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吟遊詩人ウィル

冒された森

−22−

 ロンダークは目を覚ました。
 久しぶりにまともな寝床にありつき、たっぷりと眠った気がする。なにせデスバルクから使命を与えられてからというもの、野宿ばかりしてきたのだ。しかもダーク・エルフである以上、道中、人間やエルフに発見されれば、問答無用で斬られる恐れがある。安息は死ぬまで得られないものだと諦めていた。
 ロンダークは身を起こした。ここはエルフ族の集落の一つであるラバだ。ロンダークは燃えたサジェスの《監視者》エムニムとして、この集落まで連れてこられたのである。
 大火の中からネーアを救い出してきたと思われたロンダークは、お人好しなエルフたちによって介抱され、寝る場所どころか温かな食事まで与えられた。
 おかげで充分に英気を養えた気がする。同じ使命を授かった仲間たちが森の中で泥水をすすりながら生き延びていることを考えると、さぞやうらやましがられるだろうとほくそ笑んだ。
 エムニムの姿のまま、ロンダークは外へ出た。そして、様々な情報を収集する。
 デスバルクの呪いがロンダークに与えた能力は、その変身能力と読心術だ。ロンダークは読心術で、集落にいるエルフたちの心の中を選りすぐりながら読んでいく。それによるとラバの集落の族長であるシャルム=グランが息子のエスターたちを連れて、イスタの集落へ向かったらしい。目的はイスタの集落が掟を破り、どうしてハーフ・エルフを育てていたのか、その事情を尋ねるためだ。
 今、この場にいるエルフたちは、ハーフ・エルフが秘密裏に育てられ、しかも殺人を犯したことを知り、憤りを募らせている者がほとんどであった。そのことにロンダークは、自分の策がうまくいっていることを確信し、頬を緩ませた。
 愚かな者たちを疑心暗鬼に陥らせ、エルフ同士で争わせることがロンダークの狙いだ。それこそが《神秘の森》のエルフたちを滅ぼす一番の早道であると、ロンダークは信じて疑わない。あとは──
 読心術によっていろいろな声が聞こえてくるロンダークは、意識を別の方向へ向けた。ロンダークがわざわざ助けたエルフの美女、ネーアの心を読もうと思ったのである。
 だが、残念ながらネーアの心の声は聞こえてこなかった。どうやら、まだ意識を失っているらしい。さすがのロンダークも眠っている者の心を読むことは不可能だった。
 エムニムに付き添おうとするエルフの申し出をやんわりと断り、ロンダークは族長の家に向かった。そこにネーアがいることは分かっている。彼女こそ、ロンダークの企みを仕上げるのに欠かせない存在だった。
「失礼」
 ロンダークは族長の家の中に入った。寝ているネーアの傍らに、看護の女性エルフがついている。女性エルフはエムニムの姿をしたロンダークに対し、まったく警戒心を抱かなかった。この森のエルフたちにしてみれば、集落の中は安全であるという固定観念が生まれながらに根付いているのだ。まさか目の前にダーク・エルフが立っているなどと夢にも思うまい。
 ロンダークは看護の女性エルフの隣に座った。
「どうです、具合は?」
「特に外傷とかはありません。眠っているだけです。きっと疲れとショックがたまっているのでしょう」
「そうですか。では、あなたは少し休んでください。その間、オレが看ていますから」
 そう言って、ロンダークは女性エルフに席を外させようとした。彼女に疑う余地などない。むしろ一人での看護を退屈に思っていたくらいなのだ。だから喜んで出て行った。
 ロンダークはネーアと二人だけになった。
 ロンダークもまた、エスターと同じように、ネーアの美しさにしばし見取れた。
 エルフとダーク・エルフは仇同士。それでも肌の色を除けば、外見はまったく変わらない。ダーク・エルフであるロンダークから見ても、ネーアは相当な美人であると認めないわけにはいかなかった。
 森の中で初めて出会ったとき、エスターがネーアに一目惚れしたのも無理からぬことだとロンダークは思った。今の姿を拝借したエムニムでさえ、ロンダークが殺す寸前までネーアのことばかり考えていた。若き男性エルフたちは、皆、この美しいエルフの虜になってしまうようだ。
 自分もその一人になってしまったのかと、ロンダークは心の中で苦笑した。ネーアを助けたのは、何も自分の目的のためだけではなかったのかもしれないと考えるようになる。
 しかし、ロンダークは他の男たちと違い、ネーアの美しさにばかり目を奪われるようなことはなかった。それは彼女の心を読心術で覗いていたからである。
 ネーアは兄アルフリード以外の者を男として認めていなかった。それほどアルフリードという男は彼女にとって完璧で、実の兄でありながらネーアは愛さずにいられなかったのである。
 それゆえ、ネーアは言い寄ってくる男たちに対して冷淡だった。それを表に出すことはあまりないが、心の中では兄以外の男たちを蔑んでいたのである。美しい外見とは、まるで裏腹だった。ロンダークはそんなネーアの本質を見抜いていたがために、彼女にのめり込むようなことをしなかったのだ。
 同時に、ネーアの決して成就することのない愛をロンダークは嘲笑っていた。兄妹が結ばれるわけがない。エルフ族でも近親婚はタブーとされている。ネーアもそれを分かっていながら、どうしても消せない激情を胸に秘め、深いジレンマに悩まされ続けていたのだ。
 その兄が殺された。それも一番ネーアが毛嫌いしているハーフ・エルフによって。ロンダークがわざとミシルの姿になってアルフリードを殺すように見せたのは──実際には、その前にネーアの姿で殺していたのだが──そういう理由からなのだ。
 そして、ネーアはロンダークの目論み通り、ミシルに対する激しい復讐心を抱いた。それが同族同士を争わせる危険な火種となることも知らずに。
 ネーアの利用価値はまだある。そのためにも早く回復してもらいたかった。



