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吟遊詩人ウィル

冒された森

−24−

 ミシルにとってイェンティの背は、決して乗り心地のいいものではなかった。しかも今は崖から崖へと跳び移りながら、上へ登っているのである。イェンティからフワリと体が離れそうになり、心臓が縮む。一歩間違えたら真っ逆様だと思うと、ミシルは生きた心地がしなかった。だからと言って、ここで降ろして欲しいとも言えない。
 下からは半獣人のダーク・エルフ、バララギが追いかけてきていた。バララギの方が身軽な分、どんどんとその差を詰めてきている。自分たちが登り切るまでに追いつかれるのではないかと、ミシルは恐れた。
 それでもイェンティは傷を負いながら、懸命に崖を登ろうとしていた。これ以上、ミシルを乗せながら速く登ることは無理だろう。
 そこへ、思いもよらぬ援軍が飛来した。この崖を住処にしているハヤブサだ。果敢にも森の王たるイェンティを救うべく、バララギの頭めがけ、一直線に襲いかかる。
 崖を登っている途中のバララギに、その攻撃は非常に効果的だった。バララギは崖に張りついたまま避けることが出来ない。ハヤブサの爪がバララギの後頭部を引っ掻いた。バララギは片方の手で追い払おうとするのが、当然、届くわけがない。ただ、忌々しげに呻いた。
「なろぉ!」
 引っかかれた部分に手をやり、バララギはハヤブサをねめつけた。ハヤブサは反転し、再び攻撃態勢を取る。バララギはハヤブサを待ち構えた。何とかはたき落としてやろうと思う。しかし、ハヤブサはバララギの近くまでくると、相手が手出しできないのを嘲笑うかのように、攻撃を仕掛けることなく方向を変えた。ハヤブサの挑発にやられ、バララギは憤怒する。
「チクショウ! あとで憶えていやがれ!」
 ハヤブサが助太刀してくれたおかげで、イェンティとミシルは、その隙に崖を登り切ることが出来た。近くを水が流れ、そのまま滝壺へ落ちている。目も眩みそうな高さだ。川を遡ると身を隠せそうな森があった。
「さあ、降りなさい。そして、ワシの後ろに」
 イェンティはミシルにそう言って降ろした。ミシルは森の中に逃げるものとばかり思っていたが、そうではなさそうだ。イェンティはバララギが登ってくるのを待ちかまえていた。
 まず、ハヤブサが姿を現した。イェンティに後事を託すかのように、大きな翼を傾ける。イェンティはそれを眩しそうに見上げた。
 それも一瞬、イェンティは直に登って来るであろうバララギに意識を集中した。ここまで来たのは、バララギを誘い込んで、登ってきたところを突き落とすためだ。さすがのバララギもこの高さから落ちればひとたまりもないだろう。
 しかし、そのイェンティの思惑は外れた。
「ヒヒジジイ!」
 バララギは崖からではなく、それよりも右側の滝から現れた。イェンティの考えを読んだのか、それとも野生の勘がそうさせたのか。いずれにせよ、イェンティの計画は狂った。
 予測していたポイントとは違ったが、それでもイェンティはすぐさまバララギへ飛びかかった。バララギが着地する前に突き落とす。当初の作戦を貫こうとした。
 空中でイェンティとバララギが激突した。だが、手足のリーチではバララギが勝る。先にバララギの両手がイェンティの頭部に当てられた。
 バララギはイェンティの頭を支えにして、軽々とその上を飛び越えた。着地した両者の立ち位置が変わる。振り向きざま、再びイェンティとバララギは突進した。
 今度はバララギがイェンティを崖下へ吹き飛ばそうとした。それを予期したイェンティは、おもむろに横へ跳び、バララギの不意を討とうとする。しかし、バララギはその動きについてきた。
「驚いたみたいだな!」
 バララギがニヤリとした。指摘したとおり、イェンティはバララギの動きに表情を変えたのだ。さっきよりもバララギの動きと反応がシャープになっている。それはイェンティが傷を負ったから感じるものではなく、明らかにバララギの能力が向上したものだった。
「オレ様は食べたものから、どんどんと力を吸収するのさ! 今のオレ様は、ヒヒジジイ、てめえ自身と戦っているようなもんよ!」
 イェンティの肉片を食べたとき、バララギは力が涌くと言った。それは文字通りの意味だったのだ。ひょっとするとイェンティの半獣人化も、食べることによって得たものかもしれない。
 バララギは猛然とイェンティに襲いかかった。イェンティの爪が届く前に、その顔面に膝蹴りを喰らわす。イェンティは避けきれない。頬をかすめた。肉が裂ける。
 それでもイェンティはバララギの動きを止めようと、果敢に攻めていった。体を潜り込ませるようにして、膝蹴りの軸足に噛みついていく。アキレス腱よりも少し上のふくらはぎだ。
「てめえ!」
 噛みつかれたバララギは悲鳴を上げるよりも先に逆上した。反対の足でイェンティを何度も踏みつける。しかし、イェンティはこのチャンスを逃すまいと、必死に喰らいついた。
