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夜が明けた。
それでもサジェスの集落で発生した火災は収まる様子はなく、むしろ、その範囲を拡大していた。
ウィルは一睡もせず、その火事を一晩中、眺め続けていた。イスタの族長ジェンマの住まいからは、森を一望できる。その森が燃える様を身じろぎ一つせずに、ウィルは憂いを帯びた眼差しを向けていた。
そこへ疲れた様子のサラフィンが戻ってきた。彼は族長の代理として、眠る間もなく、イスタのエルフたちに様々な指示を与えていたのだ。それがようやく一段落したのだろう。
「《監視者》や男手をサジェスに送った。他の集落からも、ウチと同じように救援隊が向かっていることだろう。森が火災に見舞われたときは、総出で延焼を防ごうというのが我々の決まりだからな」
そう言って、サラフィンはウィルの隣に立ち、同じ景色を眺めた。風に乗って、きなくさい臭いがここまで届いてくる。サラフィンは顔をしかめた。
「とはいえ、今はダーク・エルフまで入り込んでいる状況だ。消火活動にすべての者を差し向けるわけにもいかない。ひょっとすると、ヤツらの狙いは手薄になった他の集落を襲うことかもしれん。油断は禁物だ」
サラフィンも、できれば消火作業の手伝いに行きたいのだろう。しかし、今の彼には族長代理という重責があった。ここを動くわけにいかない。それに明後日には、《千年樹》の元で、他の族長たちとの賢人会議へ出席せねばならなかった。火事もダーク・エルフも見逃せない事態だけに、サラフィンは少しジレンマを感じて、苦悩しているようだ。
それまで黙ってサラフィンの話を聞いていたウィルは、おもむろに歩き始めた。その背中にサラフィンが声をかける。
「どこへ行く?」
「オレ一人でもダーク・エルフを捜す」
振り向かずにウィルは答えた。
それを聞いたサラフィンは、喜ぶどころか、顔つきが険しくなった。
「待ってくれ。それは無用だ」
「無用?」
ウィルが意外そうな顔で振り返った。サラフィンは美しき吟遊詩人の目を真っ直ぐに見つめる。
「この森で起きたことは、我々、エルフで解決する。外から来た人間であるあなたは、手出ししないでもらいたい」
「そんなことを言っている場合か? さらに犠牲者が出たらどうする?」
「ダーク・エルフのことは、夕べのうちに各集落へ伝達した。充分に警戒しているはずだ」
「あの燃えている集落は間に合わなかったぞ。今も別の集落が狙われているかもしれない」
「それでもだ!」
サラフィンはウィルを遮るように、語気を強めた。その表情には苦渋が見て取れる。
「確かにダーク・エルフは、人間にとってもエルフにとっても憎むべき敵だ。しかし、現在、我々と人間の間は断絶状態であり、今はまだ手を携えたわけではないんだ。ここにこうしてあなたを迎えているのは特例中の特例であり、それを誤解して、勝手に森の中を歩き回れるのは困るんですよ」
サラフィンは精一杯、族長の代理として、エルフたちの総意を代弁した。少なからず、本意でないことも含まれているが、それはサラフィンの個人的な意見であって、エルフ族の中にあっては少数意見に過ぎない。それを充分にサラフィンは理解していた。だからこそ、ウィルへ対する申し訳なさを捨てきれないのだ。
それを聞いたウィルは、再び黙り込むと、欄干に身を預けるようにして、サジェスの方角を見やった。その横顔は無表情だが、心の中では無念さを抱いているのかもしれない。
そんなウィルを慰めるように、サラフィンは言葉を紡いだ。
「大丈夫だ。トーラスがきっとうまくやってくれる。アイツはああ見えて、頼りになる男なんだ。私はそう信じている」
それはサラフィンが自分自身に言い聞かせているようでもあった。
火事場は物凄い喧騒に包まれていた。
すでにサジェスの集落は陥落し、森の十分の一は炎に蹂躙されている。その炎の勢いを何とか止めようと、各地から集ってきた《監視者》や、その他のエルフが躍起になっていた。
「チクショウ! これじゃ、焼け石に水だ! 全然、火の勢いが衰えやしない!」
水の精霊の力で消火しようとしていた《監視者》の一人が、頭を掻きむしりながら喚いた。森の木々は鬱蒼と茂っているため、とにかく火の燃え移る場所に事欠かない。滝のような雨を空から降らすことでもしない限り、延焼の拡大は防げそうもなかった。
火は風の影響を受けてか、東寄りのサジェスから森の中央へ延びようとしていた。この先には、ラバという集落がある。このままでは二つ目の集落に到達するのも時間の問題だった。
「どうする、エスター?」
近くにいたエルフに、エスターは尋ねられた。
エスターはラバの集落の《監視者》だ。まだ若いエルフだが、父親がラバの族長でもあり、他の《監視者》たちからも距離を置いて見られがちな存在である。その彼に決断してもらおうというわけだ。つまり、ラバまで火が達したとしても、それは族長の息子の責任だと言わせたいのである。
本来であれば、年長の《監視者》であるサジェスのアルフリードや、イスタのトーラスが的確な指示を与えて対処していたであろう。しかし、今は二人とも、なぜかこの場にいなかった。
ここまで切羽詰まった場面に遭遇したことのないエスターは、どのような決断すべきか逡巡した。責任の重さを感じて、胃がキリキリする。それでもエスターは必死に考えた。
