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吟遊詩人ウィル

冒された森

−17−

 トーラスの《万槍幻霧陣》。
 取り囲む何人ものトーラスを見回し、さすがのアッガスもたじろいだ。
 霧のスクリーンが作り出したまやかしだと言うが、どれが本物であるのか、アッガスにはさっぱり見分けられない。
 アッガスは苦し紛れに、フランベルジュを振るった。
 バシャッ!
 波状の刀身がトーラスの幻影を斬り裂く。だが、フランベルジュを濡らしたものは、憎らしいエルフの鮮血ではなく無数の水滴。トーラスの姿は文字通り霧散した。
「残念だったな」
 無情に響くトーラスの声。それを頼りにアッガスは位置をつかもうとするが、その声すらどこから聞こえてくるのか不明だ。
「ぐっ!」
 アッガスは片っ端からトーラスに斬りかかった。その度に、トーラスの映像がいくつも消滅していく。しかし、周囲に立ちこめた霧は晴れることがなく、それどころか次から次へとトーラスの幻像を生み出す。まるでイタチごっこだ。
 トーラスの《万槍幻霧陣》の前に、すっかりアッガスは翻弄された。残っていた力で火炎弾を発射したせいもあって、たちまち息があがってしまう。
 動きが止まったアッガスに、複数のトーラスが取り囲んだ。どれか一体を除けば、虚像のはずである。しかし、それを見抜くことが難しい。
「もうおしまいか?」
 《万槍幻霧陣》を破った者はいない。トーラスは憐憫の眼差しをアッガスに向けた。すでに勝負は決したとでもいうように。
 トーラスの長槍<ロング・スピア>が一斉にアッガスへ向けられた。
 身を固くするアッガス。
 ──どこから? 来る!
 八方から長槍<ロング・スピア>が突き出された。アッガスに避けられるはずがない。どれが本物の長槍<ロング・スピア>であると看破できるであろうか。
 グサッ!
「ぬああああああああっ!」
 アッガスはうめき声を上げた。左の脇腹にトーラスの長槍<ロング・スピア>が突き刺さっている。本物のトーラスは、アッガスの左斜め前にいた。
 アッガスの眼がカッと見開かれ、トーラスの顔を見つめた。一方のトーラスは昏い眼を向けている。
 穂先は深く埋まっていた。アッガスはその長槍<ロング・スピア>を左手でつかむ。そして、右手のフランベルジュを振り上げた。
 すかさずトーラスは、さらに長槍<ロング・スピア>の先をねじ込んだ。アッガスの体がくの字に折れ曲がる。それでも苦痛に歯を食いしばりながら、アッガスはフランベルジュを振り下ろした。
 バキッ!
 フランベルジュによってトーラスの長槍<ロング・スピア>は、アッガスの腹部に刺さったまま真っ二つにされた。
 トーラスは一旦、アッガスから離れる。武器を壊されてしまったというのに、特に動揺は見せない。すでに加えた一撃が致命傷であると知っているからだ。
 アッガスはよろめきながら、わずかに後ろに下がった。左の脇腹に刺さった穂先を抜こうとするが、傷口は深く、もはや手に力が入らない。アッガスの腹部は真っ赤に染まり、足下まで伝っていた。
「くっ、くうううううううっ……」
 それでもアッガスは倒れなかった。このまま倒れたら、もう二度と起き上がることは出来ない。それが分かっているからだ。
 そんなアッガスの姿に、トーラスは敵ながら目を見張った。この不屈の闘志には感服を禁じ得ない。
 だが、すでにアッガスには戦う力は残されていなかった。視界が狭くなり、意識も遠のき始めている。
(く、クソ、このままでは……)
 戦いの中で死ねるのは本望だが、何もできないままで終わるのは不本意だった。せっかく、このような歯ごたえのある敵と巡り会ったのだ。自分の力を出し切って戦ってみたい。このような形で死を迎えることは残念でならなかった。
 その思いが瀕死のアッガスを突き動かした。最後の命すら燃やし尽くそうとする。
 ダーク・エルフの戦士アッガスの執念は、ほんのわずかだけ火龍の力を甦らせた。アッガスの肉体を紅蓮の炎が包み込む。
「──っ!?」
 それを見たトーラスは警戒した。昨夜、ミシルを救う際に襲いかかってきた巨大な火龍を思い出す。防御として、再び《万槍幻霧陣》を張った。
 ボオッ!
 火龍と呼べるほどの大きさにはならなかったが、アッガスは炎の塊となってトーラスに突っ込んだ。大地を蹴り、飛翔する。
 目にも留まらぬスピードに、トーラスは避ける暇もなかった。炎と一体化したアッガスがトーラスに激突する。
 バッ!
 次の刹那、火の粉と水しぶきが飛び散った。アッガスがぶつかったのは、またしてもトーラスの幻像だったのだ。
 アッガスはそのままの勢いで木々の上を飛び越えると、いずこかへ消え去った。すでにアッガス自身でもコントロールできないのだろう。こうして二人の戦いは、決着を見ないまま幕を閉じた。
「ふーっ、やれやれ」
 火の玉が飛び去った方向を見やりながら、トーラスは大きく息を吐き出した。知らぬ間に額に汗が浮かんでいる。火炎弾にしろ、今の特攻にしろ、どちらを喰らっても一撃でやられていたかもしれない。それを思うと、こうして立っていること自体、不思議な気持ちだった。
 果たして、もう一度、相まみえることがあるだろうか。
 トーラスは戦いの余韻に酔いながら、再びミシルの《幻惑の剣》を探すために、サジェスの集落へと歩き始めた。