「ぎゃあああああああああああっ!」
 バララギが絶叫した。イェンティはまんまとふくらはぎの肉を噛みちぎったのだ。さっきのお返しである。イェンティはバララギから離れ、固唾を呑んで見守るミシルの元へ戻った。そして、口にしていた肉片をペッと吐き出す。まるで、お前の肉はまずい、とでも言うかのように。
 バララギの眼が吊り上がった。喉からは獣の唸り声のようなものを漏らす。
「よくもやりやがったなぁーっ!」
 バララギは呪詛のように言葉を吐き出すと、イェンティに飛びかかっていこうとした。だが、足をやられたせいで、それができない。いくら強靱な肉体とスピードを持つバララギでも、動けなければ、デスバルクから授かった力を発揮することはできなかった。
「消え去れ!」
 イェンティはそう言うと、大きく息を吸った。すると白い毛並みが逆立ち始める。すぐ後ろに立つミシルには、イェンティの全身がパチパチと帯電しているのが見て取れた。イェンティが口を開く。
「雷吼弾!」
 魔法の力を秘めているイェンティの咆吼は、それを極限まで高めることによって、強力な攻撃魔法と同等の力を引き出すことが出来た。それが雷吼弾である。
 イェンティの口から青白い光球が発射された。バララギは一歩も動けない。雷吼弾がまともに命中した。
「うわああああああああああっ!」
 バララギが吹き飛んだ。ライトニング・ボルトに匹敵する威力である。さすがの半獣人も無事では済まない。
 宙に舞ったバララギの体は、そのまま崖を落ちていった。激突音が断続的に聞こえる。ミシルはバララギがどうなったのか確かめるため、断崖に駆け寄った。
 下を覗き込むと、滝壺の脇でバララギが仰向けの状態で大の字になっているのが見えた。首が妙な方向に折れ曲がっている。その姿を見たミシルは、憎むべき敵であったにも関わらず、気分が悪くなった。
「ヤツはどうなった?」
 イェンティが尋ねてきた。
「死んでます……多分」
 と、バララギの死体を見下ろしながら答えるミシル。
「そうか……」
 ドサッという音に、ミシルは振り返った。イェンティが倒れている。ミシルは慌てて戻った。
「おじいさん、大丈夫!?」
 ミシルはイェンティの体をゆさぶろうとして、その手を止めた。バララギにやられた傷から出血が激しい。それに雷吼弾を使用して、体力も気力もかなり消耗したに違いなかった。
 イェンティは目を開けた。
「すまなかったのぉ、お嬢さん。アンタの役に立つつもりが、こんな危険な目に遭わせてしまって」
 ミシルは首を横に振った。
「そんな……私からお願いしたことです。どうか、気にしないでください。それに、この森が今、どんなに危険になっているか、前もって話しておかなかった私が悪いんです。今、森にはアイツの他にもダーク・エルフが入り込んでいます。それをちゃんと教えていれば……」
 イェンティにこんな傷を負わせてしまった責任をミシルは痛感していた。目に涙が浮かぶ。だが、あくまでもイェンティは優しかった。
「気にしなさんな。どのみち、動物たちが襲われているのを見つけたら、ワシは誰であろうと戦っていただろう。それがワシの使命──いや、宿命じゃからな」
 イェンティはそう言って、体を起こした。ミシルがビックリする。
「何をするんです? そんな体で動いちゃ──」
「なんの、これしきの傷。ワシは丈夫だけが取り柄なんじゃ。それよりも、今度こそお嬢さんを安全なところまで送っていかねばな。仲間たちのところがいいじゃろう。一角獣<ユニコーン>のことは、ひとまず忘れるんじゃ。森が平和になれば、またきっと会える」
「はい……」
 イェンティに慰められ、ミシルはうなずいた。それに、これ以上、わがままを言うわけにもいかない。
 ミシルはイェンティと共に、イスタの集落へ戻ることに決めた。
 その数刻後──
 ミシルたちが去り、平穏が戻ったはずの安全地帯に、再び脅威が訪れた。草木をはんでいた動物たちに緊張が走る。
「あー、死んじまったぜ」
 口惜しそうな言葉が発せられた。バララギの口から。
 イェンティの雷吼弾を喰らい、崖から転落死したはずのバララギが、おもむろに起き上がった。まるで眠りから覚めたかのごとく。
 バララギは折れた首をコキリと鳴らして元に戻すと、肩を上下させながら感触を確かめた。
 実は、デスバルクがバララギに与えた能力は、半獣人化だけではなかった。二つ目は再生能力。それは死んだ状態からもバララギを生き返らせた。
「くそ〜、あのヒヒジジイとハーフ・エルフ! ひでぇ目に遭わせやがって! 絶対に逃がしゃしねーぞ!」
 バララギは復讐を誓うと、遠巻きにしている動物たちのほうに顔を向けた。そして、舌なめずりする。
「──その前に、やっぱり腹ごしらえだな」
 動物たちは戦慄した。


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