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吟遊詩人ウィル

冒された森

−14−

 トーラスとミシルも、同じ朝を迎えていた。
 とにかく火災地域から遠ざかろうとした二人は、イスタとサジェスのほぼ中間にある小川へと逃げ延びていた。ミシルが初めてダーク・エルフと遭遇した小川である。そこはすでにダーク・エルフの死体がもたらした害毒に冒されているため、二人はそれよりも北の上流に腰を落ち着かせていた。まだ、森が燃えているのが、ここからでも見える。
 ミシルは大した傷を負っていない様子だったが、とても元気がないように見えた。それも無理はないだろう。脱出しようとした際、ネーアに「兄の仇」とののしられたのだ。身に覚えのないこととは言え、平然となどしていられるはずがなかった。
 川面をぼーっと眺めているミシルを見て、トーラスは嘆息をついた。これからどうすればいいか思案する。
 本当ならば、他の《監視者》たちと合流して、憎きダーク・エルフの捜索に向かいたいところだ。もう二度と、サジェスのような被害を出してはならない。
 もし、ネーアが言ったように、アルフリードが死んだとなれば、現在、《監視者》をまとめる者がいないということも頭痛の種だった。リーダー的存在なしに、ちゃんと連携を組めているか心配する。トーラスは一人の若いエルフにそれだけの力量があるかどうか、ラバの《監視者》エスターの顔を思い出していた。
 そちらも気がかりではあったが、今のミシルを放っておくこともできなかった。かといって、ダーク・エルフの捜索に連れて行くわけにもいかない。早くイスタに帰すべきだろう。少し時間をロスすることになるが仕方ない。とにかく、ミシルを元気づけて、立たせようと思った。
「ミシル」
 トーラスはミシルの名を呼ぶと、手にしていた皮袋を放った。両手にすっぽりと納まるくらいの大きさである。ミシルは虚を衝かれた様子だったが、反射的に皮袋をキャッチした。
「ヤクの実だ。二、三粒、口にしておけ。どうせ、昨日から何も食べていないんだろ?」
 ヤクの実はこの森で採れる小さな木の実だ。あまりうまいものではないが、滋養強壮の効果があり、森のあちこちを歩き回ることが多い《監視者》たちは、非常食として携帯している。
 ミシルは袋の口に手を突っ込むと、乾燥した黒っぽい実を二、三粒取りだした。そして、一気に口へ放り込む。噛み砕くと、何とも言えない顔をした。
「苦い……」
「バーカ、薬になるものってのは、そういうものだろ」
 ミシルから皮袋を返してもらうと、トーラスも一口食べた。偉そうなこと言った割に、食べ慣れているはずのトーラスも苦虫を噛み潰したような顔になる。だが、それを見ても、ミシルはくすりともしなかった。
「あのひと、どうなったかな……?」
 ミシルがネーアのことを言っているのだと、トーラスには分かった。
「さあな」
 あのとき、アッガスの火龍がネーアを呑み込んだようにトーラスには見えた。多分、焼け死んだだろうと思いながらも、トーラスはそれを口に出さないでおく。これ以上、ミシルに自分の責任だと思い込ませないためだ。だから、曖昧に言葉を濁した。
 ミシルはうつろに呟く。
「あそこの集落の人たちは、みんな、私を目の敵のようにして見ていたわ……私がハーフ・エルフだから……エルフと人間との間に生まれた、忌まわしき子供だから……私って、この森にいちゃいけないのかな……?」
「そんなことはない!」
 落ち込むミシルに対し、トーラスはキッパリと言い切った。
「この森の多くの連中は、間違った掟の捉え方をしている! 確かに、今、オレたちと人間の間は完全に切れちまっている! だから、ハーフ・エルフであるお前も毛嫌いしているんだ! でも、オレは《監視者》として、この森に迷い込んだ多くの人間たちと出会っているが、彼らはオレたちの敵というわけじゃない! 本当はエルフも人間も、手を携えるべきなんだ! もっと互いを分かり合おうとする努力をすべきなんだ! だが、エルフ族はその努力を捨てちまっている!」
「でも……でも……」
 ミシルは涙が出そうになって、その顔を見せまいと伏せた。ギュッと握った拳に一滴の涙が落ちる。幼少の頃からのつらい思い出がよみがえり、それが堰を切りそうになるのを懸命に堪えているようだった。
 トーラスはミシルに近づくと、その小さな肩をつかんで揺さぶった。
「ミシル、お前は一人じゃない。オレがお前を守ってやる。サラフィンだって、きっとそのつもりさ。昔から、三人そうやってきたじゃないか」
「うん……」
 ミシルはコクンとうなずいた。こんなにもしょげ返っているミシルを見るのは何年かぶりである。最近、集落をこっそり抜け出して、一角獣<ユニコーン>と心を通わせるようになってからは、すっかり一人前になったと思ったが、まだまだそうではないらしい。トーラスは目の前の幼なじみを、何としても守ってやろうと思った。
