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吟遊詩人ウィル

冒された森

−10−

 アッガスは森の中でロンダークの合図を待っていた。
 ロンダークが何を企み、なぜ自分と手を組もうと言い出したのか、アッガスには分からない。しかし、狡猾なロンダークのことだ。自分の目的のためには、何でも利用するつもりに違いない。アッガスもそんなカードの一枚に過ぎないと言うことだ。
 まさか仲間を売るようなマネまでするとは思えないが、万が一のときには刺し違えてでもロンダークに思い知らせるつもりだった。いくらロンダークが人の心を読めると言っても、アッガスがデスバルクより授けられた力を使えば、無傷では済まされまい。
 だが、今はとにかく、エルフたちを血祭りに上げることの方が先決だった。アッガスは人間よりもエルフを殺すことに魅力を感じて、この使命を拝受したのだ。それが自らの命を削ることになろうとも。
 アッガスが思っていたよりも早く、ロンダークからの合図があった。サジェスの集落がある方向から、マジック・ミサイルが花火のように夜空へ打ち上げられる。いよいよだと、アッガスはこれからの殺戮に、胸を躍らせた。
 サジェスの集落へ向かって、アッガスは走り出した。全身が熱くたぎり始める。体の中から力が急速に膨れ上がるのを感じた。
 次の瞬間、アッガスは翔んだ。それと同時に、アッガスの肉体が紅蓮の炎に包まれる。これこそ、アッガスの持つ異形の力。炎に包まれても、アッガスに苦痛はなかった。むしろ力の解放に酔いしれる。
 アッガスの肉体は完全に炎と一体化し、長く尾を引いた。さながら火の大蛇だ。その炎は、たちまち森の木々に燃え移り、火災を生じさせた。
「ハハハハハハハハハハッ!」
 火龍となったアッガスは、森の中を蛇行しながら、猛スピードでサジェスの集落へ近づいた。空から夜の森を見下ろせば、それは炎で出来た川に見えただろう。エルフたちもアッガスの接近に気づいたに違いない。叫び声が聞こえてくる。しかし、それに抗う術はなかった。
 アッガスはサジェスの集落の中を一気に駆け抜けた。何を狙うわけでもない。だが、それだけで集落は燃え上がった。
 アッガスとの衝突を避けられても、その近くにいただけで、木もエルフも発火した。炎に巻かれたエルフたちが、凄まじい悲鳴を上げながら、木々の上に作られた集落から転落していく。それは地獄絵図に似ていた。
 パニックに陥ったエルフたちは、突然の襲撃者であるアッガスに対し、弓矢で迎撃しようとした。あるいは冷却呪文を唱え、その炎を消そうと試みる。だが、火龍の姿となったアッガスの前には、すべてが無力だった。すべて炎の勢いの方が勝る。
「うわああああああっ!」
 抵抗しようとしたエルフたちは、一様に灰燼と化した。
 一度、通過したアッガスは、反転し、再び集落を襲った。今度は自分が生んだ炎の中に突っ込んでいく。二度、仕掛けただけで、サジェスは壊滅的打撃を被った。
「何事だ!?」
 突然の騒ぎに、サジェスの《監視者》アルフリードは、夕食を中断して外へ飛び出した。そして、飛び込んできた集落の惨状を目の当たりにし、その場に立ちすくむ。アルフリードが目にするものすべてが燃えていた。
「兄さん!」
 中から妹のネーアも出てきた。そして、兄と同じものを見、同じようにショックを受けて、膝の力をなくしてしまう。それをアルフリードが支えた。
「ネーア、ここから逃げろ! この火の勢いでは、サジェスはお終いだ! 逃げて、イスタを頼れ! このことを一刻も早く知らせるんだ!」
 気絶しそうな妹をアルフリードは叱咤した。サジェスから一番近いのはイスタである。
「兄さんは!?」
 アルフリードの腕にすがるようにして、ネーアが尋ねた。できれば一緒に逃げて欲しいと願う。しかし、
「私は他の者の逃げる助けをしなければならない! お前は先に行け!」
 と、無情な答えが返ってきた。
「兄さん!」
 引き止めようとするネーアに構わず、アルフリードは自分の槍<スピア>を手に、炎の強い方へ走り出した。
 ネーアは兄を呼び続けたが、その声は火事の喧騒にかき消され、その姿も炎と黒煙によって遮られた。
 アルフリードは逃げまどうエルフたちに、集落から出てイスタに向かうよう大声で言いながら、まだ逃げ遅れている者がいないか捜した。だが、延焼は瞬く間に広がり、すぐ先へ進めなくなってしまう。周囲は炎が取り囲もうとし、熱風だけで昏倒しそうだ。やむを得ず自分も脱出しようと踵を返した。
 そのアルフリードの前方に、炎の中をのたうつ火の大蛇がいるのを認めた。森の《監視者》として、これまで多くの物を見てきたアルフリードですら初めて見る。しかし、その正体に思い当たった。