やがてエスターが下した決断は、他のエルフたちを驚かせるものだった。
「火が燃え移る前に、まだ燃えていない木を切り倒しましょう」
これには思わず反対の意見が出た。
「木を切り倒すだって!? 正気か!? 延焼を防ぐには、一本二本どころじゃ済まないんだぞ!」
「森は、我々、エルフにとって、命も同然じゃないか! それを切るのか!?」
「自分たちで森を傷つけるだなんて……そんなことをするくらいなら、死んだ方がマシだ!」
若輩《監視者》の決断に、様々な反論が噴出した。逆にエスターを支持する者は一人もいない。
エスターは気色ばんだ。
「なら、他に方法があるって言うんですか!? もし、僕のアイデアよりもいい考えがあるなら教えてください! ほら! 今こうしている間にも、火はラバへ近づいているんです! ラバだけの問題じゃない! 放っておけば、皆の集落へも火の手が延びることになるんですよ! それでもいいんですか!?」
エスターの必死の訴えに、文句を並べたエルフたちは押し黙った。エスターの言うとおり、他に考えられる方法など思い浮かばない。
「仕方ない……早速、取りかかるぞ」
カオンの集落の《監視者》が口火を切った。他の者たちも渋々ながら動き始める。
「切り倒す木は、火がやってくる時間を考慮して、手前じゃなく、もっと先のヤツにしろ!」
「ぐずぐずするな! 間に合わないところは魔法を使え! これ以上、森を焼かせるな!」
「おーっ!」
大規模な火災の前に右往左往していたエルフたちは、ようやく一致団結を見た。それぞれ斧を手に木を切り倒し、白魔術<サモン・エレメンタル>が使える者たちは、大地に地割れを作って、その裂け目へ木を葬る。皆、死に物狂いで働いた。
そんな姿に心を打たれたエスターは、涙して頭を垂れた。自らの手で森を破壊するつらさは、同じエルフであるエスターには痛いほど分かる。それをあえてしてくれる仲間たちに感謝した。
エスターたち全員の働きによって、ようやく延焼に歯止めがかかった。あとは飛び火を警戒しながら、自然に鎮火するのを待つしかない。疲労困憊のエスターたちは、汗まみれ泥まみれのまま地面に腰を落とし、ぐったりとした体を休ませながら、遠巻きに火事を見守った。
「おーい」
遠くで声がした。エスターは疲れた体にムチ打って立ち上がると、そちらの方向へ首を巡らせた。
すると、数名のエルフに抱え込まれるようにして、すっかりすすけたエルフがこちらへやって来るのが見えた。その背には、もう一名のエルフを背負っている。どうやら、背負われているのは女性のようだった。
エスターはおんぶして来たエルフの方へ近づいた。
「エムニム?」
煤で顔は黒かったが、それは確かに見覚えのあるエルフだった。サジェスの《監視者》、エムニムだ。
その背中におぶさっている女エルフは気を失っているようだった。長い金髪が顔を覆い隠している。
エスターは疲労しきった様子のエムニムに、背中の女性を降ろしてやるように言い、自らは水筒の水を差し出した。他のエルフたちが女性を補助して、平らなところへ寝かせてやる。その間にエムニムは、エスターの水を一気に飲み干した。
「どうしたんだ、エムニム? 助かったのはキミたちだけかい?」
別の集落の《監視者》だが、歳が近いこともあって、二人は親しかった。エムニムは今にも気絶しそうに、朦朧となりながらも、
「アルフリードさんがやられた……」
と漏らした。
そのことに多くの《監視者》が衝撃を受けた。エスターもその一人だ。
「アルフリードさんが……?」
にわかには信じられなかった。アルフリードは《神秘の森》の《監視者》の中でも、イスタのトーラスと並ぶくらいの手練れで、まさか火事に巻かれて死んでしまうとは、到底、考えられなかったからだ。
エムニムは息も絶え絶えに続けた。
「殺されたんだ……」
「殺された、だって? 誰に?」
「……イスタのハーフ・エルフ」
そのとき、その場にいたイスタの者たちは表情を強張らせた。ハーフ・エルフといえば、ミシルのことに違いない。そして、イスタでハーフ・エルフを匿っていることは、彼らだけの秘密であり、他の集落の者たちにとっては掟に反する行為だった。
「どういうことです?」
エスターがイスタのエルフたちに詰問した。皆、バツの悪そうな顔で口をつぐむ。エスターは肩をすくめた。
「事情はラバで聞きましょうか。今はエムニムたちを安全な場所で休ませることが先決です」
エスターはそう指示を下した。今や、森林火災の鎮圧に大変な決断力を見せたエスターは、アッという間に誰からもリーダーとして認められ、信頼されるようになっている。他の者たちはエスターに従った。
イスタのエルフたちは、まるで犯罪者のようだ。蔑んだ目で見られながら、ラバへ連行されていく。
「では、エムニムたちも」
そう促したとき、初めてエスターは、エムニムが背負ってきた女エルフの顔を見ることになった。その女性は、エムニムと同じく火事の中を逃げてきたせいで、煤が顔にこびりついていたが、生まれ持った気品のような輝きをエスターに感じさせた。
「美しい……」
エスターは一目で、助けられたネーアを見初めた。
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