだ」
 厳かにジェンマは語った。
「オレは吟遊詩人のウィル。訳あって、エスクード国王から密書を届けるよう頼まれた者だ」
 ウィルは懐から密書を取りだした。エルフの族長に渡すよう言われたものだ。従って、密書の赤い封蝋はまだ切られていない。それをウィルはサラフィンに手渡した。
 サラフィンは封蝋を切ると、ジェンマの顔の前に密書を近づけた。目が文字を追っていく。
「ぬ……デスバルクが復活したとは……にわかには信じられぬが……」
「しかし、ヤツらは先兵であるダーク・エルフをこの森に差し向けてきた。この森とエスクード王国が手を組むのを阻止するために」
 ウィルはエルフの族長を前にしても、少しも臆することなく言った。この男が畏怖する者など、存在しないに違いない。
 ジェンマは密書を読み終えると、視線をウィルへ移した。
「我らと人間が手を組む、か……。我らはそれを放棄して、この森から出ないことに決めた。そなたはそのいきさつを知っているか?」
「いささかは」
「……かつて、この森があるエスクード王国は、緑豊かな地であった。そんな中、我らと人間たちは、とても友好的な関係を保っていたのだ。しかし、エスクード王国は開墾や木材の調達という名目で、多くの森を切り開き始めた。我らにとって、森は命そのもの。それを奪われることは、自らの手足をもぎ取られるも同然だった。我らは国王に、これ以上の森の開発をやめるよう嘆願したが、結局、聞き入れてもらえなかった。彼らは自分たちのことばかりで、我らに対する配慮を欠いたのだ。我らはもう共に手を携えることは出来ないと考えた。だから、我らは人間との交友を断絶することに決めたのだよ」
「………」
「それを今度は、王国が危機に陥ったから助けてくれと言う。虫がいい話だ。そうは思わないか?」
 言葉は辛辣であったが、口調は穏やかであった。ジェンマに問われ、ウィルはわずかにおとがいを上に向けた。
「デスバルクの軍勢は強大だ。このままだとエスクード王国は滅ぼされてしまうだろう。もし、そうなれば、次にヤツらが狙うのはここだ。手を組んで戦うのは、何も王国や人間たちのためばかりじゃない。この森を守るためでもある」
「確かに、そなたの言うとおりだ。エスクード王国が滅んでしまえば、我らだけでデスバルクと戦わなければならなくなる。そうなれば、我らも滅ぶであろう。だが、理屈ではそうと分かっていても、長年の隔たりは簡単に解消できるものではない。心情的に人間と一緒には戦えないという者も多くいるだろう」
「娘を人間の男に取られたあなたのようにか?」
 ウィルがミシルの母親のことを指したので、隣にいたサラフィンは顔を強張らせた。それはジェンマにとって触れられたくない傷であったはずだ。
 だが、予想されたように、ジェンマが憤るようなことはなかった。むしろ、嘆息のような言葉が漏れる。
「私はそろそろ森に還る身だ。今さら娘のことをどうこう言うつもりはない。娘も自分でしたことだからな。後悔はないだろう。ただ、ミシルには悪いことをしたかもしれん。本当のことを教えず、族長の権限を使って自分の近くに置いてきた。その間、あの子がどれほどつらい想いをしたかも考えずに。どうか笑ってくれ。私は器量の小さい族長であった」
「ジェンマ様……」
 サラフィンが淋しそうな顔をした。そして、そのミシルの安否は、未だ分からない。
「──サラフィン」
「はい」
「次の族長はお前だ。賢人会議に出席し、この森の行く末を決めよ」
「……私はどうすればいいのでしょう?」
 サラフィンは迷いを見せた。長寿のエルフの中でもまだ若い。重責が重く肩にのしかかっていた。
 しかし、ジェンマへ決然と言った。
「決断はお前に任す。お前の決断がイスタの決断だ。それを忘れてはならない」
「はい」
 その言葉をサラフィンは深く胸に刻み込んだ。
 会話が途切れたところで、急に外が騒がしくなった。ウィルとサラフィンが振り返る。
 二人は外へ出た。すると大勢のエルフたちが東の方向を指差して、何か騒いでいる。
 東の方角を見ると、夜だというのに空が明るくなっていた。日の出か。いや、それにはまだ早すぎた。
「火事だぁーっ!」
 誰かが叫んだ。
 それはイスタの東にあるサジェスの集落の方角だった。


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