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大火に包まれたサジェスの集落より助け出されたネーアは、消火活動のために森中から駆けつけたエスターたちによって、ラバの集落へ運ばれた。
ネーアは気絶こそしているものの、特に外傷のようなものは見受けられなかった。診断したラバの薬師によると、しばらく眠れば大丈夫だろうということだ。
気を失ったままのネーアはエスターの家でもある族長の住まいへと移された。数名の女性エルフたちが介護役を買って出てくれて、彼女を着替えさせたり、丁寧に体を拭いたりしてくれた。その間、外にいたエスターは、そわそわとしながら待つしかなかった。
ちなみに、あの炎の中からネーアを助け出したエムニムは、今は別所で食事と睡眠を取っている。エムニムもケガはなく、ただひどく疲労している様子だった。
やがて、一人の女性エルフを残して皆が立ち去ったあと、エスターはようやく中へ入れた。ネーアはすこやかな寝息を立てながら眠っていた。
「では、水を汲んで参ります」
付き添いをエスターに頼み、残っていた女性エルフも出て行った。エスターはネーアと二人だけにされて緊張してしまう。
エスターはそっとネーアの顔を覗き込んだ。
「美しい……」
思わず吐息のように言葉が漏れ、エスターは慌てて周囲を見回した。誰かに聞かれやしなかったかと焦る。しかし、そのような者はいなかった。
もう一度、エスターはネーアを見つめた。
ネーアほど美しいエルフをエスターは知らなかった。彼女の兄、アルフリードとは集落こそ違うが、同じ《監視者》としてよく面倒を見てもらいものだ。かねてから妹がいるという話も聞いていたが、こうして実際に対面するのは初めてである。エスターはすっかり眠れる森の美女であるネーアに心を奪われてしまっていた。
エスターはそっと手を伸ばし、ネーアの顔にかかっている細い金髪を掻き上げてやった。眠っているネーアの、何と麗しいことか。いつまで眺めていても飽きないだろうとエスターは思った。
そこへ入口から誰かが来る気配を感じた。水を汲みに行った女性エルフが戻ってきたのか。エスターは慌ててネーアから離れ、居住まいを正した。
ところが、やって来たのは看病の女性エルフではなかった。
「ここにいたか、エスター」
「父上」
それはエスターの父であり、このラバの集落を統率する族長、シャルム=グランだった。
シャルム=グランは若かりし頃、エスターと同じように《監視者》として名を馳せた。その昔、ワイバーンが襲来したとき、果敢に戦った功績が認められて、森の英雄のような扱いを受けている。それゆえにエスターの目標となっているが、常日頃、偉大な父と見比べられてしまう劣等感も持ち合わせていた。
かつての英雄らしく、シャルム=グランに衰えは見られなかった。眼光は鋭く、背筋はピッと伸び、声もよく通る。若いエスターよりも覇気が感じられた。
エスターは父の前だと、どうしても萎縮してしまうのだった。シャルム=グランもそのような息子に優しく接することはなく、どうか一人前に育って欲しいという厳しさばかりが態度に目立つ。二人の親子関係は、他人から見ると、とてもギクシャクしているように思えた。
「サジェスはどうだった?」
まずシャルム=グランは族長として、報告を促した。
すでに森へダーク・エルフのテロリストたちが入り込んだことは、イスタから知らせが届いている。それに関して、賢人会議も招集された。このサジェスの火事もダーク・エルフの仕業だと考えるのは当然だった。
エスターは沈痛な表情でかぶりを振った。
「ダメです。火はサジェス全体に及んでいます。それどころか、火の勢いはなかなか衰えず、森全体へ広がろうとしています。このままでは、さらなる被害が出る恐れがありますので、今、各集落から集まってくれた者たちに命じて木を伐採し、延焼を防ぐ努力をしているところです」
「生存者は?」
「残念ながら、ここに寝ている彼女と、サジェスの《監視者》であるエムニムの二名だけです」
「二名? たった二名しかいないと言うのか?」
「はい、今のところは。火が消えても、あの中で生き延びている可能性は低いでしょう」
「ダーク・エルフめ!」
大勢の仲間を失ったことに対し、シャルム=グランは憤りを隠せなかった。すぐにでも愛用の大弓を持ち出して、《監視者》に現役復帰し、ダーク・エルフを狩るのではないかとエスターは思った。
しかし、シャルム=グランは族長としての責務を忘れるような男ではなかった。怒りをグッとこらえる。
「一刻も早くダーク・エルフを見つけだせ!」
「はい」