「本当にダーク・エルフが侵入したというのか……」
 ミシルと名乗ったハーフ・エルフの少女の言葉が、アルフリードに甦った。彼女が言っていたことは本当だったのか。そして、それを真に受けなかったばかりに、サジェスの集落は……。
 アルフリードは悔恨の念に駆られたが、今はそれどころではなかった。他の集落に同じ末路を辿らせてはいけない。アルフリードは炎の中を走った。
 ネーアは無事に脱出できただろうか。妹の安否を気遣いつつ、アルフリードは必死に逃げた。その行く手に、一人のエルフが倒れているのを発見する。
「──っ!? エムニム!?」
 それはミシルの見張りを命じたエムニムのように見えた。なぜ、持ち場を離れて、こんなところにいるのか。もっとも、この状況で持ち場を離れるなという方が酷だが。
「エムニム!」
 アルフリードはエムニムに駆け寄り、その肩を揺さぶった。見たところ、火傷のような外傷はない。煙でも吸ったのか。アルフリードはエムニムを背負おうとした。
 その刹那、いきなりエムニムが動き出した。そして、手元に転がっていた槍<スピア>をつかんで、アルフリードを突き刺そうとする。
「──っ!」
 が、アルフリードもさすがは《監視者》。反射的にエムニムの攻撃を交わし、後ろに飛び退いた。
「何をする、エムニム!」
 アルフリードが一喝した。しかし、エムニムは笑い始める。
「いい動きをするな、お前。かなりの手練れと見たぞ」
「何? お前、エムニムではないな?」
 するとエムニムは左手で顔を撫でるようにした。その下に褐色の肌をした邪悪なダーク・エルフの顔が現れる。
「ダーク・エルフ!」
 その正体に驚きつつも、アルフリードは槍<スピア>を両手に持ち替えた。怨敵の出現に、表情が険しくなる。
「この火災は、お前の仕業だな?」
「正しくは、オレの仲間の仕業だ。ほら、あっちで今も踊り狂っているアッガスってヤツさ。まったく、殺ししか頭にないのかね」
 仲間であるにも関わらず、目の前のダーク・エルフ──ロンダークは呆れたように言った。ロンダークが示した先では、火龍が暴れ続けている。
「では、エムニムはどうした!?」
「エムニム? 顔を借りていた男のことか? あいつは始末したよ。この顔でな」
 そう言ってロンダークは、アルフリードの顔になってみせた。それを見たアルフリードは怒りを露わにする。エムニムがどのような最期を迎えたのか、容易に想像がつく。
「おのれ! やあああああああああっ!」
 アルフリードは仕掛けた。素早い動きでロンダークに槍<スピア>を突き立てようとする。ロンダークはそれを後ろに下がりながらも、なんとか防いだ。
「ちょっとは手加減しろって!」
 軽口を叩いて見せたロンダークだが、言葉ほど余裕はない。さすがは《監視者》に選ばれただけあって、アルフリードの強さは筋金入りだ。技量差がありすぎる。
 アルフリードは猛然と攻撃を続けた。ロンダークは防戦一方だ。
 攻撃を受け続けられなくなったロンダークは、横へ飛び退いた。そして、口早に呪文を唱える。
「ディロ!」
 マジック・ミサイルがアルフリードを直撃した。さすがのアルフリードもひるむが、かろうじてレジストして、威力を緩和させる。足を踏ん張らせた。
 倒れなかったアルフリードに対し、ロンダークは口の端を歪めた。
「ほう。少しぬるかったか。だが、次は受けきれるか?」
「させぬ! ──セル・サリベ!」
 まだ燃えていなかった蔦が生き物のように伸びると、ロンダークの左足に絡み、地面に引き倒した。アルフリードが得意とする魔法である。
「くおっ!」
 地面に倒されたロンダークは、無様に転がった。そのロンダークに覆い被さるようにして、アルフリードが槍<スピア>を突きつける。ロンダークは動けなくなった。
「これで終わりだな」
 アルフリードは荒い呼吸を繰り返しながら、ロンダークを見据えた。ロンダークは観念したように抵抗を示さない。ただ、左手で顔を撫でた。
「──っ!」
 そのとき、アルフリードは動けなくなった。ロンダークの顔が妹のネーアに代わっていたからである。
「やめて、兄さん」
 ロンダーク──いや、ネーアが懇願した。声まで妹そのものである。アルフリードは本物のネーアと錯覚し、躊躇した。
 それが命取りだった。
 グサッ!
 ロンダークはアルフリードを刺し貫いた。ネーアの顔のままで。
「ぐ……ぐはっ!」
「さよなら、兄さん」
 ロンダークはネーアの顔で、残忍な笑みを見せた。
 アルフリードの口が動いたが、それはもはや言葉にならない。
 力尽きたアルフリードは、ロンダークの上にかぶさるようにして絶命した。


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