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トーラスがサジェスの集落に到着したとき、火災はなおも拡大していた。炎は留まることを知らず、すでに集落の外にまで及んでいる。よって、トーラスが近づけたのは、サジェスの入口付近までだった。
途中、逃げて来た誰ともすれ違うことがなかったので、トーラスはとても不安を抱いていた。まさか、全員が焼け死んでしまったのではあるまいか。最悪の事態を考え、トーラスは戦慄を覚える。
生存者がいないか、その探索をするのにも困難な状況だった。周囲を火に囲まれ、まるで地獄の釜の中にいるようだ。トーラスは白魔術<サモン・エレメンタル>で水の精霊を呼び出し、自分の身体の周囲に水のスクリーンを作り出す。それでも火の勢いは圧倒的で、気休め程度にしかならなかった。
「誰かー! 誰かいないかー!」
トーラスは大声を張り上げた。しかし、返事の代わりに聞こえてくるのは、燃え上がる炎の唸るような音だけである。それでもトーラスはあきらめずに捜し回った。
その途中でトーラスは、木の枝から吊り下げられた大きな鳥カゴのようなものを見つけた。中に何かが入っている。それが見知ったハーフ・エルフの少女だと分かったとき、トーラスは心臓が握りつぶされたように感じた。
「ミシル!」
カゴの中のミシルは、逆さまの格好のまま、気を失っているようだった。トーラスが何度か呼びかけてみるものの、まったく気がつく素振りを見せない。
仕方なくトーラスは、カゴが吊り下げられている木によじ登った。早くしないと、火がこの木まで燃え移ってきそうだ。
トーラスは軽やかに木へ登ると、枝を伝った。そして、ひらりとカゴの上に飛び降りる。その拍子にカゴが大きく揺れた。
「ミシル! ミシル!」
なおもトーラスは声をかけてみたが、やはりミシルに反応はなかった。この熱さのせいで脱水症状を起こしているのかもしれない。早く助けなければと、トーラスは焦った。
カゴは上部に狭い入口がこしらえてあった。トーラスはそこをこじ開けて、ミシルを引っぱり出そうとする。しかし、いくら相手が小柄な少女とはいえ、その作業は骨が折れた。カゴの口も狭く、なかなか引き上げられない。
そうこうしているうちに、とうとう炎が木へ燃え移った。この大火事のせいで、木はすっかり乾燥していたため、アッという間に炎が忍び寄る。トーラスは、益々、焦った。力を振り絞って、ミシルを助けようとする。
結局、トーラスはミシルをカゴから出してやることが出来なかった。火が枝を伝い、カゴを吊り上げていたロープを焼き切ったからである。トーラスはミシルの入れられたカゴごと、地面に落下した。
「おっと!」
トーラスは見事な体術で、地面に着地を決めた。しかし、カゴはまともに激突する。その拍子に形が歪んだ。
カゴが墜落しても、まだ中のミシルは気を失ったままだった。まさか、息をしていないのではと、トーラスは青くなる。だが、ミシルの呼吸は静かに繰り返されていた。とりあえず、そのことにホッとするトーラス。
今度は時間をかけて、頑丈なカゴを壊しにかかった。槍をテコの代わりにして、カゴを解体しようとする。ようやくカゴをバラバラにしたときには、トーラスは肩で息をするはめになった。
「はあ、はあ、はあ──おい、ミシル! ミシル、しっかりしろ!」
トーラスはミシルの頬を軽く叩いた。ミシルがうーんと唸る。それを見たトーラスは、腰に下げていた水袋をつかむと、中の水をミシルの顔にかけてやった。
「うっ!」
ミシルが水をかけられて顔をしかめた。そして、やめてという風に、手で顔をかばう仕種をする。もう一度、トーラスはミシルの名を呼んだ。
「ミシル!」
「? ──トーラス?」
ミシルはトーラスに肩を揺さぶられ、目をぱちくりとしばたかせた。やっとトーラスが安堵した表情を見せる。
「よかった。どうやら、無事なようだな」
「私、一体……」
記憶の混乱がしばらくあってから、ミシルは自分の身に起こったことを思い出した。そして、血相を変えて、トーラスにすがりつく。
「そうだ! トーラス、大変なのよ! ダーク・エルフが──」
「知っている」
トーラスは疲れたような声を出した。ミシルは改めて、自分の周囲を見渡してみる。
「これは……」
自分たちが激しい炎に囲まれているのに初めて気づき、ミシルは言葉を呑み込んだ。
「ダーク・エルフの仕業さ。もう手遅れだ」
トーラスの言葉には悔しさがにじんでいた。地面の土を手に取り、それをギュッと握る。
「そんな……」
「それより、どうしてお前、捕まっていたんだ?」
トーラスはこれまでの事情をミシルに尋ねた。
ミシルは一角獣<ユニコーン>を捜している途中に、アルフリードたち、サジェスのエルフにハーフ・エルフということだけで捕まったこと、また、見張りのエルフがミシルの目の前で、変身能力を持つダーク・エルフによって殺されたことを話した。
「──あのとき、私も殺されると思ったわ。でも、ダーク・エルフはなぜか私を殺さないで、眠りの呪文をかけたの。まったく、今日はよく縛られたり、眠らされたりする日だわ。やんなっちゃう」
「バーカ、殺されるよりはマシだろ?」
「それはそうだけど」
「だが、何かの目的があって、お前を見逃したと考えるべきだな」
「目的って?」