 先を歩くイェンティがミシルを振り返った。
「大丈夫かね?」
「平気です」
 ミシルは強がった。しかし、それに続いてお腹が鳴る。
 ミシルはイェンティに安全地帯まで案内してもらっている途中だった。最初は一角獣<ユニコーン>と再会できるかも知れない期待から踏み出す足も力強かったのだが、決して平坦ではない森の道なき道を進むのは、か弱い少女にとって楽ではない。今ではイェンティとの距離も離れがちになっていた。
 おまけに空腹がミシルの集中力を散漫にさせた。考えたら、昨日からまともな食事をしていない。口に入れた物といえば、水とトーラスからもらったヤクの実だけだ。
「この辺で一休みするかね?」
 見かねたイェンティが言った。
「あと、どれくらいなんですか?」
「もう少しといったところじゃが……」
「じゃあ、行きましょう」
 ミシルの疲れはピークに達していたが、早く一角獣<ユニコーン>のところへ行きたいという気持ちが上回った。無論、“彼”がいない可能性もあるのだが、そんなことは考えない。
 イェンティは仕方ないといった風に前へ向くと、少し速度を落としながら先導を再開した。
 やがて、イェンティの言った「もう少し」が残り半分だったんじゃないかと疑い始めた頃、ミシルの耳に水音が聞こえてきた。川とは違う、もっと激しい感じの音だ。
「到着じゃ」
 イェンティがミシルに教えた。
 その刹那、シカのいななくような啼き声が聞こえた。その切迫した様子に、イェンティとミシルの表情が固くなる。
 まず走り出したのはイェンティだ。四肢で大地を蹴るようにして、森の奥へと消える。ミシルは慌てて、それを追いかけた。
 鬱蒼とした森を抜けると、突然、視界が開けた。空から陽光が射し込み、穏やかな日溜まりを作っている。
 大きな水音の正体は滝だった。ミシルの背丈の六、七倍くらいの高さから、ドーッと豊富な水量が流れ落ち、岸部には小さな虹を作り出している。その滝の周囲に避難してきた動物たちが集まっていた。
 それは普段であれば、とても平和な光景に見えたことだろう。しかし、今は違った。一頭のシカが脚から真っ二つに裂けた状態で地面に倒れ、他の動物たちがそれを遠巻きにしているのだ。死んだシカの近くには地面から半分顔を覗かせた大きな岩があり、その上に髪を伸ばし放題に伸ばした男が座っていた。
 ミシルはその男を見て、心臓が止まるかと思った。
 ──ダーク・エルフ。
 こいつもデスバルクが送り込んだテロリストの一人なのだろう。不遜な態度でミシルたちを見下ろした。
「何だぁ、お前ら?」
「それはこちらのセリフじゃ。貴様、一体ここで何をしておる?」
 ヒヒの顔を持つ白い獅子が喋ったので、ダーク・エルフは少なからず驚いて見せた。
「こりゃ、たまげた! 喋りやがったぜ、コイツ!」
「もう一度、訊く。ここで何をしておる?」
「見りゃあ分かるだろ?」
 そう言ってダーク・エルフは、口をクチャクチャと動かした。手には骨付きの肉。死んだシカの脚だ。
「食事だよ、食事。オレ様が腹を空かしていたら、ちょうどいい肉がゴロゴロしていたんでな」
「貴様!」
 イェンティの白い毛が逆立った。怒っている。
 するとダーク・エルフは面倒くさそうな顔をした。
「何だよ、何がそんなに悪いってんだよ? 所詮、この世は弱肉強食だろ? 強ぇヤツが弱ぇヤツを食う。これ、当たり前。自然の摂理」
「だとしても、ここにいるものたちは、みんな、ワシを頼って来たもの! それを傷つけることはワシが許さん!」
 イェンティは咆吼を轟かせた。ミシルも思わずすくむほど、大気が震える。ミシルを黒豹から助けてくれたときと比較にならないほどの迫力だ。
 しかし、ダーク・エルフは少しも臆するような素振りを見せなかった。
「じゃあ、何? オレ様とやるっていうの? オレ様は強ぇぜ。やめときなって」
「黙れ、薄汚いダーク・エルフめ! この森から叩き出してくれる!」
 イェンティは問答無用に飛びかかった。だが、ダーク・エルフも素早く反応し、座っていた岩から飛び退く。まだシカの脚を手にしていた。
 ダーク・エルフは肉にかぶりついた。そのとき見せた歯は、まるで肉食獣のようだ。
「このヒヒジジイが! オレ様はなぁ、食事の邪魔をされるのが一番でぇっきれぇなんでぇ! その頭からかじりついてやるから覚悟しろぉい!」
 ダーク・エルフは食べかけのシカの脚を放り出すと、ネコの目のように瞳を細長くさせ、イェンティと対峙した。


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