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吟遊詩人ウィル

冒された森

−21−

 イスタの集落へ向かったはずのシャルム=グラン一行であったが、ダーク・エルフに襲撃されたサジェスの現状も見ておきたいと言うことで、寄り道する格好になった。そこで偶然にも、《幻惑の剣》の捜索に来たトーラスと鉢合わせすることになったのである。シャルム=グランとすれば好都合であり、イスタまで行かずともハーフ・エルフのことをトーラスに問いただすことが出来た。
 シャルム=グランの持つ威圧感に、いつも飄々としているはずのトーラスも気圧された。思わず、足が後ずさる。
 その動きを見咎めたシャルム=グランは、あろうことか持っていた大弓を構え、矢をつがえた。トーラスに向かって。
 それに血相を変えたのは、シャルム=グランの息子エスターだ。
「ち、父上!?」
 エルフ族は人間と違って精神的に成熟しているため、感情に左右されることが少なく、何事も理性的に対処する種族だ。それゆえ同族間のトラブルはあまり起こらない。しかし、シャルム=グランは戦士としての血が濃いのか、度々、激情に駆られるところがある。そのときの父は手がつけられない。エスターは本当にトーラスを撃つのではないかと慌てた。
「何をするんです!? トーラスは我々の仲間──」
「お前は黙っていろ」
 シャルム=グランはエスターを遮るようにして言った。
 いつものことだが、シャルム=グランは息子の言葉に耳を貸すことをしない。それを常々、エスターは不満に思っていた。エスターにだって、自分の考えがある。そのすべてを否定されるような父の態度にはうんざりだ。どうして、こんなにも自分に厳しく接するのか。
 そんな感情を抱くエスターを無視して、シャルム=グランはトーラスに問うた。
「トーラス、ちゃんと話を聞かせてもらおう! どうしてイスタは、ハーフ・エルフなどを育てたのだ? それは掟に背くこと! 忘れたわけではあるまい! それとも知らなかったとしらばっくれるつもりか!?」
「それは……」
 トーラスは珍しく口ごもった。下手なことは言えないという恐れ。それはシャルム=グランに矢を向けられているからではない。真実が明かされることによって、この森にどんな波紋が広がるか、それを想像したからだ。そして、それによってミシルの立場はきっと悪くなる。
 トーラスは唾を飲み込んだ。
「それは我が族長、ジェンマ様にお尋ねください。お決めになられたのはジェンマ様です。オレから言うことはできません」
 シャルム=グランから目を逸らさずに、トーラスはきっぱりと答えた。今、トーラスの口からミシルの素性を話すわけにはいかない。それにふさわしい人物はジェンマであると判断したのだ。
 トーラスの答えに、シャルム=グランは不満ありありだった。トーラスは明らかにハーフ・エルフの存在を知り、どうして今までイスタの集落で匿っていたのかを知っている。それでいながら、この場で話さないということは、シャルム=グランからすれば反抗的な態度に見えた。元々、印象の良くないトーラスの非協力的なところがシャルム=グランに苛立ちを募らせる。
「どうあっても喋らないつもりか?」
 シャルム=グランの目がスッと細められた。弓は引き絞ったままだ。
「はい、申し訳ありませんが。族長を差し置いて、勝手なことはできませんから」
「私の命令でもか?」
「はい」
 トーラスは頑として譲らなかった。
「では、このままジェンマの所まで案内してもらおう。それぐらいは出来よう」
 シャルム=グランは明らかにトーラスを試していた。従順を示すか、それとも逆らうのか。それは敵であるか、味方であるかの見極めでもある。
 トーラスは言った。
「それも出来かねます」
 二人は睨み合った。シャルム=グランの従者たちも、ことの成り行きを黙って見守る。エスターだけが、二人の間でおろおろした。
 エスターとトーラスは、同じ《監視者》でありながら、あまり会話を交わしたことがなかった。トーラスはどちらかというと一匹狼的存在で、他の《監視者》たちと一緒に行動するようなことをせず、自分の判断で自由に森を巡視しているからだ。
 どちらかと言えば、エスターはアルフリードに目をかけてもらった方である。多分、アルフリードからすれば、エスターを英雄シャルム=グランの息子として見ていたからだろう。生まれ育った集落は違ったが、弟のように面倒を見てもらった。
 従って、エスターもアルフリード殺害の犯人を──彼の美しい妹であるネーアのためにも──捕らえたい気持ちは強い。しかし、その相手はダーク・エルフではなく、ハーフ・エルフだという。それもイスタの集落で匿っていたとされるハーフ・エルフだ。ヘタをすると、同族間の揉め事に発展しかねない。だから、なるべく穏便にことを進めたかった。