「さあな。それは、そのダーク・エルフ本人に訊いてみなきゃ分らんかもしれんが。──とにかく、今はここから離れることが先決だ。サラフィンもお前を心配していた。行くぞ」
「待ちなさい!」
トーラスがミシルの手を引っ張った刹那、それを制する声がした。二人がそちらを振り返る。
呼び止めたのは、一人の女エルフであった。煤で汚れていなければ、かなりの美人であっただろう。
トーラスはようやく生存者に出会えたと思った。しかし、何だか様子がおかしい。トーラスたちを見つめる目には、敵意があふれていた。
「サジェスの者か?」
トーラスが尋ねると、女エルフは目だけを動かさずにうなずいた。すると、隣にいたミシルがアッと声を上げる。
「あっ、あなた!」
「知っているのか?」
「知っているも何も……」
今度はミシルの目まで剣呑になった。トーラスが訝る。
そんな二人に、女エルフは名乗った。
「私はネーア。サジェスの《監視者》アルフリードの妹よ」
「アルフリードの?」
同じ《監視者》であるトーラスは、アルフリードのことをよく知っていた。そう言えば、体は一人前だが、まだねんねな妹がいるというのを聞いたことがある。
「オレはイスタの──」
「兄の仇!」
「──っ!?」
トーラスが自己紹介しかけたところで、ネーアはおもむろに呪文の詠唱に入った。トーラスとミシルが反射的に身構える。
「セル・サリベ!」
それは兄のアルフリード同様、ネーアが得意とする魔法だった。炎の中から火に包まれた蔦が飛び出し、ミシルを襲おうとする。
そのミシルの前に、トーラスが立った。槍を振るって、呪文に操られた蔦を切り落とす。
「何をする!?」
突然の攻撃に、トーラスは声を荒げた。だが、ネーアの敵愾心は、今のサジェスのように燃えている。
「そのハーフ・エルフは、私の兄を殺したわ!」
「ミシルが? アルフリードを?」
思いもよらぬ話に、トーラスはネーアとミシルの顔を交互に見やった。ミシルは明らかに戸惑いの表情を浮かべている。
「わ、私、そんなことしていないわ……今まで、ずっとここに閉じこめられていたんだから」
「そうだ。それはオレが保証する」
トーラスはうなずいた。しかし、ネーアは聞く耳を持たない。
「私は見たのよ! このハーフ・エルフが、兄を殺すところを!」
「それはきっとダーク・エルフが──」
ミシルの目の前で見張りのエルフを殺害したダーク・エルフは、いろいろな人物に変身した。その能力をもってすれば、ミシルに化けることなど容易いだろう。
だが、実際に見ていないネーアに、それを信じさせるのは難しかった。
「何でもダーク・エルフで片づける気!? ふざけないで! この人殺し! どうせ、あなたがダーク・エルフを手引きしたんでしょ!? そうよ、きっとそうに違いないわ! でなければ、兄たち《監視者》がダーク・エルフの侵入を見逃すわけないもの!」
ネーアはヒステリックに叫んだ。ミシルは青ざめる。
トーラスは幼なじみでもあるミシルをかばった。
「いい加減にしろ! ミシルがそんなことをするもんか! アンタは兄さんを失ったショックで、一時的に気が動転しているだけだ!」
「うるさい! 人殺しをかばうつもりなら、あなたも同罪よ! ──セル・サリベ!」
再び炎の中から蔦が燃えながら飛び出してきた。今度は一斉に何十本もだ。
さすがのトーラスも、それらすべてを切り落とすことは不可能だった。二人は蔦に絡め取られ、身動きを封じられてしまう。おまけに燃えているせいで、火傷も負った。
「くっ! やめろ! これは罠だ! ダーク・エルフは、オレたち同族同士で殺し合いをさせる気なんだ!」
トーラスは必死に訴えた。しかし、今のネーアには兄の仇を討つことしか頭にない。
「死んで償って! ──セル・サリベ!」
ネーアがもう一度、呪文を唱えると、トーラスとミシルを縛っていた蔦がさらに伸び、二人の首を絞め始めた。それを見たネーアの表情が狂喜の笑みに歪む。
「苦しめ! そして、死んでしまえ!」
そのとき、南の方角から巨大な火柱が急速に接近してきた。火龍となったダーク・エルフ、アッガスである。
「ハハハハハハハハッ! 皆殺しだ! 死ね、エルフども! このオレの炎に焼かれろ!」
アッガスはトーラスたちのところへ突進してきた。あんなのに巻き込まれたら、一巻の終わりだ。
「ミシル、蔦を引きちぎれ!」
トーラスが叫んだ。
「無理だよ!」
そんなことができるはずがないと、ミシルは弱音を吐く。
「いいから死ぬ気でやれ!」
トーラスはミシルを叱咤した。そして、自分も巻きついている蔦を引きちぎろうとする。
蔦は火の影響によって脆くなっていた。まず、トーラスが自分の蔦を引きちぎる。そして、すぐさま悪戦苦闘しているミシルの蔦に手をかけた。
その間、ミーアは魅入られたように、迫り来るアッガスの火龍を見つめていた。
ミシルが自由になった。トーラスはミシルをかばいながら、この場から走り去ろうとする。
「お前も逃げろ!」
トーラスはネーアに言った。だが、ネーアは先程までの復讐に狂った姿はどこへ行ってしまったのか、茫然と突っ立ったままだ。
ゴォォォォォォォォォッ!
アッガスがネーアを呑み込む寸前、あきらめたトーラスはミシルを抱くように、一目散にサジェスの外へと走った。
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