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ミシルは真っ白な獅子ともヒヒともつかぬ獣に、恐怖心と好奇心を抱いた。
そんなハーフ・エルフの少女の反応に、相手は怒った様子も見せなかった。
「どうやら、ワシのことを知らぬようだの?」
ヒヒの顔を持つ獅子の言葉に、ミシルはうなずいた。確かに、こんな動物が森にいることは、サラフィンからも聞いたことがない。
人語を解す獣は、腰を落とすようにして座った。
「お前さんらエルフから、ワシは“イェンティ”と呼ばれておる」
「イェンティ……」
初めて聞く名であった。
まだ怪訝そうなミシルに、イェンティは小首を傾げた。
「どうやら、その名も分からぬようじゃのぉ」
「すみません」
ミシルは謝った。するとイェンティがホッホと笑い出す。
「構わぬ。知らないことは決して恥ずかしいことではない。そもそも、この世界のすべてを知ることは不可能なんじゃからな。ワシだって、まだお嬢さんの名前を知らぬよ」
そう慰められて、ミシルは焦った。
「あっ、私、ミシルです。イスタの集落の。危ないところを助けていただいて、ありがとうございました!」
ミシルはぴょこんと頭を下げた。イェンティの穏やかだが、まとっている威厳に対し、ミシルは恐縮してしまう。
そんな彼女に、イェンティは暖かい眼差しを向ける。
「なんの。可愛らしいお嬢さんが襲われているのを見たら、年甲斐もなく出しゃばりたくなってしまっただけじゃ。礼を言われるほどではない。それに、たまにはこれくらいの運動もしておかんと、体がなまっていけないしな」
あの黒豹との取っ組み合いを軽く「運動」として片づけてしまった。激しい戦いに見えたが、イェンティにとっては、まだ本気ではなかったのかもしれない。それで黒豹を撃退してしまうのだから、イェンティはこの森の中で獣の王なのだろうとミシルは思った。
「あの……私、あまり森へ出たことがないので、あなたがどういうお方か存じ上げないのですが、こういうと失礼かもしれませんけど、どうして言葉が喋れるのですか?」
ミシルの質問に、イェンティの眉間がピクッと持ち上がった。
「ホッ、どうやら本当にワシのことをご存じないらしい。良かろう。ワシのことを教えてしんぜよう。ワシはイェンティ。この名はワシがつけたものでも、ワシの死んだ両親がつけたものではなく、この森に住むようになったお嬢さんたち、エルフ族がつけたものだ。イェンティはエルフ族がこの地に定住する前から森で暮らしており、お嬢さんたちの先祖は森の獣たちを統べていたワシたち一族に敬意を払い、ここへ落ち着くことになった。言葉はそのとき、彼から学んだと言われておる。ワシたちは互いに住まう場所を分け合った。だが、ワシたちはエルフ族と同じように長寿でありながら、なかなか子供が産まれず、長い年月の間に、とうとうワシ一頭だけになってしもうたのじゃ」
「そんな、可哀想……」
ミシルが呟いた。自然に口を衝いて出た言葉だ。イェンティはフッと笑う。
「いいんじゃよ。いつかは種が滅ぶときというものが来るんじゃ。それは逆らえぬ運命。自然の淘汰じゃ。きっと、そのせいでエルフ族の中にも、お嬢さんのようにワシを知らぬ者がいるのじゃろう。ヒヒの顔をした言葉を喋る獅子イェンティの存在をな」
話を聞いているうちに、ミシルは申し訳ない気持ちになった。現在、この《神秘の森》で我が物顔で暮らすエルフ族だが、元々、森に棲んでいたのはイェンティたちだ。彼らがエルフ族を受け入れてくれたからこそ、こうして生活できているのである。しかし、そのエルフ族は人間たちの侵入を拒んでいる。どうしてイェンティのように、もっと寛大になれないのか。エルフの血が半分流れているミシルとしては、エルフ族の高慢さがイヤになった。
イェンティが立ち上がった。
「さあ、ここはお嬢さんが一人でいる場所ではない。良かったら、ワシが集落の近くまで送って差し上げるが」
イェンティは紳士的に申し出てくれた。しかし、ミシルはかぶりを振る。
「すみません。私、ここで人を待っているんです」
トーラスに《幻惑の剣》を取りに行ってもらっておきながら、ミシル一人で帰るわけにはいかなかった。イェンティに断りを入れる。
「そうか。しかし、ここにいたら、いつさっきと同じような目に遭うか。まだ、火事は収まっておらぬようだ。動物たちも逃げ場を失っているようじゃのぉ」
「あなたはそれを心配して?」
ミシルは目を丸くした。他の動物を気遣うとは、驚きだったからである。
「まあ、な。ワシらはこの森で暮らしている。森が焼けてしまうのも困るが、仲間がたくさん死ぬのも困る。助けられるなら助けてやりたい。そう思ってのぉ。ここから北東へ行ったところに安全地帯を確保した。もし、どこへ逃げるべきか分からないものがいれば、そこへ連れてってやりたいのじゃ。そこには焼け出された多くの動物たちも集まっておるからな」
その話を聞いて、ミシルは一角獣<ユニコーン>のことを思い出した。
「すみません、ひょっとして、そこに一角獣<ユニコーン>はいませんか?」
ミシルはイェンティに尋ねた。今度はイェンティが驚く番だった。
「なぜ、一角獣<ユニコーン>のことを?」