「じゃあ、イスタへ帰ろうぜ。サラフィンも心配しているだろうし」
 トーラスに促され、ミシルは立ち上がったが、腰に手をやって、アッと叫んだ。
「ない! 母さんの形見が!」
 《幻惑の剣》がないことをミシルは思い出した。アルフリードたちに捕らえられたとき、取り上げられてしまったのである。
 それを聞いたトーラスは舌打ちした。
「サジェスか……」
 トーラスはまだ火事が収まらない森を見つめながら呟いた。
 おそらく、あの大火の混乱の中、誰かが持ち出したとは考えにくかった。となれば、取り上げたアルフリードがどこかに保管し、そのままにされた可能性が高い。
「どうしよう……」
 ミシルは半ベソをかいた。彼女がいかにあの剣を大切にしてきたか、トーラスはよく知っている。《幻惑の剣》はミシルにとって、見知らぬ母親が残してくれた唯一の品なのだ。
「心配するな。あの火事でも、剣が燃えちまうことはねえよ」
 《幻惑の剣》は魔剣だ。簡単に傷ついたり、壊れたりはしない。
「よし、分かった。オレが探してくる。お前はここで待っていろ」
「でも──」
「いいから、オレに任せるんだ。ミシルはそこの木の上にでも登っていればいい。言っておくが、ダーク・エルフはもちろん、他の集落のエルフにも見つかるなよ。オレが戻ってくるまで、ジッとしているんだ」
 ハーフ・エルフがイスタの集落で育てられたことは、他の集落のエルフたちには秘密であった。ミシルが発見されるのはまずい。だから、一緒に連れて歩くわけにもいかなかった。
「それじゃあ、一走りしてくらぁ! 土産、期待しとけよ!」
 トーラスは茶目っ気たっぷりにウインクすると、自分の長槍<ロング・スピア>を手にし、まだ火災が収まらないサジェスの集落へと走った。
 風のように森の木々の間を縫いながら、トーラスは苦笑を漏らしてしまった。どうして自分は、こうもミシルに甘いのか。
 その理由は思い当たらないわけでもなかった。だが、よりにもよって相手はハーフ・エルフの少女である。これでも《監視者》と名の知られたトーラスは、女性のエルフに好意を抱かれることが──残念ながらイスタではサラフィンに次いで──多い。しかし、そんな多くの美しいエルフ女性よりも、なぜかトーラスはミシルに魅力を感じていた。
 ひとつには、トーラスのあまりエルフらしくない性格にあるだろう。《監視者》として多くの人間たちと関わり合うことが多いトーラスは、いつしか外界へ行ってみたいというあこがれを禁じ得なかった。それは森の掟に反することである。それでも広い世界を自分の目で見てみたいという好奇心のうずきは止めることが出来なかった。
 ちなみに、このことを口にしたのは、親友であるサラフィンに対してのみだ。他のエルフたちが聞いたら、目ん玉が飛び出すに違いない。
 トーラスに恋心を抱くエルフの女性たちは、皆、今の森の生活を維持できればいいという保守的な考えの持ち主だった。それはトーラスにとって、ひどく退屈なものにしか思えない。どうして、外の世界へ目を向けようとしないのか。世界は森だけで成り立っているわけではない。それは女性たちばかりでなく、同胞に対する不満でもあった。
 その点、ミシルは、半分、人間の血が混ざっているせいなのか、外の世界への興味を常に持っていた。そんな自分と同じところに、トーラスは共感してしまう。
 それにミシルの出自の秘密を知る者は、祖父である族長のジェンマを除けば、自分とサラフィンの二人だけ。それだけに昔からミシルをかばうことが多く、ついつい情が移ってしまったのだろう。今やトーラスにとって、ミシルは掛け買いのない存在になっていた。
 もっとも、当のミシルはそのことに気づいているのかどうか。まだ、色気づいた様子もなく、きっとトーラスのことをおかしな兄貴程度にしか思っていないのかもしれない。
 そんなことを考えていたトーラスであったが、突然、火災区域の手前で立ち止まった。顔つきが厳しくなり、耳を澄ます。《監視者》としての感覚が森の異常を捉えたのだ。
「何者だ? 出てこい」
 トーラスは気配を探りながら警告を発した。誰かがいる。トーラスは長槍<ロング・スピア>を両手で持った。
 しかし、誰も出てくる気配はなかった。このまま、やり過ごすつもりでいるのか。だが、《神秘の森》で一、二を争う優秀な《監視者》が、それを見逃すわけがなかった。
「すでに警告したぞ! ──そこだ! ディロ!」
 トーラスの左手からマジック・ミサイルが発射された。トーラスの左斜め後方にあった茂みを一直線に撃ち抜く。その瞬間、何かが転がり出た。
「チッ、さといヤツめ!」
 姿を見せた相手は、憎しみのこもった眼でトーラスをねめつけた。逆に、トーラスの眼は細められる。
「見つけたぞ、ダーク・エルフ」
 それはサジェスの集落を灰にしたダーク・エルフ、アッガスであった。


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