 だが、シャルム=グランの腹は煮えくり返っているようで、とても高圧的な態度を見せていた。変わり者であるトーラスも素直に応じようとしない。それがエスターを焦らせた。
 トーラスが案内を断ったのはミシルのためだ。シャルム=グランがジェンマの所へ行くにしろ、やめるにしろ、やがてはハーフ・エルフのミシルを捕らえようと森中に号令を出すだろう。そうなれば、ミシルの身に危険が及ぶ。即座に殺されることはないだろうが、サジェスでアルフリードたちに捕まっていた例もある。今、ミシルを守ってやれるのは彼女の居場所を知るトーラスしかいなかった。
 トーラスの返答に、シャルム=グランの眉がピクリと動いた。やはり、この異端児を好きにはなれそうもない。それは最初から分かっていたことだ。
「残念だ、トーラス」
 シャルム=グランの矢は、今にも発射されそうだった。トーラスが後ずさる。今度は意識的なもの。隙を見て、逃げるつもりなのだ。
 もちろん、シャルム=グランがそれを許すわけがなかった。
「動くな! 動けば撃つ!」
 トーラスは逆らった。素早く踵を返して、まっしぐらに逃げ出す。
 シャルム=グランはトーラスを狙った。ハーフ・エルフに接触され、逃亡の手助けをされたら厄介だ。だからといって別に殺そうというわけではない。動きを止めて、捕らえるだけだ。早くこの件にケリをつけて、ダーク・エルフへの対策に専念したいというのがシャルム=グランの内心である。
 狙いはトーラスの足下。革のブーツをかすめるようにして撃ち抜き、トーラスの足を地面に縫いつけようというわけだ。もちろん、シャルム=グランの持つ神業的な腕前がなければ、凡人には考えも及ばない方法である。
 しかし、彼の息子は、そんな思惑など知らなかった。ただトーラスが撃たれようとしている。その危機を察知しただけだ。
「父上!」
 エスターはシャルム=グランの大弓に手を出した。発射を狂わせようとしたのだ。
 だが、それは裏目に出ることとなった。シャルム=グランの手から放たれる瞬間だったため、足下を狙っていたはずの矢は、角度が上がった拍子に、ちょうどトーラスの背中へ向けられることになってしまったのだ。
「いかんっ!」
 シャルム=グランが気づいたときは遅かった。トーラスの逃げる背中へ矢が飛んでいく。
 バシュッ!
 矢がトーラスを貫いた。その刹那、トーラスの姿が四散する。それを目撃していた者は、全員、目を疑った。
 いくら強力な大弓でも、そこまでの威力はない。四散したトーラスの身体は、まるで水滴が飛び散ったようだった。
 《万槍幻霧陣》。
 誰も気づかぬうちに、トーラスは幻と入れ替わっていた。シャルム=グランの矢が貫いたのは、トーラスの幻。本物はいずこかへ姿を消していた。
 とりあえず、トーラスを撃ち殺すような結果にならず、エスターはホッとした。が、そのエスターへ石のような拳が見舞う。シャルム=グランだ。
 バキッ! ドッ!
 殴られたエスターは、その場に倒れた。厳しい父だが、これまで殴られた記憶はない。それだけにショックだった。
「バカ者! 余計なことをしよって!」
 シャルム=グランは息子を叱責した。エスターの軽率な行動が、危うくトーラスの命を奪うところだっただけに、シャルム=グランの怒りは激しい。優れた観察力と判断力があれば、弓矢の発射角度から、シャルム=グランの意図が分かったはずである。それをただ闇雲に阻止しようとしたエスターが情けなく思えた。こんなことで、かつての自分のような《監視者》になれるのかと心配になってくる。
 だが、エスターはそんな父の胸の内など知らなかった。殴られたのも、トーラスへの攻撃を邪魔されたからだと疑う。確かに掟破りは見過ごせないが、トーラスを殺そうとするのは行き過ぎな行為だとエスターは父への反感を持った。
 従者たちが親子の間に割り込むようにして、両者をなだめた。シャルム=グランはその手を振り払う。エスターも助け起こされながら、父へ憎しみの視線を向けた。
 シャルム=グランは不機嫌そうに大股で歩き出した。
「イスタへ行くぞ。こうなったら、直接、ジェンマに質すしかない」
 従者たちはシャルム=グランに従った。エスターはその後ろ姿を見つめながら、切れた口の端を手の甲で拭う。
 ──いつか、僕を認めさせてやる!
 まだ、それだけの実力がないのを百も承知しながら、エスターは誓わずにいられなかった。
 一行が立ち去った後、木の上から一人の影が飛び降りた。逃げたと思われたトーラスだ。
「まずいことになったな」
 シャルム=グランはイスタへ行って、ミシルのことをジェンマに尋ねるだろう。その結果、どうなるか。それはトーラスにも分からないが、最悪の事態を考えて行動する必要がある。今はとりあえず一人でいるミシルが心配だ。
「サラフィン、頼んだぞ」
 イスタにいる友が何とかしてくれることを願いつつ、トーラスはミシルの所へと急いだ。


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