一角獣<ユニコーン>には生命の神秘なる力が宿っているとされ、不老不死やそれによる莫大な富を求め、捕獲を企むものは少なくない。イェンティが警戒するのも無理はなかった。
ミシルは真摯な眼差しで訴えた。
「私の友達なんです! 私をかばおうとして、傷ついて……。あれからどうなったのか心配で。ひょっとして、その安全地帯にいるんじゃないかと思ったんです」
イェンティはミシルの目を見つめた。それで真偽のほどを確かめる。
「そうか、お嬢さんがアイツの乗り手か。以前、話に聞いたことはある」
「ホントですか!?」
ミシルは目を輝かせた。だが、イェンティはミシルを落ち着かせようとする。
「待ちなさい。ワシもそれからは会っていないのじゃ。安全地帯にいるかどうかも分からん」
その言葉はミシルを落胆させた。しかし──
「諦めるのは早い。もしかすると、私と行き違いになって、安全地帯に辿り着いている可能性もあるじゃろう」
「じゃあ!」
「あくまでも可能性の問題じゃ。保証は出来ぬが、行って捜してみる価値はあろうて」
それを聞いて、ミシルは居ても立ってもいられなくなった。すぐにでもそこへ案内してもらって、“彼”に会いたい。トーラスのことなど忘れた。
「連れていってもらえませんか?」
ミシルはイェンティに頼んだ。その勢い込んだ様子に、さすがのイェンティも気圧される。
「それは構わんが、しかし──」
人を待っているんじゃなかったのかと続けたかったが、イェンティは言葉を呑み込まざるを得なかった。
「お願いします!」
ミシルの目は真剣だった。
その頃、トーラスはサジェスの集落を前にして、どこか入口はないかと探していた。
昨夜、ダーク・エルフのアッガスによって引き起こされた火災は、未だに鎮火しておらず、それどころかその勢力を徐々に広めつつある。トーラスがミシルを連れて脱出したルートも寸断され、まったく入り込めそうな余地はなかった。
白魔法<サモン・エレメンタル>を使って、消火活動をしようにも、この火勢では焼け石に水だろう。ミシルの《幻惑の剣》を探すには、まだしばらく待つ必要がありそうだ。
「トーラス」
誰かがトーラスを呼んだ。見れば、ラバの集落の族長シャルム=グランと、その息子エスターだった。他にも何人か供を連れている。
トーラスは一礼した。シャルム=グランもむすっとした表情でうなずく。トーラスがシャルム=グランに好かれていないことは、以前から知っていた。《監視者》としての実力は認めているもの、エルフ族としては奇異な格好を好むトーラスを快く思っていないのである。顔料でペイントされたトーラスの顔や毛皮を身にまとった姿を見て、シャルム=グランが表情を強張らせたのも無理はなかった。
だが、シャルム=グランがそうなったのは、他にも原因があったとは、このときトーラスはまだ知らなかった。
「今までどこへ行っていた、トーラス。エスターの話では、お前の姿がなかなか見えなかったと聞いているが?」
かつて《監視者》として、この森の英雄と謳われたシャルム=グランは、トーラスにとっても尊敬すべき人物である。しかし、エルフ族の中でも異端な存在であるトーラスとすれば、シャルム=グランの堅物ぶりには容易に馴染めない。どちらかといえば、トーラスの方もまた苦手とするタイプだった。
トーラスはシャルム=グランの前でかしこまった。
「サジェスを襲ったダーク・エルフを追跡していました」
ウソだった。本当はダーク・エルフよりもミシルの救出を優先した。しかし、ハーフ・エルフであるミシルのことは他の集落には秘密だ。正直に話すわけにはいかない。
ところが、シャルム=グランはそのウソを見通しているのか、トーラスを見つめる目はあくまでも厳しかった。まったく相好を崩さない。
「それで、そのダーク・エルフは?」
「はっ、今一歩のところで逃げられました」
これは本当だ。実際にトーラスはサジェスを火の海に変えたダーク・エルフ、アッガスと戦っている。
シャルム=グランはその答えに不満そうだった。やはり、昔の自分ならば逃しはしないという自負があるからか。
「サジェスのアルフリードが死んだことは知っているな?」
「それは……やはり、本当のことなんですか?」
アルフリードがやられたことは、彼の妹であるネーアの口から聞いていたが、今でもトーラスは信じられなかった。ダーク・エルフ如きに遅れを取るアルフリードではないはずだ。それは一番、トーラスが分かっている。
だが、現実は厳しかった。
「残念ながらな。サジェスの生き残りが証言してくれた」
トーラスは表情にこそ出さなかったものの、シャルム=グランの言葉にドキッとした。その生き残りとは、ひょっとして──
「アルフリードを殺した犯人についても話してくれたよ。キミの集落にいるハーフ・エルフだそうだ。この森にダーク・エルフばかりか、ハーフ・エルフまでいるとは。トーラス、これは一体どういうことかね?」
問いつめるシャルム=グランの眼光は鋭かった。その後ろにいるエスター他、従者のエルフも無言の圧力をかける。
トーラスは手の平がじっとりと汗ばむのを感じた。
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