父親の檄に、エスターは表情を引き締めた。
「──ところで、その娘の容態は?」
シャルム=グランは怒りを静めるように、眠っているネーアについて尋ねた。
「脱水症状を起こしているようですが、特に目立ったケガはしていません。それよりも精神的なショックの方が大きそうです」
「精神的なショック?」
「助け出したエムニムによれば、兄であるアルフリードが殺されるところを目撃してしまったとか。それでひどいショックを受けたのでしょう」
「なに、あのアルフリードまで斃されたというのか?」
その事実は、シャルム=グランに衝撃を与えた。今、《神秘の森》で最も優れた《監視者》は、サジェスのアルフリードか、イスタのトーラスであることは誰もが知っている。もちろん、息子のエスターがそれに名を連ねてくれれば言うことはないのだが、まだ若輩者であることは否めない。そんな優秀な《監視者》一名が死んだということは、にわかに信じ難かった。
「敵は余程の力を持ったダーク・エルフと言うことか」
「いえ。アルフリードを殺したのは、ダーク・エルフではありません」
「ダーク・エルフではない?」
息子の思いがけない言葉に、シャルム=グランはなおさら驚きを覚えた。
「では一体、誰だというのだ?」
「それが……イスタのハーフ・エルフだとか」
「ハーフ・エルフ!?」
ついシャルム=グランの声が大きくなった。
シャルム=グランも《監視者》として、これまでには人間と接する機会が多くあり、彼らの良いところ、悪いところをいろいろと知っているつもりだ。だから、排他的な他のエルフたちに比べると、特に敵愾心を持っているわけではない。好ましいとは思えないが、混血であるハーフ・エルフに対しても同じだ。
しかし、森への不可侵という掟に関してはとても重んじている。生きるには秩序が必要で、そのためにもいろいろな掟を守らなければならない、というのがシャルム=グランの考え方だ。それがこれまで自分たちの一族を守ってきたのだと信じているし、それを破られたことによって怒りが増した。
「イスタのハーフ・エルフとはどういうことだ? イスタは掟を軽んじ、ハーフ・エルフを匿っていたというのか?」
「おそらく」
「その上、ダーク・エルフと呼応するかのように、同胞を殺害するとは! イスタはそんなことをさせるためにハーフ・エルフを育てていたのか!?」
シャルム=グランの怒りは、実の息子であるエスターすらも震え上がらせた。かつての勇猛さを取り戻したかのようだ。
エスターは何とか父親をなだめようとした。
「父上、落ち着いてください。別にイスタが我らを裏切ったわけではないでしょう。イスタの者たちから事情を聞きましたが、森に置き捨てられたハーフ・エルフの赤子を見るに見かねて、育てただけのようです。イスタの者たちからすれば、恩を仇で返されたようなもの。悪いのはハーフ・エルフです」
ハーフ・エルフの話は、消火活動に集ったイスタのエルフたちから聞いていた。
彼らは最初、口ごもっていたが、かねてよりハーフ・エルフを集落に置いていた不満や罪悪感を持っていたのだろう。しばらくすると、洗いざらい喋った。そして、そのハーフ・エルフの少女がミシルという名であることも。
エスターはそんなイスタのエルフたちを代弁した。ところがシャルム=グランは、それでも冷静でいられなかったようだ。
「しかし、このことは賢人会議が開かれる前に、きちんと確かめておく必要はある! いくら慈悲心を抱いたといっても、相手はハーフ・エルフ。掟に反することに変わりはない! 現に、こうして悲惨な結果を招いてしまった! これは掟を破った結果だ!」
シャルム=グランは完全に頭に来ている様子で、大股で歩くと、《監視者》時代に使っていた大弓を取り上げた。今も手入れを怠らない代物だ。父がそれを手にするのをエスターは久しぶりに見た。
「行くぞ」
「えっ、どこへ?」
父の迫力に気圧され、エスターは聞き返した。そういう態度が、シャルム=グランの目には頼りなく映る。
「イスタの集落に決まっている! ちゃんとジェンマに説明してもらわねば!」
「しかし、イスタのジェンマは今、重病だと聞きました。代理をサラフィンが務めているとか」
「どちらでも構わん!」
シャルム=グランは業を煮やしたようにそう言い放つと、再び大股で歩き、外へ出て行った。エスターも慌てて追おうとする。一度、ネーアの方を振り返った。まだ眠っている。彼女の眠りの深さが、心の傷の深さのような気がした。
エスターは、これも彼女のためだと思い直し、父に随行した。
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