 思いがけず戦線から離脱することになったアッガスは、《神秘の森》の上空を横切り、まるで流れ星のように墜落した。
 幸いだったのは、アッガスの落ちたところが、森の中でも柔らかな土が露出しているところだったことだろう。アッガスは頭から地面に突っ込み、上半身が埋もれた。
 倒れ込んだまま、アッガスは動けなかった。今度こそ本当にすべての力を使い果たしたのである。起き上がるどころか、指一本すら動かせなかった。
(オレは死ぬのか……)
 そんな感慨が湧いた。無念さを拭いきれない。結局、最後まで、エルフの《監視者》に一矢すら報えなかった。こんな屈辱は、戦士として生きることを決めてから初めてのことだ。
 ただひたすら死を待つだけのアッガスに、何かが近づいてきた。その気配をアッガスが察する。残された感覚はそれだけだった。
 どうやら他のエルフに発見されたようだと、アッガスは観念した。もう口から何かを発することもできない。
 ところが、半死のアッガスに分かるはずもないが、近づいてきたのは《神秘の森》のエルフではなかった。四足歩行の大きな生き物。蹄がアッガスの手前で止まった。
 なんと、やってきたのは一角獣<ユニコーン>だった。それもミシルと親しかった、あの“彼”である。その証拠に、白い馬体にはミシルをかばったときに、ダーク・エルフのヒヒトによってつけられた傷跡があり、それを中心として太くて黒い筋が、まるで血管のようにあちこちへ伸びていた。
 一角獣<ユニコーン>は聖獣だ。その所以は一角獣<ユニコーン>が持つ“癒しの力”にある。
 ケガや病気を治す治癒魔法は、神の奇跡を呼ぶ聖魔法<ホーリー・マジック>が代表的だが、一角獣<ユニコーン>はそれを元々、持っており、高名な大神官すらも及ばない偉大なる力を発揮すると言われている。それこそ死者すらも甦らせ、ウソか本当か、一角獣<ユニコーン>の生き血を飲めば不老不死になれるという言い伝えも長く信じられていた。
 しかし、一角獣<ユニコーン>は、決して人に懐こうとはしない。非常に警戒心が強く、姿も見せようとしないのだ。その一角獣<ユニコーン>が、唯一、気を許すのは、穢れなき乙女のみ。それゆえ、昔から一角獣<ユニコーン>は神格化されてきた。それはこの森でも同じだ。
 ところが、こともあろうにこの一角獣<ユニコーン>は、悪魔に魂を売ったダーク・エルフに自ら近寄った。もし、誰かがこの光景を目撃したら、自分の目を疑ったに違いない。誰がダーク・エルフになついた一角獣<ユニコーン>など信じられようか。
 だが、それは現実だった。アッガスの傍らに立つ一角獣<ユニコーン>は、自然に頭をこすりつけるようにした。
 当のアッガスには、何が起こっているのか、さっぱり分からなかった。ただ委ねるしかない。
 すると一角獣<ユニコーン>の角が光を放ち始めた。
 それとともに、アッガスの体が熱くなっていく。
(な、何だ……!?)
 突然の異変に、アッガスは心の中で呻いた。まるで状況が分からない。
 やがて、一角獣<ユニコーン>とアッガスの姿が光の中で溶け合った。


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